図書館を出る
図書館を出ると、夕暮れの光が徐々に消えようとしていた。俺はまた食欲が失せていた。でも、食堂の本日のスペシャルが気になった。早く部屋に戻らなきゃ。
サンドリーニ先生の特別授業の話が俺の頭の中でグルグルと回っていた。レゼガー神父の話題にあった聖女は、今は無い地方の出身だったらしい。つまり、地方の名前も抹消されている。しかし土地自体が消えるワケはないから名前が変わったという方が正解かもしれない。しかし、その具体的な場所が何処かは知られていないんだとか。シェロール王家が実権を握ってから、名前が変わった街は多かった。それは秘密じゃない。知ってる人は知っている事だ。ここ王立ルミナール・フィディレテ学園は王都にあるが、それも名前が変わった場所の一つだ。ブラナン王朝時代はイーディという名だったが、今はトーツという。イーディの由来は判らないが、トーツは古語で未来という意味らしい。つまり、俺たちは未来に住んでる。ヘンな感じだ。まあ、その正確な意味は結局不明だ。ローイ王の革命後、ローイ王が王都をそう名付けたのは良く知られた話だな。
あーもーそうじゃなーい。そんなんどーでもいーい。あーあーあー!何なんだー!うおー!歴史なんて知らねー。
そんな気分で男子寮に辿り着き俺の部屋へ向かうと、俺の部屋の前に誰かが立っていた。あの服は教会の服だけど、どうも歳が若いというか、俺より年下の少年に見える。
「あ、ベニーモ・マンカスター様ですね。ニック・ラッセロと言います。ライニ様から原稿の返却を承って、こちらに参りました。」ニックはピョコっとお辞儀をした。いや、やっぱり俺より年下っぽい。
「ベニーモです。ありがとう。」俺は原稿を受け取ると「あの、失礼とは思いますが、ニック様の歳を伺っても?」とニックを見て微笑んだ。
「私は十三歳です。修道士の見習いを今年から始めたんです。」ニックは満面の笑みで答えた。
「え?見習いですか。随分早いのでは?」俺の記憶が確かなら、修道士になれるのは十五歳からだ。見習いはそうでは無いという事か?
「早いですね。でも、見習いですから。えーと、あのー…ここだけの話、家の事情なんです。」ニックは口角を少しだけ下げた。
「ああ。なるほど。それでこういう雑事を教会で修道士見習いって形でやってるんですね。」
「そういう事です。修道士になるかどうかは、まあ、どうなんでしょうね。」ニックは肩を竦め「そのう…その話、面白いですね。本当はいけないんでしょうけど、読んじゃいました。」と笑った。何だか俺は別の悪い予感がした。
部屋に戻り鞄を置くと、俺は隣の部屋の扉をノックした。ディルソンが俺を出迎えた。
「おう、戻って来たのか。サンドリーニ先生にお小言でも言われたか?」ディルソンはニヤニヤしていた。
「その方がだいぶマシだよー。」俺は額を押さえ、ため息を漏らした。
「は?何だそりゃ。まあいいや。お前の部屋の前に教会から来た誰かがいただろ。ありゃ誰だ?随分歳が若く見えたけど。」ディルソンと俺はベッドに並んで腰掛けた。
「見習いなんだって。俺らより年下だよ。俺の原稿を返しに来たんだ。」
「え?そうなんだ。見習いって…修道士の、だよな?あんな若いのもいるんだ。」ディルソンは眉を上げた。
「らしいよ。まあ家の事情だって言ってたけどね。ニックとかって言ってたな。ニック・ラッセロ。」
「ん?ラッセロって言ったか?本当か?」ディルソンは眉を顰め「お前、ラッセロって…公爵家じゃないか?いや、侯爵?どっちにしろ高位貴族の家名に無かったか?」と目を瞬いた。
「はああ?いや、待てよ。そんな家の子息が何で、修道士見習いをそんなに早くからやってんだよ?ヘンじゃないか?」俺も目を瞬いた。
