何故
「何故、そうお考えになるのですか?」俺は自分の声が震えているように思えた。
「ははは、ベニーモ。そんなに怖い話じゃない。これがそんなに怖い話なら、私などとっくに破門されてるよ。」レゼガー神父は俺の肩を豪快に叩いた。
「え?は?あの、破門、ですか?」俺はギョッとしてレゼガー神父の顔を見た。イタズラっ子のような顔だ。
「そうだな。先日の私の講話、覚えているかな?あれは聖書の解釈の問題の話だった。そうでしょう?」レゼガー神父はニヤリとした。
「あ、はい、そうでした。聖書は…読み返してはいません。すみません。」俺の声は小さかった。
「いいんだ、そんなのは。神学というのはね、結局、聖書をどう解釈するかという学問なんだ。ウーディ教の聖書は基本的に四版あるのは知ってるよね?初版に旧改訂版に新解釈版に新改訂版。私たちは新改訂版の聖書を元にウーディ教の信徒の皆さんに講話をしている。」
「はい、それは知ってます。初版はもう誰にも読めないと言われてるんですよね?古語で書かれているから。」俺は自分の手元を見つめた。
「その通り。ウーディ教も昔に比べれば、かなり寛容になったよ。だから、講話で聖書の解釈の話を私がしても平気になった。時代と共に、教会も宗教観も変わっていくもんなんだ。」レゼガー神父の表情は柔らかかった。
「聖女の話なら、ただの思いつきです。ただ面白そうかなって。あの話、書きながら考えてるんです。だから、今日も早速ガンズ先生やサンドリーニ先生に、話の設定の事、色々言われました。」俺がそう言うと、レゼガー神父は眉を上げ、俺の顔を覗き込んだ。
「ほう。ガンズ先生にサンドリーニ先生ね。ベニーモの話は注目されてるなあ。」レゼガー神父はクスクスと笑い「思いつきなのかあ、聖女は。」と顔を上げため息を漏らした。あの少女は見えてない筈だよね?俺もそうっと天井を見た。あれ?いなくなってる。
「面白いね。偶然なんだろうけど、あなたの話に出てくる聖女に似た人物が嘗て存在したんだ。」レゼガー神父は俺の顔をじっと見た。
「そうなんですか?」俺の心拍数は上がる一方だった。
「うん。公式には出て来ない人物だよ。天啓を得たと自称し、夢の内容が後に現実に起こったと主張した女性だよ。」レゼガー神父の目は俺の目から離れない。
「何という名の女性なんですか?」俺はレゼガー神父の目が怖かった。
「名前は知られていないんだ。公式には出て来ないのはそのせいもあるな。」レゼガー神父の口角は僅かに上がり、俺を見る目は上目遣いになる。
少し沈黙があった。レゼガー神父は俺の顔を観察するのをやめ、俺の机に視線を移した。
「ベニーモ。人間から尊厳を奪う最も手っ取り早い方法は何だか知っているかな?」その問いに俺の心拍数は跳ね上がった。何だ?何故そんな事を俺に?
