部屋に戻る
部屋に戻ると、あの少女の幽霊がいた。
「何だよ。今日はここに来るの早いじゃないか。」俺はベッドに体を投げた。少女はふわふわと宙に浮き、俺を上から眺めた。
「あら、先触れを出しておけばよろしかったかしら?」少女はやれやれという顔をした。
「先触れかあ。お前、お付きの侍従とかいるの?幽霊の?」俺は目を閉じた。
「いる筈も御座いませんわ。アタクシ、幽霊ですのよ?神出鬼没が幽霊というもの。そうではなくて?」少女の声が近い。
「そうだな、確かに。でもさあ、ここ一応男の部屋なんだけど?淑女って勝手に男の部屋に出入りするもんなの?」
「んま。アタクシが扉のノックも不可能な事、あなたもご存知の筈。淑女のアタクシとしては誠に不本意極まりないのですが、こればかりは仕方ありませんの。お許しいただきたいわ。」少女の声が近い。
「なあ、俺昼寝したいんだ。」俺はどうすれば良いんだ?
「あら。ではお昼寝なさいませ。こちらであなたの寝顔を拝見しておりますから、思う存分お昼寝なされば良いですわ。」少女の声が離れていく。
「あのな、俺だって年頃の男子なんだ。」俺は体を起こし、目を開けた。少女は俺のベッドの足元に座っていた。
「そう言えば、そうでしたわ。でも、お忘れ?アタクシも、お年頃の淑女ですのよ?」少女は薄笑いをする。
「何年前からお年頃なんだよ。」俺は肩を落とし、ため息を盛大に吐いた。
「何年前から…なんでしょうね?」少女は中空を見つめた。
「それで、何で今日はこんなに来るのが早いんだ?いつもならもっと暗くなってからここに来るよな?」
「大した理由など、御座いませんの。お邪魔して悪かったとは、思っておりますわ。」
「なあ、お前、何でそのドレス姿なんだ?ギロチンで首飛ばされたんだろ?」
「ああ。それなら理由はちゃんと御座います。お話ししたこと、御座いませんでしたか?この白いドレスがアタクシの一番のお気に入りですの。よくご覧くださいな。小さなダイヤを散りばめてありますのよ。ほら、この胸元の輝き。さ、ご覧になって。」
「いや、ちょっと透けてるよ。輝いてるのか?」
「輝いております、燦然と。」俺はベッドから降り、少女の前に立った。
「うん。確かに輝いてる気がする。」
「まあ。アタクシに合わせてくださるなんて、あなた、意外に紳士ですのね。ええ、透けていますわ。ちょっとね。」少女の顔は輝いて見えた。
「なあ、俺、お前の事を紙に書いてただろ?」
「やっぱりアタクシの事でしたのね?でもフィクションとおっしゃってらしたわね?」
「うん。フィクションだよ。俺の作り話。でも、お前の身の上をヒントにしてる。」
「あれが、ヒントにしてるですって?あなた、それは違うのではありませんか?あんな…。」
「あ、うん。まあその…そうだね、ほぼそのまんまだね。」
「悪役令嬢…でしたか?一体何なんですの?まるで悪事をするのが予め決められているかのような呼び方ですわ。アタクシは好きではありませんわ。そのように呼ばれるの、アタクシは拒否致しますわ。」
「ねえ、劇って見たことある?」俺は少女の横に座った。
「当然で御座います。観劇に明け暮れたと言いたいところですが、願いは叶いませんでしたわ。生きている間は、ですけれども。」
「え?」俺は苦笑いした。
「ああ、つまり物語の上で悪役という不名誉な役柄を固定されてしまったご令嬢。そういう事なのですね。」
「ま、そういう事。どんな物語にも悪役っているよね。」
「あなた、アタクシをあなたのフィクションで悪役に固定したいとおっしゃっているの?」
「あー。まあ…そうかな。判りやすくない?」少女は疲れたような顔で首を振りかけて止めた。
「アタクシ、どちらかと言えば哀れな悲劇の主人公ですのよ?」
「うん、だから最終的にはそういう話になるんだよ。」
「そう、悲劇ですのよ。」
窓から入る光が少しづつ赤みがかり、部屋はぼんやりと暗くなっていく。その中で少女は一人白く光るように佇んでいる。俺の隣で。
「ごめん。」
「あら、急にどうしたんですの?気味が悪うございましてよ?」少女は眉を顰めた。
「ニャニンコなんて、その…。」すると少女はスッと宙に浮かんだ。憤怒の形相で。
「あなた、まだアタクシをその名で呼ぼうとしておりますの?徹底的に呪って差し上げますわ!」
「あ、違う、違うんだ。あの名前は…やめるよ。」少女はそのままストンと俺の隣に戻った。
「あぁら、良い心がけですわ。」少女は髪を片手で掻き上げた。
「それで、どんな名前が良い?」
「は?」少女は目を瞬いた。
アリアーナ・ベルモアゼル・ディ・フォン・キャラメーナ。そう、これがアタクシの名前。あなたも良くご存知の筈。愛称?そんなもの御座いませんわ。アタクシをお呼びになるなら、敬意を持ってこうおっしゃいなさい。アリアーナ様と。
ところで、アタクシ困っておりますの。巷でこのアタクシの事を悪役令嬢とお噂をする方々がいらっしゃるそうなのよ。令嬢なのは解りますわ。だって、アタクシ、フォン・キャラメーナ豪爵家の一人娘ですもの。でも「悪役」とは?アタクシ、皆様の間で悪者とされておりますの?皆様が何かの悪事をアタクシに期待なさっている。そういう事で御座いましょうか?アタクシ、悪事になど、微塵も興味御座いませんわ。アタクシのこの美貌と気位とを羨望する余りにそのような風評をお流しになってるの?そのようにあなた方を悩ませるこのアタクシの罪深きこの身を恥入る次第で御座いますわ。
アタクシ、故あってこのピカレス・クロマン学園の学徒になりましたの。アタクシ、学園には今更何の用も御座いません。学園の講義で習う程度の知識でしたら全て習得いたしましたもの。しかし、アタクシの父君は社会勉強だとアタクシをピカレス・クロマン学園に入れましたの。入学試験?そんなもの。全科目トップに決まっておりますわ。アタクシをなんだと思ってらっしゃるの?
「こんな感じ、どう?」俺は新しく書き直した紙を少女に見せようと振り返った。少女は俺のベッドの上に横になって浮かんでいた。いや、普通にベッドに寝て良いよ。何でだよ?
「あら、見せて!」少女はふわりと俺の机の横へ飛んでやって来た。
「名前、アリアーナで良いんだよね?」
「ええ。その名、気に入りましてよ。でもやっぱりそういう名前を後ろに付けたいのですね、あなたは。呆れますわ。」
「え?ダメ?こういう感じって高貴な人っぽくない?」
「あなた、高貴な名を誤解なさっているわ。長ければ良いのでは無いのです。ま、良いのでは?あなたのフィクションではそうなのでしょうから。」
「う…。まあ、そう…そうだね。イヤじゃない?こういう風に書かれるのって。」
「嫌に決まっています。でも、最初のものより随分と上達なさったのではなくて?」少女が微笑む。
「ねえ、どうせなら、このアタクシが読みたくなるようなフィクションをお書きなさいな。フィクション、つまり作り話なのでしょう?」
少女の微笑みが大きくなる。俺はその顔が嬉しかった。




