21話:馬小屋にて。
赤ん坊のフリージアを抱えたオディロン様と、半地下の裏口からではなく、玄関から吹き抜けのホールに入る。
家令と差配人の任務は先程の会話で終わったから、これからは家族として、またオレは女中としての付き合いが始まるのだろう。
通常ならば身分の低い家から嫁いだ妻(仮)らしく壁際で待機しておくべきなのだが、コーラルは女中の任を解かれた訳ではないから、まだやるべき仕事がある。
来客に対する応接用と家族で使う食卓を兼ねた大きな机が中央にあり、オレはそこに鍋を置く。
「おや。コーラル、どこへ?」
「少し、しごとへ。行ってきます」
踵を返して表に出ると、裏手へ向かう。目的地は家畜小屋だ。
魔除けの香草で囲った境界の外に出てしまった家畜を放置しておくと、魔獣になる。
実際に見た事はないし、どこぞの村でなったという例を聞いた事もないが、とにかくそういう言い伝えがある。
貴重な財産である家畜が魔獣に変じるのを防ぐには“色持ち”の洗浄が必要となる。
下男は色無しであり、家令を始とした貴い血の御方々は肉体労働に手をつけない。
つまり必然的にその役割はコーラルが担う。
「手伝いにきました」
「そうか」
といっても、普通に水で拭いてやるくらいで、特に儀式的な事を展開する訳ではない。
洗浄の他にある主な面倒は下男が見るため、結局オレがやるのはポニーさんを雑巾でゴシゴシするくらいである。
井戸からバケツに水を注ぎ、小屋の近くに置いた盥まで何往復もして貯める。
オレがやった訳でもないのに何故か懐かしさが込み上げてくる作業だ。
その間に下男は部下であり後の跡を継ぐであろう少年を連れ、2人がかりで荷台を小屋の壁に立て掛けて車軸と車輪を取り外す。
「馬を持ってきてやれ」
「はい!」
次期下男の少年は上司の言い付けに対してテキパキと動く。
走ったり引っ張ったりしても息切れしない姿を眺め、若けえっていいなあと諦観のようなものを抱くオレ。
コーラルの中で意識を取り戻してからは素より、パリラ時代でさえ可能な限りインドア派でしたもので……。
馬銜のない端綱で頭を結ばれたポニーが1頭ずつ、幼さを残しながらも節くれ立った手によって柱に繋がれる。
柱の間に置かれた馬槽に半分ほど秣を撒き、少年はオレの様子を窺う。
「こ、これで、いい?」
「ええ。どうもありがとう」
暢気に飼葉を食む家畜の向こうからこちらを見上げる栗色の双眸は、礼を述べるとまるで四白眼宛らに丸くなる。
さてはオレというものが物知らずにも不敬な真似でもやらかしたかと脳裏で臍を噛む。
詫びの一つでも入れようかと口を開いた瞬間に、相手は耳を赤くしてパッと下男の許に帰ってしまった。
失せたのでは仕方あるまい。ここは思考を切り替えよう。
桶の水は満ちている。ブラシと雑巾もある。足りないものはあるかな?
「おい、コーラル。ほれ」
「うわ、あ、ありがとうございます」
下男に放ってよこされたエプロンに似た前掛けを巻き、腕捲りをして、準備は万端。
重い貢租を急ぎ気味に運んでくれた背にバケツで水をかけると、熱の篭った体が冷えて、ポニーは嬉しげに長い尻尾を揺らす。
風通しの良い日陰に入れられていたとはいえ、秋口の日中はまだまだ暑い。特に午餐タイムの前ともくれば尚更だ。
蹴り上げて腹に付いた砂や全身の汚れをブラシで落とし、雑巾で拭く。
横に倒れた耳元を布越しに掻いてやると、埃でも払うようにプルプルと動かした。
鼻面でオレの鳩尾をグイと押してくるのを首を叩いて制し、鬣を手串で梳く。
まるっきり犬のようにワサワサ尾が回るので面白い。
1頭を終えて、小屋に戻す。次のポニーに取り掛かると、3頭目が小さく嘶いた。
どうやら早く順番が来いと催促しているらしい。
急ぐと手抜きになるから駄目だぞと項を撫でて宥める。
奥では下男と少年が荷台の箱の汚れを隅々までこそぎ落としている。
オレが手入れした時とは段違いに綺麗な仕上がりだ。
これぞピッカピカ。ちょっと悔しい。ぐぬぬ。
結局1時間以上かけて4頭のポニーを洗い終え、前掛けの汚れていない部分で顔をぐりぐり擦って汗を取る。
曲げていた背を伸ばして肩を回していると、視界の端で邸宅の窓が軋みながら開いた。
「コーラル、コーラル! 終わったかい?」
「はい。今、まいります」
母さんが降りてきたよ、とにこやかな表情でオディロン様が呼ばう。
声に応じて上半身をを巡らせ返事をし、外した4つの端綱を下男に渡す。
「あと、おねがいします」
頭を下げて起こすと、なぜか下男は喉でも詰まったかの如く唇を曲げて手を振った。
「……ああ」
「はい。それでは」
漫然と突っ立ち手でオレを払う隣では、少年がぺこりと顎を突き出す。
その仕草が可愛らしく感じて思わず頬が緩む。
「早く行け」
モタモタしていたら叱られた。下男は昔から自他共にとろ臭い動作が嫌いだから仕方ない。
軽く謝って母屋に駆け出す。
正面ではフリージアを抱いた旦那様(仮)が小さな手首を指先で摘んで顔の横まで持ち上げている。
うわあーーー。うちの子めっちゃ可愛いーーー。可愛すぎて天使ーーーーー。
脳内で語彙力が減退しながらオレはやはり、玄関に辿り付く前にスタミナエンプティ状態に陥って全身を小刻みに震わせるのだった。
ブクマ、評価ありがとうございます。
評価については「ここ直せや~い」「ここよかったぞ」と何か一言添えて頂けると参考になります。
次回はメシ回(予定)




