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【情念の画家】地味な僕のフェロモンと筆ペンで、彼女たちの理性が限界突破する件  作者: 船橋ひろみ
第四章:黄昏の職人と、捏造された昭和

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第77話:仮面の看板娘と、醒めた僕

汚れ塗装を落としながら、スタッフみんなで行った慰労パーティーの事を思い出す。

会場であるモールの多目的ホールには、立食形式のテーブルが並び、白いクロスの上には色とりどりのオードブルが盛られていて、溶剤の臭気とは対照的に、美味しそうな料理と少し高そうな香水の匂いがした。


描き込んである水垢汚れを拭いていく。

大盛況のグランドフィナーレを迎えて、いつもより早く閉館した横丁。


俺たちスタッフは、感傷にひたる間もなく、バタバタと慰労パーティーに移っていった。

今回のプロジェクトに関わったモールやテナントの偉い人はもちろん、市役所や教育委員会の人たちまで来た。

そんなわけで、日曜なのに俺たち学生は制服、大人の人たちはかしこまった格好で出席させられた。


稲毛先生への報告用に会場の様子をちょこちょこメモしていたのだが、時折ペンを動かす手が止まるほど、同世代の彼女たちは輝いていた。


日立先生をサポートしながら、キャストとして案内所で来場者をさばいていたつくばさんは、日立先生といっしょに、モールの重役たちに囲まれていた。


横丁そのままの、物怖じしない笑顔。

案内所のバックヤードで俺に見せた顔とは全く別の、社交的な笑顔と受け答え。

彼女の周りのおじさんたちの顔が、あっという間にメロメロに溶けていく。


カタン。


溶剤の一斗缶を傾けて、ウエスに溶剤を浸す。


岩瀬さんは相変わらず、岩瀬さんだったな。

目立つ様子はなかったけど、存在感のある彼女は、小机さんの近くでオレンジジュースをちびちび飲みながら、鋭い眼光で会場全体を観察していた。


きっと脳内で、参加者の相関図や感情パラメーターを分析しているに違いない。


招き猫のお腹周りをざっと見回して、拭き取もらしがないか、指さし点検する。

この点検は、銀さんから教わった「仕事が上手くいくおまじない」だ。


「あとは……足と台座かな……」


ウエスに溶剤を再び浸して、かがみ込んだ。

台座に施された波の模様が、パーティー会場のテーブルクロスを想起させる。


典子先輩と田辺先輩は、ずっと教育委員会関係のテーブルで、色んな人たちと話し込んでいた。


もともと実践的な物販をしている小見山高校の購買部。


そのエース級の二人が駄菓子屋を担当し、驚異的な売上をあげたことは、関係者には周知の事実だった。

二人の傍らには、購買部の顧問の八重樫先生。二人に話しかけてくる大人たちの間に入って、上手く取り持っているみたいだった。


華奢な感じだが、意志が強そうな女性、という印象だ。


しっかり名刺交換しているあたり、偉い人に縮こまっていた保土ヶ谷さんや小杉部長よりよほど「場慣れ」している感じがする。

やはり、典子先輩は俺にちょっかいを出すなら、田辺先輩の隣で笑っていて欲しい。


「俺は……もうあの中には入れないな」


独りつぶやいて、拭き終わったウエスを使用済み入れに放り込む。

この仕事で大人たちの世界を覗いたためか、最近はクラスのノリに気持ちがついていかない。

どこか居場所がなく、醒めてしまった俺がいる。


ゴソゴソと足元に散らばる別のウエスを手に取る。

たまたまだが、青いウエスだ。

溶剤をしみこませると、陽菜のジャージと似た色になった。


俺は、少しだけ白くなった指先で、招き猫の「左手」を撫でた。


人を招く、その手。


昨日のパーティー会場で最も人を招き、その視線を集めていたのは、間違いなく陽菜だった。

俺と同じく制服姿であったが、体育会系らしく、ハキハキと受け答えする彼女は、文字通り「横丁の看板娘」だった。

そういう場面に慣れているのだろう、来賓の大人たちや、はしゃぐキャストさんたちに囲まれても、嫌な顔ひとつせず笑顔を振りまいていた。


さすがは「陸上部の次期エース」の振る舞いと言うべきか。


丁寧に汚れ塗装を拭き取りながら、台座を一回りする。

少し気になる場所が見つかった。

かがみ込んでウエスで拭き取る。


「だけど……」


俺は見てしまった。

幼なじみを囲む人垣が途切れた隙間に、素顔の陽菜に戻った瞬間を。


みんなを眺めながら会場の隅でウーロン茶を飲んでいた俺の方を見た彼女が、ふう、と小さく息を吐いて、肩の力を抜いたのだ。


その目は、いたずらっぽく「いい加減、疲れちゃったぁ」と訴えていた。

そして、その顔は、ポニーテールを降ろして俺に寄りかかっていた「あの日」の表情にそっくりだった。


でも、そんな顔をしていたのは、本当にわずかの間だった。

彼女の近くにいたほろ酔いのおじさんが話しかけると、すぐキラキラした「看板娘」の顔に戻り、弾む声でニコニコと受け答えを始めた。


あいつもまた、俺と同じで「仕事」をしていたのだ。


誰かの期待に応え、この「嘘の横丁」を本物にするために。


「……灯、手が止まってるぞ」


頭上から降ってきた声に、ハッと我に返って立ち上がる。

ギシッ、と脚立が軋む音がした。


「あ、すみません……」


「上の方はコンパウンド終わったぞ。下の仕上げはお前がやれ」


「……はいっ!」

【担当:鎌ヶ谷銀次郎(ベテラン塗装職人)】

灯、そんなシケた面すんな。

鏡みたいに磨き上げた猫の腹に、自分の情けない顔が映ってるぜ。

お前が憧れる「本物の質感」ってやつはな、 高いスーツや肩書きじゃねぇ。

泥を啜って、嘘を突き通して、それでも守り抜いた「時間」の中にしか宿らねぇんだ。

俺が教えられるのは、ここまでだ。

次回、第78話『安っぽい光沢、本物の重厚感』 さあ、最後の一磨きだ。お前の「本気」を、その猫に刻んでこい。


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