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ダブルワールド  作者: 東城陽一
第二部 2章:EXTRA

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50話:全てを失った日

 永遠は階段を下っていると、香ばしいスパイスの匂いがしてくる。今日の夕飯はカレーだろう。  


 「ただいま、永遠」


 やはり帰ってきたのは父さんだった。黒いスーツを着こなして、赤いネクタイを解いている。


 「お風呂がご飯どっちにする?」


 梨花はカレーをぐつぐつさせているお鍋をゆっくりかき混ぜているということは、もう時期完成だ。


 「じゃあご飯から頂こうかな」


 流合真斗はぎえまさと――永遠の父であり、ごく普通の会社員である。真斗はキッチンのそばにある椅子に腰掛けて、カレーを待つ。


 永遠も真斗の前に座って、机に肘をつく。カレーを待ちながら、蓮のことを考えていた。すると、突然真斗は口を開いた。


「今日も昼に起きたんだって? さっき母さんから聞いたぞ」


 説教が始まった、と誰しもが思う話し出しだが――その声は撫でるように優しかった。


 ――永遠は知っている。この人は決して声を荒げないことを。


 「眠かったから、つい」


 机に肘をつくのをやめて、真剣に父と向き合った。優しくされると逆に罪悪感が込み上げる。自分でもよくないことをしている自覚はある。永遠は申し訳なさそうに太ももに両手を挟んでもじもじする。

 

 「寝る子は育つ。まさにそれだね」

 

 「ちょっと! ちゃんと叱ってよーー」


 カレーライスをふんだんに盛った楕円形のお皿をゴン、と机に置いた梨花はご立腹だ。少しカレーが跳ねて滲んでいる緑のエプロンはお気に入りだ。


 「僕の座右の銘は、『人に優しくあれ』だからね」


 「だからって……」


 食欲そそる匂いが鼻周りに充満し、真斗も永遠も梨花の話をあまり聞いていなかった。


 「「いただきます」」


 2人は挨拶をし、夕ご飯であるカレーを頬張る。呆れ果てた表情でキッチンに戻った梨花は自分の分のカレーを入れて真斗の隣に鎮座した。


 「まあ話を戻すと、永遠はちゃんとわかってるから心配ないよ」


 「そうね……永遠が元気でいてくれるのが、あたしらの幸せだよ」


 真斗の異様な雰囲気に呑まれた梨花も穏やかになる。そう言ってくれる両親の言葉に、永遠は食べる手を止めて、静かに微笑んだ。


 この空気が好きだ。この暖かいやり取りが好きだ。2人はちゃんと導いてくれている。だけど、できないのはなぜなんだ。意志の弱さ、自分に甘えているだけかもしれない。


 胸が痛くなる。

 

 ちゃんとしなきゃ――そう思う毎日を過ごしてはいるが、行動に移すことができないままだ。永遠は机の下に隠した左手を強く握った――まるで決心したかのように。


 明日は少し、頑張ってみようかな。


 

 こんなにも大事にしてくれる人がここにいるのだから。


            ◇

 「永遠ーー! 起きなさーい!!」


 ドンドンドン、と梨花の高い声と、階段を駆け上がる足音が部屋から聞こえる。ガチャ、とドアノブが回り、


 「永遠――」

 と言いかけたところで、思わず言葉を止めてしまった。


 「おはよう、母さん」

 梨花の視界に映ったのは、ベッドの上で状態を起こし、窓から外を眺める永遠の姿だった。


 驚きで言葉を失っていたが、梨花はすぐいつもの調子に戻る。


 「起きてるなら降りてきなさい」

 そう吐き捨てて、梨花は階段を降りていった。2回目で起きてくれたことが嬉しかったのか、いつもより声が弾んでいた。


 そんな梨花の様子を見た永遠は、吐き出すように微笑んだ。


 ――午前9時30分。


 1階に降りると、珍しく真斗がリビングでテレビを見ていた。永遠は頭を傾けて、「父さんも遅刻か?」と思うが、無視して食卓に並んでいる食パンを手に取った。


 「今、父さんも遅刻か? って思っただろ?」


 真斗を凝視していた永遠の視線はそう考えていると読み取った真斗は立ち上がって、永遠の頬を伸ばした。


「うわ゙ぁぁぁ」


 両頬を伸ばされた永遠は声を出しながら、普段出せない発声を楽しんでいる。真斗も真斗で息子の頬を触るというのはとても楽しい。


 「父さんは、今日有給を取ったから仕事はないんだよ。永遠が帰ってきたら、3人で外食でもしよう」


 真斗は笑顔でそう言った。そして、永遠の頬をパンパン、と優しく叩いて、元いたリビングのクッションに腰を下ろしてテレビのチャンネルを変える。


 外食ができることに、心の中でガッツポーズをしまくっていた永遠は、食パンを完食して制服に着替える。


 「そういえば――今日は蓮くん来なかったね」

 玄関で靴を履く永遠の後ろに立ち、梨花はそう言いながら、肩にかけているエプロンで手を拭く。


 「風邪でも引いたんじゃない?」

 そうゆう日もあるだろ――と特に気にする様子もなく、永遠は扉に手をかける。


 「いってらっしゃい」


 「……いってきます」


 この時間帯に登校すれば、学校に到着するのは、おそらく1限終わりか、2限始まりくらいだろう。いつもは5限に登校している永遠がこの時間に登校したとなれば、学校の新聞部でも動き出すんじゃないか、と変な想像をしながらてくてく歩く。


