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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第五章(最終章):未来キャンバスと、素顔の肖像画(ポートレート)

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第89話:情念の解像度、あるいは「再会の仮説」

照明が最低限の静かなアトリエで、黙々と鉛筆を走らせる。


日立先生にお願いして、レッスン後の数時間、アトリエで塩浜さんの依頼、奥さんの肖像画作成に取り組ませてもらっている。


レッスン後は、教えてもらったことが手に残っているし、集中した状態で取り組めるから、家でやるより手応えがある。


外を通る車のヘッドライトの光が窓を通して、大型のイーゼルを照らした。


手を止めて、ため息をつく。


「瑞恵さん……俺はあなたに会えるでしょうか……?」


イーゼルにクリップ止めされた、色褪せた写真のカラーコピー。


その中で快活に笑う、若い女性に話しかける。

塩浜さんの奥さんである瑞恵さんである。


元県議会議員で、この絵画教室の生徒さんでもある塩浜さんから、俺に「瑞恵さんの肖像画を描いてくれ」と依頼されたのだった。

塩浜さんがいうには、日立先生やつくばさんには描けない「質感のある作品」を俺が描けるという。


『君の作品……全てではないが……

気持ちがこもったものがある……

匂いや色……要するに、質感のある作品だ』


『君は……君自身に宿る才能に、もう少し自信を持ちなさい』


塩浜さんの言葉を思い出す。

かつて「茨城のドン」と言われた老人の目は真剣で、俺の思いなど軽々しく口に出せない圧があった。


「……うぅっ……ふぅ」


ずっと力んでいたのだろう、気がついたら肩が妙に重だるい。

アトリエに誰もいないことを良いことに、水泳のバタフライみたいに大げさに腕を回す。


アトリエの天井を見上げる。


正直、自信がなかった。

断るつもりだった。


塩浜さんが俺のことを好意的に見ていることは、とても嬉しかった。

だけど、日立先生やつくばさんを差し置いて、中途半端な俺がそんなことを受けるべきじゃない、と思った。


しかし、そんな弱腰の俺の背中を突き飛ばすように押してくれたのは、二人の『ファン』であった。


『断ろうと思ってるのに、なんでそんなに『描きたそう』な顔してるの?』


俺の手を包むように握り、俺の心を見透かしたように尋ねる陽菜。


『……大丈夫。ともくんなら描ける。私が保証する』


まっすぐな瞳で俺を見据えた恋人は、一切の迷いなく断言したのであった。

恋人はまるで迷いはなかったが、当の本人である俺は、まだ迷っていた。


絵画はド素人である陽菜の言葉は、俺には身内びいきなような気がしてならなかったのだ。


いわゆる、恋人補正、というやつである。


しかし、もう一人のファンが、後ろ向きになることを許してくれなかった。


『でも……これだけは、誉田くんに伝えたかったのです……

あなたの作品が、大好きです』


図書室で震える声で俺に伝えた、鈴江ちゃんの想い。


『そして……あなたが、唯一無二の才能を持っている、ということを……』


こんな俺のことを信じてくれる人がいる。

スマホ越しではない、生身の鈴江ちゃんが伝えてくれた、輝くような「いいね」。


「鈴江……ちゃん」


ズボンのポケットに手を置き、定期入れの感触を確かめる。


『これは……私が幼い頃から使っている栞です。

……誉田くんに、差し上げます』


鈴江ちゃんの一部とも言える、大切な栞。

本に挟む気になれなくて、俺は定期入れにいれて折れたり曲がったりしないようにしている。


『ご理解ください。あなたは……

私にとって()()()()()、なのです』


図書室での、たった一人のファンミーティング。


陽菜にこの栞が見つかったら大変な事になるのはわかっている。

でも、陽菜という恋人がいる事を知っていてもなお、自分の想いを伝えてきた鈴江ちゃん。


俺は彼女の気持ちを粗末にすることなんかできなかった。

ズボン越しに定期入れを軽く握る。


鈴江ちゃんと手を繋いでる気がした。


『私にとって、あなたはもう、モブなんかじゃありませんから』

【担当:誉田灯(情念の画家/高校生)】

「ともくんなら描ける」という陽菜の言葉も、「大好きです」という鈴江ちゃんの想いも。

今の俺にとっては、背中を突き飛ばしてくれる最強の「熱」だ。

ポケットの中、定期入れに忍ばせた古びた栞。

ズボン越しにその感触を確かめるたび、俺は一人じゃないと確信する。

さあ、発掘を始めよう。モノではなく、瑞恵さんの「魂」を。


次回、第90話『銀さんの「たたかれ台」と、仕事の流儀』 完璧なんていらない。まずは、叩かれてボロボロになるための「隙」を晒すんだ。

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