段々
段々落ち着いてきた俺は、ある可能性に気づいてまた恐慌状態に陥った。
「俺を心配してくれてありがと。もう、大丈夫だから。」俺は意識してゆっくり言った。
「はあ?全然大丈夫そうじゃないぞ、お前。」ディルソンが真顔になる。ラシャールはため息を漏らした。
「うん。でも、大丈夫なんだ。だから、その…。」そう俺が言うとラシャールは俺のベッドから立ち上がり、ディルソンを見た。
「俺の部屋へ来いよ、ディルソン。ベニーモはきっと執筆活動で忙しいよ。」ラシャールはそう言うと俺を見てウィンクした。
「あ、ああ。そういう事か。」ディルソンも俺のベッドから立ち上がり「続きをご所望だよな、公爵令嬢様は。」と眉を上げた。あー、やっぱり誰に呼び出されたかバレバレだったか。
二人が出て行った後、俺は自分のベッドに寝転び、別室でのグレイシアとのやり取りを思い出していた。
エスコートか。あれは、曖昧だけど、グレイシアが身を引いたって解釈で良いのかな?いや、待てよ。もし…。もしもだ。もしも本気でグレイシアが俺に学園の舞踏会にエスコートを依頼するとすれば…俺の家に連絡が先に行く筈だ。何しろ相手は公爵家、しかも王家筋だ。そんな家格の令嬢が、末端の男爵家の、しかも三男を舞踏会のエスコート役にするなんて、特例中の特例だ。気軽に依頼出来るような身分の関係じゃない。普通なら、そんなポジションの俺には本来何の価値も無い。
て、事は…あ、あれはつまり、俺を正式にエスコート役に抜擢して良いかという打診だ。だからあんな席で「冗談よ。」なんて事をグレイシアは言ったんだ。あの時点では依頼を確定出来ないし、決定事項じゃない。と、いう事は…早ければ今頃使いが俺の家に向かって…うあああ!考えたくねえー!
俺はダンスが得意な方じゃない。踊れないワケじゃないが、公爵家の令嬢を満足させられるレベルとは思えない。それに、俺がエスコート役をするなら、第一の候補はマガレータだ。それすら微妙だ。何故ならマガレータの家は貿易商で、その功績の評価のされ方は男爵家の家格と比べると、俺の実感としてはマンカスター家は劣る。無論、俺がエスコートする令嬢は平民限定じゃあない。子爵家レベルまでなら、まあ妥当だ。だから伯爵家のアラウは候補にならないギリギリだ。それ以前に、俺はこの学園にいる令嬢をあまり知らない。俺がエスコートする令嬢を選べないでいるのは、そういう事情だった。
「あら、何かお悩みかしら?」俺の足元で少女の声が聞こえた。俺は身を起こし、ベッドに座った。
「戻ってきたんだな。さっき、いつの間にかいなくなってただろ?」俺は少女の姿を見て安堵した。
「ええ。だってあんな知ったか振りの神父の言葉など、聞くに耐えませんもの。」少女は不敵に微笑んだ。
「知ったか振りなんだ。」
「そうです。あなた、騙されちゃいけませんわ。教会が寛容になっただなんて、嘘ばかり。」
「そうか?お前のいた時代はそうだったってだけじゃないのか?」
「あなたね、アタクシは何年もこうしておりますの。教会の事情くらいは、まあ、何となく、ですけれど、判りますわ。だってアタクシ、行けない所は基本的に御座いませんもの。」少女は得意そうな顔をし「生きている間には考えも及びませんでしたわ。けれど、もうそのような制限は無きに等しいのです。」と寂しそうな顔をした。
「てことは、制限はあるのか?」
「そうですわね。例えば、幽霊といえば好きな場所に瞬間移動出来るなどとお思いかも知れませんけど、大間違いですわ。せいぜいこのように…。」そう言うと少女は宙に浮かび部屋を飛び回り「そう、この程度なのですよ、ベニーモ。遠くへ行く時には乗り物にも乗りますのよ。便利ですわね。」とクスクス笑った。
