第75話:地続きの日常と、消えゆく夕焼けの街
のどかな月曜日。
午後の柔らかい日差し。
ウトウトしかけて、ハッとする。
眠気の中で書いたノートの文字が、象形文字みたいになっていた。
慌てて消しゴムでぐちゃぐちゃの文字を消し、黒板の内容をノートに写していく。
昨日をもって横丁は約一ヶ月の開催を終え、グランドフィナーレを迎えたのだ。
今頃は解体工事が進められているのだろう。
こうして、学校のいつもの日常を過ごしていると、全く実感がわかない。
板書している先生の目を盗んで、窓から見える青空を眺めていると、横丁の夕焼けを見ているような錯覚に陥る。
俺たちが作り上げ、賑やかで笑顔に溢れていた『本気の嘘』の昭和ノスタルジー横丁。
あの夕焼けの街は、もう、消えてしまった。
再びぼんやりしていたら、後頭部に何か触れて、カサリと落ちた。
足元に落ちたノートの切れ端を丸めたものを広げたら『昨日、疲れちゃった?今日もバイトでしょ?頑張って ひな』と書かれていた。
陽菜の方向を向くと、横丁の看板娘から陸上部の次期エースに戻った幼なじみがニヤニヤして手を振っていた。
学校から参加した陽菜たちは、昨日のグランドフィナーレで最終日だった。
彼女たちは、今日からそれぞれの日常に戻っている。
しかし、学校から参加していないバイトの俺には少しだけ「続き」がある。
今日、後片付けの最後の作業である招き猫の汚れ落としをして、俺の横丁での仕事がすべて終わる。
そして、銀さんとの仕事も最後だ。
まんじりとしない気持ちで午後の授業を受けるが、どうにも先生の話が頭に入らない。
キーンコーン、カーンコーン……。
間の抜けたチャイムが鳴り、ホームルームの終了を告げた。
「号令」
「起立、礼」
挨拶が終わった瞬間、教室がざわめき出し、いつもの放課後が始まる。
陽菜はすぐに鞄とシューズ入れを抱えると「じゃあね!」と口パクで俺に告げ、部活へと駆けていった。
俺もカバンを掴み、いそいそと駐輪場に向かう。
いつものように自転車を引っ張り出してモールに向かう。
毎日のようにたどった、車が行き交う国道沿い。
グランドフィナーレから一夜明け、大混雑からいつも通りの交通量に戻っていた。
モールが大々的にグランドフィナーレを宣伝したので、昨日は駆け込みの来場者が押し寄せ、モール周辺は朝から渋滞していた。
自転車のペダルを漕ぐ足が、いつもより重い。
踏ん張りながら漕ぐと、錆びたチェーンがガガガと軋んだ。
陽菜の言うとおり、昨日の疲れもあるかもしれない。
最終日ということもあり、横丁はグランドオープンと同じかそれ以上に混雑していた。
地元のニュース番組が中継に来て、モールの駐車場が満車になり、俺たちが作った「嘘の昭和」を見るために、何千人もの人が詰めかけたのだ。
スタッフさんはもちろん、キャストさんも一部を除いてお客さんの誘導を優先し、混雑がピークの時は、小杉部長や保土ヶ谷さんまでスタッフとして立ち回っていた。
かくいうメンテナンス要員の俺も、応援に駆り出され、どんなトラブルで対応できる銀さんだけが作業場で待機していた。
慣れない仕事というのもあり、ピークを過ぎてようやく誘導から解放されたあと、作業場でぐったりとしてしまったくらいだ。
陽菜があんな事を毎日やっていたなんて信じられない。
通い慣れたモールに到着し、駐輪場のいつもの場所にとめて、鞄を抱えてモールに入った。
スーパーの特売のアナウンス。
総菜売り場から漂うコロッケの揚げ油の匂い。
学校帰りの高校生たちの甲高い笑い声。
カートを押す主婦やサラリーマンたちの生活感あふれる背中。
そこは「ありふれた日常」があった。
「そうだよな……ただのイベントが終わった、それだけだもんな」
そして、準備期間も含めて約一ヶ月半に渡った俺の仕事も、今日で終わるのだ。
通い慣れた、倉庫までの道。
その行き止まりの一般来場者の入口には、見慣れないブルーシートが隙間なく張り巡らされていた。。
その青い幕が揺れ、その向こう側からは、ドガガガガ、ガチャンガチャン、という無遠慮な破壊音が漏れ聞こえてくる。
横丁の解体工事だ。
わかっていたことだけど、胸の奥がズシンとして、仕事前なのに身体がおもだるくなる。
きっと、これは疲れだけじゃないんだろうな、と思う。
こんなに「いろいろあった一ヶ月半」は今まで無かった。
日立先生に誘われなかったらこんな経験はできなかったはずだ。
ここで見た大人たちの世界と、銀さんの教えてくれた『仕事の流儀』は、学校では絶対に教えてくれそうにない。
ガシャン!
遠くから響く解体音でハッとする。
考え事をしていたら、更衣室で衣装兼作業着のつなぎに着替えていた。
そんなにこのルーティンが染みついていたのか、とロッカーの扉に貼ってある小さな鏡に写る俺に笑いかける。
「よし、行くか……」
ロッカーの扉をパタンと閉め、最後の作業場へと向かう。
もう、作業場には取り外された招き猫が搬入されているはずだ。
見慣れた作業場のドアをいつものように開ける。
「お疲れさまです……うわ、でっか」
ドアを開けた途端、目に飛び込んできた招き猫に、思わず声をあげる。
遠目から見るのと間近で見るのでは、迫力が全然違う。
「……あれ?」
高さ3.6メートル。
作業場にデンと鎮座している巨大な招き猫。
天井につきそうなくらいの威圧感は、横丁の守り神にふさわしい。
しかし、近くで見るその姿は異様だった。
【担当:誉田灯(塗装アルバイト)】
夢の跡には、ブルーシートと破壊音だけが残っていた。
俺たちが一ヶ月かけて塗り込めた「昭和」が、無遠慮に剥がされていく。
……これが、仕事が終わるってことなのか。
だけど、銀さんだけは違っていた。
「汚したまま返すわけにはいかねぇだろ?」 最後に残ったのは、後片付けじゃない。
「プロの仕上げ」という名の意地だった。
次回、第76話『真っ白な嘘と、職人の意地』 ピカピカに磨き上げろ。
それが、俺たちの卒業式だ。




