48話:2人の後悔
零花と麻希薙--佇む2人のこの空間に重い緊張感が漂う。まさに一触即発の雰囲気だ。
「先輩には……感謝してます。けど、これは私の、私自身の問題です」
零花は麻希薙の目を見ていない--見ることができないの方が正しいかもしれない。俯いた零花は瞼を小刻みに震わせている。
「そうだね……私は、あの時気づいてあげれなかった。今でも後悔してるよ」
麻希薙はいつもより声のトーンを落とし、うっとりと目を細くした。あの時のことが映像で脳内に流れている。
「私もあの子と重ねてる節はあるよ」
「別に、私は重ねてなんかいませんよ!」
零花は強く否定するように右足を前に出して、右手を振り払った。その表情は、まるで答えを言い当てられたように焦りを感じる。
「……ならどうして、ここに来たの?」
寄り添うような優しい声と柔らかい表情で麻希薙は問いかける。
「……」
零花は答えることができない。
その沈黙は、柏木作見という人物を少なくとも気にかけているということだ。
そのことを悟った麻希薙はゆっくりと歩き出す。
「私も変わらないと……とは思ってます――」
「変わらなくていい。自分に胸を張れる生き方ができればね」
麻希薙は零花の横に立って優しく囁く。自動ドアのセンサーが反応してドアが開き、ドアを跨いだ麻希薙は振り返って、
「作見が再びあんたの前に来た時が――前を向くきっかけになるかもね」
と言葉で背中を押して、12階を跡にした。
「はぁ……」
ため息をつき、休憩スペースにある喫煙所にはいる。内ポケットからタバコを1本取り出して、火をつける。
大きく一口吸った後、零花は作見の諦めの悪さを思い出していた。その間――タバコは吸わず、煙がただただ立ち上がり、半分ほど灰になっていた。
喫煙所の壁にもたれかかり、再びタバコ吸い、少し顔を上げて煙を吐く。
そして、タバコを捨てて喫煙所を出て立ち止まった零花は一言呟いた。
「私はどうするべきかな……咲㮈」
◇
汗を流しに11階に降りた作見は、脇腹を抑えながらドリンクバーまでてくてく歩く。
「いてて……」
ズキズキとした痛みが脇腹から肩や股関節付近にまで広がり、右手で水を汲んで飲む。
「作見!」
水分補給をしている作見の後ろから声が聞こえた。振り返ると、そこにいたのは永遠だ。
「永遠くん、どこ行ってたんですか?」
「いやぁ〜今世紀最大の腹痛が押し寄せてきてね、ずっとトイレに篭ってたんだよ」
大嘘である。本当は稽古が終わるまで、この11階の休憩スペースの畳でテレビを見ていただけだ。
とてもじゃないが、千咲が怖くて逃げたとは言えない。
「えぇ!? 大丈夫なんですか?」
嘘丸出しな回答に作見は本気で心配してくれる。可愛いやつだな、と永遠は目を閉じて鼻で笑う。
「僕より、作見の方が大丈夫に見えないよ」
脇腹を押さえ、鼻と口元の血痕、埃だらけな正装、誰が見ても心配されるのは作見の方だろう。
「千咲さんが強すぎて……」
「まぁそうだろうね……」
2人して目を合わさずに千咲のことを思い浮かべて青ざめている。
永遠は作見の方にポン、と触れて――傷を元通りにした。
「これで、明日の稽古も万全でやれるね」
「は、はい! ありがとうございます!」
傷も治り、水分補給を済ませた作見は永遠と共に男風呂へと向かう。
「そう言えば――夏休みの間は千咲さん毎日来てくれるみたいですよ」
ロッカールームで服を脱いでいる永遠は、信じられない報告にズボンを脱ごうとして片足を上げたまま倒れる。
「う、嘘でしょ……」
「まじな顔でしたよ」
永遠は立ち上がってズボンを脱いでロッカーにしまう。全裸になって、フェイスタオルを肩にかけ、右手で顔面を覆い尽くすように目を押さえる。
何してるんだ、と作見はその様子を眺めながら、扇風機の風の音と浴室から聞こえてくる、お湯の流れる音が大きくなったような気がした。