「まあ。お悩みはエスコートの事でしたのね。大抜擢ではないですか。アタクシなら即答で承諾いたしますわよ。何をそんなにお悩みなの?」俺の公爵家令嬢からのエスコート依頼を知った少女は怪訝な顔をしながら、ベッドに座る俺の足元に浮かんでいた。
「いや、お前…。だって俺は男爵家の三男で…つまりほぼ平民ポジションだよ。釣り合いってものがあるだろ?まるで意図が解らないんだ。」俺は所在なく目を伏せた。
「ああ。あなた、そんな認識ですのね。ねえ。あの娘があなたのフィクションの写しを希望した。そしてそれを読んだあの神父が、あろう事かあなたの部屋に直接いらっしゃった。ねえ、これだけでもあの娘があなたに舞踏会のエスコートを依頼する理由がまる解りですわ。」少女は眉を顰め、俺を凝視した。「鈍いにも程がありますわよ、ベニーモ。そんな事で、このアタクシを材にして、あのフィクションとやらを書いているなんて、信じられませんわ。」
「いや、だって、たかが舞踏会だよ。だけど、その…公爵令嬢をほぼ平民がエスコートして舞踏会に現れるって…その…俺が裏で重大な何か、その…公爵令嬢の弱みを握ってるっぽく見えない?」そう俺が言うと少女は噴き出した。
「それで良いじゃないのよ!あなた、実際にあの娘の弱みを握っていらっしゃるの?ま、それはないでしょうね。そもそも、周りはあなたの方から公爵令嬢にエスコートを依頼したなどと、先ず見ませんわよ。あなた、ああいう話をお書きになれるのに、何故エスコート依頼の意図が解らないなんて…ああ…いやですわ、あなた。身分差を意識し過ぎていらっしゃるんだわ。」
「どういう事だ?そりゃ身分差は意識するよ。俺、高位貴族と接点なかったし。」俺は目を瞬いた。
「いい?ベニーモ、これはね、公爵家があなたを…そうね、解りやすく言えば保護下に…もっと言えば派閥に入れるという宣言よ。きっかけがあなたのフィクションにあるのですから、これはあなたのフィクションを公爵家が支援する、もっと言えば独占するという宣言でもありますわね。つまり、あなたのフィクションには如何なる他家からの横槍は許さないという、まあそういう意味合いもあるでしょう。まあ、ベニーモ。あなた、アタクシを材にした甲斐がありましたわね。」少女は得意そうに笑った。俺はその顔を見てゲンナリした。マジかよ。
「なあ、お前、本当に公爵令嬢?」俺は気づけばそう言っていた。
「は?まさか今更それを疑ってらっしゃるの?」少女の得意げな顔は呆れ顔に変わった。
「だって、名前だけ忘れてるなんて、やっぱりちょっと不自然な気がして…。」俺はゼネガー神父の話を思い出していた。名前を奪われた聖女の話だ。
「それは、アタクシもそのように思いますわ。でも、アタクシには公爵令嬢だった記憶はあるのです。」少女の顔が真剣になる。
「さっきの神父様は…名前を奪われた聖女の話をしてた。聞いてたか?」
「いいえ。それが何か?まさか、あなた…。」少女の顔は険しくなる。
「うん。お前、本当はその名前を奪われた聖女…つまり冤罪をかけられた公爵令嬢じゃなくて殺されかけた聖女の方じゃないかって思ったんだ。でも、それは…。」
「そんなワケがある筈ないでしょう!何の世迷い事をおっしゃるの?」部屋の空気が冷えていく。
「そうだな。世迷い事だよ。でもな。幽霊になって誰にも認識されないまま何年も何年も自己を保てた、正気を保てたなんて、ちょっと不可能じゃないか?お前が俺にしか見えないのも、お前が他の幽霊を見た事がないのだって、何だか不自然だ。でも、お前はあの殺されかけた聖女じゃない。やっぱり公爵令嬢の方だ。そして、多分、お前の名前も消されてしまったんだよ。」俺は一気にそう言った。少女は黙って俺の顔をじっと見続けていた。




