うふふ
「うふふ。凄いじゃない、ベニーモ。グレイシア様があなたのお話を認めたのよ。」アラウと俺はサロンを後にした。
「なんだかなあ。まさかグレイシア様がこんな話の写しを希望するなんてな。しかもまだ出だししか書けてないのに。」ゆっくりと階段を降りながら俺はため息を漏らした。
「もう!またため息?私、ベニーモのお話し好きよ。私もベニーモは才能あると思うわ。ちょっと独特だけど。」
「独特ねえ。それにしても、グレイシア様もエンリク様も、普段はあんな感じなんだな。」
「そうなの。特にグレイシア様には私も最初は驚いたわ。グレイシア様、今日はあれでも丁寧なのよ。」アラウは含み笑いをした。
「え?あれで丁寧?どういう事だ?」俺は目を瞬いた。
「何て言えば良いのかな?お転婆?」アラウは指を顎に当て首を傾げた。
「お転婆?だって気高い美貌の才媛って評判だよな、グレイシア様って。」俺たちは階段を降り切って通路へ出た。
「気高いのは気高いわよ、グレイシア様は。お転婆なのはそれとは別よ。それに見たでしょ?美女よ。眩しいわ。評判通りよ。」アラウは愉快そうに笑った。「で、どうするの?グレイシア様、多分もう使いを出してるわよ。」アラウは教室に向かいながら俺を振り返った。
「だよな。これ、断れないよな。」俺は頭を掻いた。
「断る選択肢はないわよ、ベニーモ。解ってるでしょ?」アラウは教室に入った。するとディルソンが俺たちに手を振った。
「どうだった?お前の話、気に入られたんじゃないか?」ディルソンの顔は褒美を待ってる犬のようだと俺は思った。
「写しをご所望よ、グレイシア様。」アラウがそう言うとディルソンは目を見開き大きく微笑んだ。何でお前がそんなに嬉しそうなんだ?
「凄いじゃないか、ベニーモ。やっぱりお前は何か違うな。」ラシャールは顎髭をさすった。
「もう俺訳分かんないよ。」俺は席について教室の黒板をぼんやりと見た。
「ちょっと気になるんだけど、ベニーモ、お前の話の豪爵令嬢って王太子と婚約してるんだろ?学園は何歳から入学する設定なんだ?このルミナール・フィディレテ学園と同じなら十五歳からだよな。そうすると婚約時期早すぎないか?」ラシャールは俺の顔を覗き込んだ。
「あ、うん。この学園と同じ…そうだな、同じだよ。まあ作り話だから、その辺は…。」俺はラシャールが意外に細かく俺の作り話を読んでるのに驚いた。
「そりゃそうだけど。時代もいつ頃をイメージしてるんだ?現代か?それとももっともっと昔なのか?昔なら十五歳で婚約者がいるのはあり得るよな。何しろ生まれる前から婚約者が決まってたなんて事もあったくらいだし。今じゃ考えられないけど。」ラシャールのその指摘に俺は何も言えなくなった。そうだ、そうなんだよ。婚約の話から考えれば、あの少女は少なくとも数十年前には亡くなっている。
「少なくとも現代じゃないよ。」俺がそう言うと同時に、先生が教室に入って来るのが目に入った。
午後の授業が全て終わり、俺は教室を出て学園の講堂の近くにあるウーディ教の寺務所へ向かった。写しというのは印刷の事じゃない。印刷技術は既にあるが、写しという場合は手書きの物の事だ。つまり写経のようなものだ。写経は、その様式が確立されているウーディ教の修道士専門の技術職だ。だから写しをするのは修道士という決まりがあった。そして写しを希望するというのは、写すその内容に一定以上の評価を与えたのと同義だった。俺の作り話、まだ出だしだけだし、周りに色々ツッコまれる有様なのに?何と言うか、理不尽?
「グレイシア・ヴェリセンタル様からお聞きしておりますよ、ベニーモ・マンカスター様。矢張り、ご自身でいらっしゃったのですね。」寺務所に入ると背の高い修道士の男が俺を出迎えた。俺が身分証を出そうとすると、その修道士は俺に近づいて「必要ありませんよ。ここではね。」とウィンクした。
「え?あれ?どうしてですか?」俺は身分証を引っ込めた。
「ここはウーディ教の寺務所です。身分に関わらず、どなたでも受け入れます。まあ、許可なくしては入れない場所も寺務所の中にはありますが、それはそれです。申し遅れました。私はライニ・フォンタスです。」ライニは俺に一礼をした。
「あ、初めまして、ライニ様。よろしくお願いします。」俺もライニに一礼した。「で、その、写しって時間かかりますよね?」
「その前に、原稿を拝見しても?」ライニは手を差し出した。俺は作り話を書いた紙を手渡した。ライニはそれを捲り、口角を僅かに上げ「この分量なら、一時間…ですかな。」と言い、俺の顔をじっと見た。
「それなら、ここで待ってても良いですか?その、写しがどんな出来になるのか見てみたいんです。」俺もライニの顔をじっと見た。ライニはニヤりとした。
「はは。そうですね、写しは直接グレイシア様の所へ届けますから、ベニーモ様が目にする機会は余りないかも知れませんしね。良いでしょう。でも、退屈ではありませんか?写しの作業場には、流石にベニーモ様をお連れするわけには参りませんので。」
「あ、良いです。待ちます。そこに座ってても?」俺は寺務所の片隅にあった椅子を指した。
「どうぞ。」それだけ言ってライニは寺務所の奥へ向かい、別の扉の向こうへ消えていった。
椅子に腰掛け、俺は寺務所の部屋を見回した。小ぢんまりしている。寺務所に入る事自体が俺には初めてだった。どの教会へ行っても寺務所に入る用など無かった。普通はそうだ。空気が冷んやりとしている。この部屋には今俺以外いない。確かに退屈だ。寝てしまいそうだ。
「あら、あなた。どうしてここに?」少女の声がする。俺は突然目の前に現れた少女に驚いた。
「うお。そりゃこっちのセリフだよ。お前、こういう所にも入れるんだな。」ここに他に誰もいなくて良かったと俺は思った。
「まあ。どういう意味なのかしら?入れますわよ、当たり前です。」少女はふわりと浮かび部屋を一周した。
「だって、お前、呪うんだろ?呪うようなヤツはこういう場所苦手じゃなかったか?」俺は呆れたように少女が部屋の中を周回するのを見守った。
「失礼ですわね。誰も彼も呪いませんわよ、アタクシは。そんじょそこらの悪霊と一緒にはなさらないで。」少女は俺の隣に落ち着いた。
「悪霊の知り合いでもいるの?」俺は浮かぶ少女の顔を見上げた。
「いませんわよ。でもきっといるんでしょうね、どこかに。アタクシの知らない場所に。」少女は虚空に視線を移した。
「で、お前は何でここに来たんだ?俺は写しを待ってるんだけど。」
「写し?何の?」少女が俺の前へ移動する。
「俺の作り話。」俺は肩を竦めた。
「まあ。ベニーモ。あなた大したものね。あのフィクションをもう完成させたの?」少女はくるりと一回転した。
「完成には程遠いよ。知ってるだろ。まだ出だししか書いてない。話を書くのに考えなきゃいけない事が多すぎるよ。何でこんなことになったのかなあ。」俺は肩を落とした。
「理由なら解りますわ。このアタクシが魅力的過ぎるからですわ。」少女が胸を張る。俺は額を押さえた。




