44話:彼は踏み出した
2人の戦士は少しの間、拳を武器に向かい合う。時間にすれば1分とない沈黙だが、2人は長く目を向けていたと思うほどに初動を探り合う。
道路の中央、ガードレールに挟まれる小さな川の流れる音がテンポを変えずに波打つ。
午後19時――各々の家庭から晩ごはんの匂いが漂う中、初めは気にもしなかった川の流れる音が、この世界の唯一の音のように思える。
ちょろちょろ、と流れる川の音が途切れた瞬間――2人は互いに飛び込んだ。
自分の左頬に赤い線が刺さった作見は、回避しつつ己の拳を決める想定で赤い線を避けるために頭を低くするが、赤い線が消えることはなかった。
作見の魔術は相手の絞った敵意、すなわち攻撃が赤い線として認識することができる。その赤い線を体から外すことができれば、攻撃が当たることはない。
だが、赤い線を避けたのにも関わらず赤い線が残っているということは、
「ヴッッ!?」
赤い線が消えなかった作見の動作が意味を為す事はなく頬に重い蹴りを喰らった。
住宅を囲む煉瓦に打ち付けられた作見は、勢いよく息を吸い込み、一瞬呼吸が出来なくなる。
打ち付けられた煉瓦がひび割れて崩れていく。幸いその家に誰もおらず、気付かれることはなかった。
「ゴホッゴホッ! クソ……速いな」
なんとか咳をして呼吸を整える。口の中が切れた作見は血をペッと吐いて、蹴られた頬に手を当てる。
速いということはそれ相応の威力だ。しかし、作見はあまりダメージを感じてはいない。これまでの戦いで受けた打撃や海里の拳の方がよほど重い。
あのスピードは厄介だな。奴の攻撃に決定打がないとしても、俺の攻撃が当たらなかったら意味がない。あいつの魔術を当てる必要があるな。
「お前のその目、魔眼タイプだな」
シカバネはつま先をトントン、と地面について似合わないメガネをクイッ、と上げる。
「だったら?」
「魔眼ってのは、珍しい部類の魔術だが、危険度はそこまで高くない。魔眼の強みは認識であって、攻撃力ではない」
「………」
作見は自分の魔術を最大限活かす術を知らない。相手の言葉に耳を傾けて、黙りながら内心で納得する。
「ということは、貴様は大した攻撃手段を持ち合わせていないということだ」
シカバネが一歩踏み出した時には既に作見の背後を取り、耳元でそう囁いた。
「はっ!?」
作見は咄嗟に右手を薙ぎ払うが、命中することなく、目の前に再び移動している。
なんなんだ、奴の魔術は。
「お前の魔術に魅力を感じない。ここは見逃すから帰ってくれないか?」
シカバネは端に置いたカバンを拾って去ろうとする。
「は?逃すわけねぇだろが!」
シカバネのその言葉に作見は血眼になって激昂した。
戦闘が長引けば、EXTRAが来るかもしれない。それは避けたいが、こいつ--諦める気配はないな。
「なら、とっとと片をつけるだけだ!!」
シカバネは再び振り向いて拳を構える。
作見も臆せず拳を構えるが、このままでは勝ち目がないことはわかっている。作見は奴の魔術について考える。
速い——ただそれだけだ。動きが速いということは足を使うということだ。奴の足を止めさえすれば、攻撃が当たるはず。
「なら……」
作見はある作戦を思いつく。
シカバネは目の前から消え去り、作見のみぞおちに拳が直撃する。しかし、その拳の動きは作見にはお見通しだ。
作見は攻撃が来る部分に魔力を集中させてダメージを最小限に抑え、吹っ飛ばされることはない。
ニヤッと笑みを浮かべて作見はシカバネの腕を掴む。そして、右手で拳を振るうが、掴んだ腕にとてつもない衝撃が走り、作見はシカバネの腕を離してしまった。
腕を振り解くように振ったシカバネは、なんとか攻撃を避けて後ろに下がる。
焦っているのかシカバネは小刻みに目を震わせる。
「今の奴の動き……」
先ほどの攻防の中でのシカバネの動きを見た作見は違和感を覚える。特におかしかったのは筋肉の動きだ。
魔力を纏った腕を振り払うには相当な勢いがなければ不可能だ。奴はそれを予備動作なしで振り払った。まるで予備動作を省略したように。
それと速さがどう関係してくるか——