「明日……僕の足が自立してどっか行くかもしれないから、稽古出られないかも」
「なにいってんですか?」
作見は困惑した表情で、永遠の言動の意味不明さに、浴室に向かう足を止めてしまった。
「戦おぜ、って絶対言われる。拒否できない。ボコボコにされる。痛い。嫌だ。怖い。恐ろしい女!」
全裸の少年が震えている姿が見るに堪えない。それに、こんな弱気な永遠を見るのは初めてだ。
「意外と優しいですし、美人な方ですよ」
早く湯船に浸かりたい作見は背を向けて、諭すように言った。浴室に行ってしまった作見を追いかけて、永遠も浴室に向かった。
そして、2人は隣合わせで座って体を洗う。
「作見はわかっていない。僕と星一が何度コテンパンにされたことか!」
「あはは……」
珍しくうるさい永遠を宥めるように作見は笑う。
「星一って人の名前がよく出ますけど、やっぱりすごい人なんですか?」
全身泡泡になりながら洗っている永遠は桶にお湯を入れて洗い流した。その姿はまるで毛深い羊のようだ。
「すごい……か。それは実力がってこと?」
永遠はもう一度桶にお湯を溜め、フェイスタオルを入れて洗いながら答える。
「それもそうですし、どんな人なのかなって」
作見は曇った鏡に向かってお湯をかけて霜を取り、洗顔をしている。
「実力は本物だよ。六要に数えられるくらいだからね。それに仲間思いだ――多分一番ね。後は器用そうに色々こなすけど、案外不器用な奴かな」
「へぇ〜それは会ってみたいですね!!」
2人は体を洗い終わり、浴室の中央に位置する一番大きな浴槽に肩まで浸かる。
「いつ帰ってくるかはわからないけど、そのうち会えると思うよ」
「司くんからはシークレット任務って聞いたんですけど、実際にはどこへ?」
「あ〜〜」
永遠は眉間に手を当てて言ってもいいか悩んでいる様子だ。
「まぁいいか。星一はここから遥か南の大陸に行ってる。協力者を探しにね」
「協力者?」
「歴代の魔術師が残した文献には、南の大陸に何人もの魔道士が実在するって書いてある」
永遠は立ち上がって作見を見下ろし、サウナの扉を親指で指をさす。
作見もそれについていき、2人はサウナに入る。
木製の扉を開けると、同じく木製の椅子が長くあり、二段構えになっている。テレビもついており、熱々の石が端っこの方に積まれていた。
「魔道士ってなんなんですか?」
真ん中の2段目に座った2人は会話を再開する。
「魔道士は魔術じゃなくて、魔法が使える。魔法は火とか水とか、主に自然の力を行使できる」
作見はこの話を聞いてあることに引っかかった。
「シカバネも……」
「そこが謎だよな〜あいつらもたまに火とか使うし」
作見はこれまで魔術を使う個体と――魔法のような炎を使う個体と遭遇したことが、この疑問を生んだ。それは永遠も同じだ。
「魔道士って信用できるんですか?」
「さあね、でも僕は星一が連れてきた人は信用する」
「永遠くんがそこまでいうなら、大丈夫そうですね」
その言葉に永遠は穏やかな横目で作見を見つめる。
そして、なぜか――星一と初めて会った時のことを永遠は思い出していた。
◇
「こらぁ!! いつまで寝てんの!!」
もう鳥の鳴き声も聞こえない時間帯に、勢いよくドアを開けた女性はベッドで熟睡している永遠を起こしにきた。
「ふぇ〜〜まだ12時じゃん」
寝ぼけながら目覚まし時計を確認した永遠は、もう一度布団に潜り込む。
ベッドは溢れそうなほど、動物のぬいぐるみが置いてある。隣にある勉強机には、夜中までやった宿題が開いたまま放置されている。
「もうだよ!! 4回も起こしに来たんだから、いい加減起きて昼からでも学校行きなさい!!」
「うう〜」
これが、平日の流合家の日常――これは12歳の永遠が魔術師になるまでの物語である。