「分かりません。裸に剥いて野晒しにするとか?」
「はっはっは。まあそれも有りかなあ。でもね、そんな手間はいらない方法だよ。」レゼガー神父の目がまた俺を捉え、そして次の言葉に俺は息が止まる心地がした。
「名前を奪うんだ。」
そうだ。監獄によっては入れられた人間は個人名ではなく番号を振られ、一切名前で呼ばれなくなる事がある。この場合は番号自体が名前代わりに機能するが、人間性が薄まる機能もある。これは少なくともエレブの文化に即すれば、人間の尊厳を奪ったとも言える。
「何故、その話を?」俺の顔は強張っていたに違いない。
「さっきの女性の話だよ。その女性はね、一旦は聖女として祭り上げられかけたが、世の権力者に弾劾され審問され、罪人として名を剥奪されたんだ。もちろん聖女でもなくなった。ブラナン王朝が倒される直前の話だ。まあ、この辺の話はサンドリーニ先生の方が詳しいだろうな。しかし、授業では絶対しない逸話には間違いない。そんな顔をしないで、ベニーモ。大昔の話なんだよ。」レゼガー神父は俺を安心させるように俺の肩を抱いた。
「いや、あの、何故その話を俺にするんですか?名前を奪うという話もそうですけど…。」俺は何だかとんでもない歴史の闇に足を踏み入れている感覚になっていた。
「ああ。そりゃあ、あなたの書いてる話がちょっと似てるからですよ。この女性の、まあ、事件とね。王太子への接近の仕方も似てますしね。名前を奪うという話は、まあ、何故この女性の名前が記録にないのかという理由だね。」レゼガー神父は微笑んだ。
「記録があるんですか?」俺は思わず目を見開いた。
「あります。私はてっきり、あなたがそういう文献を読んだのかと思ってましたが、やはり間違いだったようですね。何しろ、あの文献は気軽に読めるもんじゃありませんから。ああ、でも近々、あなたも目にする事が出来るかもしれませんよ。」レゼガー神父の微笑みが大きくなる。悪い予感がする。とんでもなく悪い予感だ。
「ヴェリセンタル家は王家筋だよ。知ってるよね?グレイシアがあなたの書いたものの写しを所望した。何故かはお解りではないかな?因みに、私はグレイシアの叔父だよ。」俺はもう気絶しそうだった。王家筋?レゼガー神父がグレイシアの叔父?何で姓名が違うんだ?写しをした意味?
「あの、それは…どういう事ですか?俺には…私には良く解らないのですが…。それに、神父様は名前が違いますよね?グレイシア様の叔父様というのは、私は今初めて知りました。」俺はパニックになっていた。
「ああ、そうだよね。レゼガーは私の母の元の姓なんだよ。出家の条件がそれだったからね。ま、私にもそれなりの事情があるって事だ。それよりも、ベニーモ。写しは無論グレイシアが個人的に所望したのはその通りだ。でもグレイシアがそれを独占して誰にも見せないと思うかい?」レゼガー神父はクスクス笑った。
「あ、あ、あ…。まさか。え?そんな事って…だって、あんな素人の書いた…えええええ?!ヴェリセンタル家は王家筋なのは、その、あの…えええええ?!」俺は頭を抱えた。そうだ。俺は高位貴族とは接点が無いと言っていいくらい、今まで何も無かった。なのに。何で急にこんな事に?考えてみれば、いや、考えるまでもなく、今、隣に神父様が、しかも俺のベッドにカジュアルに、俺の隣に座ってるのも異常事態じゃないか。
まさか俺、王宮に呼ばれるとか、無いよね?無い。無いって誰か言って。それは絶対考えすぎだって。あんな与太話、王家が関心持つなんて、ナンセンスだって。
「はっはっは。ちょっと脅かしすぎたかな。」レゼガー神父は俺の様子に大笑いした。
「お人が悪いです、神父様。」俺は胸を撫で下ろした。
「だけど、可能性は無くは無いよ。ライニも、この話を読んで驚いていたしね。」
「いや、その可能性はありませんよ、きっと。それで、あの、その罪人となった聖女の話はレゼガー神父様の他にもご存知の方が教会にいらっしゃるんですよね、多分。」俺は少しづつ落ち着きを取り戻した。
「そりゃね。ある程度の地位の修道士は知ってるよ。でも全員ではない。何しろ古い話だし、基本的に表には出ないからね。」
「また、話をしましょう、ベニーモ。」そう言ってレゼガー神父が俺の部屋から出て行った後、俺は呆然としていた。夕飯はまだだったが食欲が失せていた。罪人となり名前を奪われた聖女。暫くして俺の部屋の扉をノックする音が聞こえた。ディルソンの夕飯の誘いだ。ディルソンの顔を見て、俺は笑いが込み上げた。ディルソンの戸惑う顔が見えた。




