沈黙
沈黙が長かった。ただ俺たちは見つめあっていた。俺の部屋を照らす月明かりに浮かぶ美しい少女の顔に表情は無い。
「不自然。そうね、不自然ですわね。」少女は静かに言う。「先ほど思い出した怪文書の件にしても、不自然ですわ。思い出した事が、ではなく、怪文書の存在ですわ。」
「それはどういう意味だ?」俺は眉を顰めた。
「何故って、ベニーモ。解りやす過ぎますの。先ず、紙は貴重でした。それに、あのように文字を使える人物も限られます。幾ら筆跡を誤魔化そうとも、その二点だけである程度の地位のある人間の仕業だと特定出来ます。怪文書を作ったのは確実に貴族階級に属する人物です。普通は噂を流すなら…そうですわね…先ずは女の口からです。女は自分の信じた事を事実と思う悪いクセが御座います。殿方以上に。アタクシはそのような愚かなマネは致しませんわ。誤解なさらないで。」
「女の口ね。確かに、男より女は噂好きって感じだもんな。まあ男だって大概、噂好きだけどな。」俺は思わず腕組みをした。「噂はいつの時代も厄介なもんだよ。」俺はSNSでの炎上騒動を思い出していた。
「しかし、アタクシの場合はその怪文書が…経緯の詳細は思い出せませんけれども、執事の目に留まったのです。どの家の執事だったかは…やはり忘れておりますわね。」少女は肩を落とした。
「どんな内容だったんだ?」
「さあ?アタクシ自身はその怪文書を読んだ記憶がありませんの。アタクシがあの田舎娘を疎んでいるとか、そのような内容ですわよ。」また沈黙があった。
「アタクシの名前が消された…ですか?有り得ますわね。そしてあなたがあの神父から聞いた話では、聖女が名前を剥奪された。それであなたは勘違いなさったのね?」少女は宙空に浮かんだままだった。
「まあ、そうだな。それに、よく考えたら、お前を陥れたとかいうその田舎娘と神父様の言う聖女とは別人かも知れないしな。」俺はベッドを出て立ち上がり、窓の外を見た。今夜は満月だ。
「そうですわよ。それにね、ベニーモ。審判を行うのは神父なのです。少なくとも、アタクシの言い分も聞かず有罪にしたのは神父でしたわ。」少女は俺の横に浮かび、俺と同じように窓の外を見た。「今は…違いますわよね?裁判所というものがあって、裁判官という地位がある。そうでしたわよね?」
「あれ?お前、そんな事知ってるんだ。」俺は思わず少女の方を向いた。少女の顔を月明かりが明るくしていた。
「長い事…死んでおりますから。まあそれくらいの事は把握できますわよ。」少女は俺の方を向き、笑った。
「言い方…。」俺も笑った。
少女が音も無く窓をすり抜ける。曇りの無い満月の夜空に白いドレスが舞う。ゆらゆらと。
俺は呆然とその姿を眺めながら、少女の言葉を考えていた。神父が審判をしていた。つまり、その時代の公爵令嬢があの少女と言う事だ。今のシェロール王家では有り得ない。あの少女がブラナン王朝の時代に生きていたのは、もう確定と言って良い。つまり、最低でも百年は、あの少女はああやって漂っていたのか。誰にも存在を知られることも無く。百年の孤独か。やっぱり俺には耐えられない。
満月を背に夜空の虚空に揺れる白い少女の姿は、まるで夢のようだった。あれは俺にしか見えない幻なんじゃないか?本当はあれは幽霊なんかじゃ無い。俺の、不確かな前世の記憶にある何かが見せている何か。
すると少女はすぅーっとまた窓をすり抜けて俺の部屋に戻って来た。
「月が綺麗な夜ですわね、ベニーモ。」その言葉に俺は不意を突かれ、笑った。
「ねえ、知ってる?それを愛の告白の言葉だとする文化があるんだ。」
「はああ?何ですの、その傍迷惑な文化は。迂闊に月の美しさを讃えられないではありませんか。」少女は目を丸くし、愉快そうに笑った。「どこの国の文化なんですの?」