 学校の正門に来たところで、永遠は違和感を覚えた。


 「空気が悪い気がする……」


 そう呟いた瞬間――チャイムが鳴り響く。


 2限が始まる合図だ。急いで校舎に入ろうとしたところで、永遠は足を止めた。正門を潜ってすぐ右手にある職員室の窓ガラスが赤黒く、何かを溢したように雫が付着しているのに気づく。


 それにすごく静かだ。まるで誰もいないかのように、風の音だけが校舎を包む。


 --胸騒ぎがする。


 急いで校舎内に足を踏み入れた永遠は、再び――足を止めた。永遠が感じたのは、とてつもない異臭だ。咄嗟に袖で鼻を押さえてしまった。


 この臭いに覚えがある。臭いというより味と言うべきだろう。その味が、鼻で感じ取れるほど濃い空気になっている。


 そう――これは、血の臭いだ。


 遅刻者はまず職員室に行かねばならない。永遠は足を進めて、職員室の扉の前に立つ。扉のスライド部分は赤黒く、少しの段差から数滴垂れている。


 扉の向こうに何があるのか、どのような光景が広がっているのか、12歳ながら――容易く想像できてしまう。


 ここに突っ立っていても何にもならない。永遠は、いつも通りに扉を開けた。


 目に映ったのは――赤。


 何人もの教師がただの肉塊に成り果て、命の雫を垂れ流している。永遠はその光景に動じない。室内へと足を踏み入れると、横たわる人、机に身を置く人、壁にもたれかかりながら座る人達が、人とは呼べない姿となっている。


 その景色は、永遠の瞳から光を奪った。


 「流合……さん」


 少し下の方から声が聞こえた。その声は担任の先生のものだ。いつもかけている丸メガネをしておらず、頭から血を流している。


 息を切らしながらもたれかかり、涙を流している担任の先生の側まで行くと、左腕が千切れていることに気づく。


 「…………」

 永遠は無言でしゃがみ込み、先生の表情を見る。


 「はぁ、はぁ……今日は少し……早い……で、す、ね」


 先生は残った右腕で親指を立てる。


 「これな……ら、次……はもっ……と――」

 最後の力を振り絞った先生の最後の言葉だった。力を失ったように右腕は落ち、首がガクッと下を向き、目は開いたままだった。


 先生がこの状態で永遠を認知していたかはわからない。だが、最後の言葉を聞いた永遠は、自然と涙が溢れていた。


 永遠は先生の目をそっと閉じる。


 そして、職員室を跡にした永遠の白い靴は赤く染まっていた。自分の教室に向かう途中の廊下も赤く染まっている。1組、2組、3組の扉は開いており、中の様子を見なくても容易に想像がつく。


 職員室同様に、死体の山が散乱し、血の海になっている。廊下を歩く時に普段は鳴らない、ペチャ――と言う足音だけが残り、その音が永遠を不快にさせる。


 自分の教室である4組の様子も、他と変わりはなかった。中に入ると、土手っ腹や脳天に何かで撃たれたような小さな穴がみんなにあった。


 クラスメイトの顔を1人ずつ確認しながら、永遠はあることに気づく。


 「蓮がいない」


 ここで母さんの言葉を思い出した。


 (そう言えば、今日は蓮くん来なかったね)


 永遠はハッとして、教室を飛び出した。


 「考えすぎであってくれ!」

 廊下を突っ走り、校舎を出ようとする際に見えた2階への階段もペンキで塗られたように赤くなっている。


 「クッ……」


 瞳を震わせながら足を止めたが、すぐに校舎を飛び出す。大して使ったこともない魔力を身に纏い、ぶっ飛ばして家に向かう。


 すると、家の玄関ドアが開いている。それが永遠を震え上がらせた。家の扉に手をかけると、鍵が開いている。


 家の中から――学校と同じ匂いがした。


 中へ進むと、リビングの電気は消え、外の明るさで部屋の中が照らされている。


 「嘘だ……」


 永遠の目に入った光景を理解したと同時に、嫌な汗が全身から吹き出し、過呼吸になる。

 床には真斗と梨花が重なり合って腹部から大量の血を流している。


 そして、その側に椅子を置いて座っている少年がいた。


 「よう、遅かったな。いや――早かったな」

 足を組みながら、椅子に座っていたのは――蓮だった。


 永遠には何も聞こえない。心拍数が極限まで上昇し、鐘でも鳴ったように心臓がおかしくなりそうだった。


 この瞬間――永遠の脳内に溢れ出したのは、覚醒した魔術だった。

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