ディルソンと俺は食堂へ入った。見ればラシャールが誰かと夕飯を食べていた。あの後ろ姿は見覚えあ…え?まさかエンリク?エンリクだ。マジで普通の食堂使う事があるのか。
「お、来たな。こっち来いよ。」とラシャールは俺たちに手を振った。エンリクは振り返ってウィンクし、その美男子振りを発揮した。それを見たディルソンと俺は、顔を見合わせ同時にため息を吐いた。何でラシャールは平気なんだよ?エンリクは侯爵家だぞ。ラシャールは子爵家で、俺たち男爵家よりは家格は近いが、それでもそんな気軽に侯爵家の子息と接するのは無理だ。
「やあ、一昨日振りだね、ベニーモ。調子はどう?」エンリクは俺の顔を見てニコニコしてた。
「今宵も…ご機嫌麗しゅう御座いますか、エンリク様?私は、その…普段と変わり有りません。」俺は席に座って良いものかどうか判らず、座るエンリクを前に突っ立っていた。
「あはははは。何だ、それ。そんな挨拶しなくて良い。座れば?」エンリクは大笑いして自分の隣の席を引いた。あー…はい、座りますよ、そこに。ディルソンは目を丸くして、その様子を見ていた。
「ディルソン、座れよ。」ラシャールが自分の隣の席を顎で示した。いや、高位貴族がいるのにカジュアル過ぎだろ。
「これ、本日のスペシャルのミートボールのトマトシチューだよ。少しピリ辛で、異国風な感じで美味いよ。」エンリクはミートボールをフォークで刺すと、ナイフで切るでもなく、そのまま丸ごと頬張った。えー。
「いや、ベニーモって本当、顔に出るよね。あのサロンじゃこんな食べ方出来ないよね。ミートボール一個をお上品にナイフで半分に切って食べるのなんて、食べがいが無くない?」エンリクはモグモグ口を動かしながら言った。うん、それも本来ならマナーに反するよね。
俺たちも結局本日のスペシャルを注文した。
「俺、ベニーモのあの話、ちょっとどうかと思うんだ。」エンリクはミートボールをモグモグしながら言った。俺は身構えた。何だ?何がダメなんだ?「アリアーナだっけ?その令嬢の見た目はどういう風なんだ?確かそういうの、書いてなかったよね?俺はそういうの、あった方が良いと思うなあ。」エンリクは料理を待つ俺の顔を覗き込んだ。いや、やっぱり俺とは格が違う美男子だよなあ、エンリクって。
「あ、そうそう、そうだよね。服とかそういうの何の描写も無かったね、確か。」ラシャールも俺を見た。
「あ、いや、その…無いです。余り、その、描かなくても良いかなって…思いまして。」俺は視線をテーブルに落とした。
「おー、そうだそうだ。俺は気にならなかったな。と、言うより気づいてなかった。」ディルソンの声が聞こえた。
「君ね、ベニーモ。大切だよ、見た目の描写は。特に令嬢が主人公なんだろ?例えば、そうだね、目鼻立ちがハッキリした色白の顔に桃色の可愛い口元とか、明るく煌めく金色の長い髪のリングレットが美しい顔を際立たせてたとか。ああ、それに、たわわな胸元をフリルが飾る赤いドレスとか、白く細く優雅な指とか、そういうのが無いとね。」エンリクはミートボールをまた一つ丸ごと口へ運んだ。
「はあ。リングレットって…何ですか?」俺はエンリクの指摘に目を白黒させていた。
「リングレットは、今レディーの間で話題の髪型だよ。こう、髪をカールさせるんだ。」エンリクは指で自分の少し長めの髪をクルクルと縦方向に捻った。縦ロール!「最新の技術なんだって聞いたよ。まあそれが出来る髪結は限られてるし、金もかかる。でもベニーモの話の、豪爵だっけ、豪爵令嬢のステータス的な表現にできるんじゃないかな?」見ればエンリクのミートボールはあと二つになっていた。ラシャールのミートボールは…六個残ってた。
ディルソンと俺の注文したミートボールが届き、俺はナイフとフォークを手に取った。