「この世界の文化じゃ無いんだ。」
「どういう事ですの?あなたが考えた文化という事ですか、ベニーモ。中々独創的ですわね。」
「ははは、まあ俺の頭の中にしか無い文化だよ。」俺は頭を掻いた。これは、明かした方が良いんだろうか?俺が別世界から転生した記憶がある事を。
「あなたはやっぱり創作向きの頭をしてらっしゃるんですわ。そうね。お気をつけあせばせ、ベニーモ。あの公爵家の娘があのような動きをするという事は、あなたの創作にも影響が少なからずあります。いえ。もう影響があるのかしら?あのサロンでのあの娘の所業の本当の意味、あなたお解りではないでしょう。あれは、あの娘があなたのお書きになっているフィクションの主導権を掌握する。そういう意味なのです。ですから、あの教師陣が呼ばれていたのです。アタクシが怒ったのはそこですの。あなた、そういう事に鈍過ぎますわ。しかし、まだ出だししかない話にここまで執着するのは…やはり何かありますわね。」少女はすっかり真顔になっていた。
「えええ?いやあ、それは…考え過ぎじゃないかなあ。でも、確かに神父様まで俺の所に直接来たっていうのは…うん、ヘンだね。同じような事が昔あったって言ってたんだ、神父様。それに…そうだね、秘密の文献…で良いのかな?そういうのがあるって言ってたし。」俺は壁に寄りかかり腕を組んだ。
「秘密の文献ですか?それは、この学園に併設されております図書館のあの部屋にあるような文献かしら?」
「あの部屋?」俺は図書館にあるという王族しか入れない秘密の部屋の噂を思い出した。
「ええ。如何わしい文献だらけですわよ。アタクシは、残念ながらこの手で文献を手には取れませんけれども、どなたかが読んでいたものなら、少しだけ盗み見られましたわ。内容は…その…良く判りませんでしたわ。」少女は俺から目を逸らせた。
「本当に、その部屋があるんだな。お前、色んな場所に行けるんだな。」俺はレゼガー神父の言葉を思い出した。俺も目にする機会が来るかも知れないと。それに、レゼガー神父はまた話をしようと言っていた。確かそう言っていた。俺は軽く目眩を覚えた。
「幽霊ですもの。今のところ、あなたにしか見えてませんし、まあ、何処へでも入れますわよ。」
「あー。じゃあスパイごっこなんて出来るじゃないか。」俺はニヤリとした。
「まあ、あなた。このアタクシに何をさせるおつもり?」少女もニヤリとした。
「それは冗談として、なあ、お前の婚約者だったとかいう王子の名前も思い出せないのか?確か、その名前も、俺まだ聞いて無いよ。」
「あら。そうでしたか?アタクシとしたことが。まあ、あんな王子など、今更アタクシにはどうでも良いのですが。エスマーと言いましたかしら。あら?エルマー?」少女は首を傾げ、少し頭がズレそうになるのを慌てて手で支えた。少女が口にした名に、俺は血の気が引く気がした。
「それは多分、アルマーだよ。アルマー・ブラナン。ブラナン王朝最後の王子だ。悲惨な最期を迎えた事で知られているよ。」
「まあ。そうなの?因果応報ね。アタクシをあんな目に合わせた一人ですもの。」少女は目を伏せた。
「お前が言う名前と似てるってだけで、確証はないけどな。でも、きっとそうだよ。兄の王太子カルフォンの殺害を企てたとされてるよ。」
「何ですって?それは…アタクシ知りませんでしたわ。ええ、もちろんブラナン家が軍に制圧されて、王族はほぼ皆殺しだったのは知っております。アタクシは現場を見ておりませんけれども。」
「うん。アルマーは裏切り者、内通者だったんだ。学園ではそう教えられたね。」俺は少女の表情を見た。少女は無表情だった。