「まさか……!!」
確定とは言い切れないが、作見は奴の魔術が何なのかわかった気がした。
作見は口元を綻ばせて距離を詰める。
慌ててシカバネは攻撃に入る。しかし、いくら速いといえど——作見にはどこに攻撃が来るか、わかる。奴は魔眼と見抜いていても、その特性までは理解していない。
左頬に拳が突き刺さるが、瞬時に全魔力を左頬に集めた作見には痛くも痒くもない。だが、少し首を曲げて左目を閉じてダメージがあるように見せかける。
作見はすかさず、左足で奴の足を蹴り上げて宙に浮かせた。そして作見はシカバネの左腕を握りしめる。
その瞬間、シカバネは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で作見の目を見た。
「まさかこいつ……俺の魔術を——」
そして、作見は右手に魔力を集中させて奴の土手っ腹に拳を叩きつけて、地面に激突させた。
叩きつけられた地面はえぐれるように割れて、シカバネは大きく血を吐いた。
奴の魔術はおそらく瞬発力、そう仮定した作見は足場をなくせば高速移動も使えない。そのため宙を浮かせる戦法をとったが、大正解だ。
「ふぅ、」
作見の拳には大量の血が付いている。腹を貫く勢いで拳を振るったことで、奴の腹は少し穴が空いていた。これで、もう機敏な動きはできないはずだ。
「何とかなったな……」
息を切らしながら、白目を剥いたシカバネがもう動けないと断定した作見は放り投げられた黒い手袋を探しにその場を離れる。
地面に叩きつけた音で周辺住民が驚いて外に出てこないか心配しながらその辺に手袋が落ちていないか探す。
「くそーねぇ。あいつどこに投げたんだよ」
携帯のライトで照らしながら隅々まで探すが見当たらない。
「きゃあぁーー!!!!」
「——なんだっ!?」
後ろから悲鳴が聞こえた作見はすぐに振り返って向かった。そこには息を切らして血を吐いたシカバネが、一人の女性の首を持って突き出していた。
「ッッ!?お前!!」
作見は悄然とした面持ちで歯を鳴らす。
クソ……俺が目を離したりしなければ。
判断を間違えた作見は、間違えたことにしないようにどうすべきか頭を回す。
しかし、打つ手はない。完全に詰んでいる。この状況で掴まれた女性を五大満足で取り戻すことは、正直できない。その思いが脳内を巡る。
助けを呼ぶべきか。頼るべきか。いや、それをしては、自分のためにならない。これは俺の仕掛けた戦いだ。何とかして俺が奴を止めなきゃいけない。
「はぁ、どうした?動けないか?」
シカバネは拳を受けた腹部から血が止まらない。このまま待てば自滅する。
「クソが、調子に乗りやがって」
内心そう思うが、それは奴に向けてではなく、自分に向けてそう言ったのかもしれない。
「今すぐ、その肉体を渡せ。そうすればこの女は助けてやる」
シカバネは時間がない。今いる男の肉体はもうすぐ死ぬ。この女性の肉体を奪ってもいいが、魔術を持っていなかった時、再び作見にやられるだけだ。
なら、この女を囮に作見の肉体を奪うのが最善だと考えたシカバネはゆっくりと作見に近づく。
「………」
「沈黙はOKと捉える」
あの人を助けるためなら、俺の体を差し出して解決するなら仕方ないかもしれない。俺が音を立てなければあの人は外に出なかったはずだ。俺があの人を危険に晒した。
(ここまでか、誰かが俺を早く倒してくれることを祈るか……)
作見は跪き、俯いて少し笑った。
いや、そうじゃないだろ。
——俺は諦めない。
作見は左耳にそっと手を当てて、
「助けて」
静かに呟く。
すると、シカバネが女性を握っていた腕が切断され、倒れそうになる女性を咄嗟に作見が支える。
「やっと、誰かを頼ったね」
切断された手を押さえながらシカバネは前方に現れた二対の短剣を持った少年を睨みつける。
「ごめんない永遠くん。俺じゃ——」
「謝る必要はないよ。ここで助けを求めて、仲間を頼った君は確実に成長してる」
永遠は背中を向けて語る。
その言葉を受けた作見は魔術師として、次のステップへと踏み出した気がした。




