第29話:不穏な推薦状と、銭湯の職人
「もはや言葉は不要だ! この『愛の電子嘘発見器』があれば、彼女の深層心理は丸裸になる。
二人で金属の端子を握りしめ、見つめ合うだけでいい。
手に汗握るその瞬間の電気抵抗こそが、偽らざる情熱の正体なのだ。
メーターの針が『赤』のゾーンを指した時、理性のヴェールは剥がれ落ち、そこには原始の熱だけが残るだろう。」
— 『週刊・昭和実話』 昭和44年(1969年) 特集「科学が暴く! 女心のミステリー」より
つくばさんとの濃密な再会から一夜明けた、放課後の職員室。
俺は、まだ指先に残る紅い熱の感触に戸惑いながらも、担任の稲毛先生のデスクの前に立っていた。
「……ふむ。日立先生からの推薦か。『昭和ノスタルジー横丁』の制作補助だな」
稲毛先生は、俺が提出した「アルバイト許可申請書」と日立先生からもらった推薦状に目を通すと、珍しく上機嫌でハンコを押した。
いつもなら「学業に支障が〜」と小言の一つも言うので、日立先生が申請に通りやすいようにと推薦状を書いてくれたのだ。
しかし、どうも今日は、それが不要なほど随分と愛想がいい。
「うむ、よろしい。許可しよう。我が校の生徒が、地域活性化の芸術分野で活躍する。
しかも何人も。素晴らしいことだ」
「ありがとうございます」
何人も?……あれ、俺の他にも参加する生徒がいるのか。
俺はバイトだけど、他の奴らは研修とかの名目だろう。
ちょっと気が引けるが、人は人だ。
それに日立先生からのオファーでしっかりとした仕事なのだ。時給をもらっても良いはずだ。
自分自身にそう言い聞かせながら、書類を受け取って立ち去ろうとした時、先生が呼び止めた。
「ああ、誉田、今回は産学連携プロジェクトということもあり、我が校としても教育委員会にはしっかりとアピールしたい。
君はアルバイトだが、出勤ごとに業務報告書を書いて欲しい」
面倒くさいことになった。
稲毛先生のポイント稼ぎではないだろうか。しかも、先生は手書き推奨派だ。
早く立ち去ろうとする俺に、また先生が呼び止める。
「あ、それから誉田、もう一つ。君は現場には一人で行くのか?」
「はい、そのつもりですが……」
「そうか。なら、ちょうどいい。そのうち他の生徒とも合流するはずだ」
「はあ……」
先生はニヤリと笑って、自身のパソコン画面を指差した。
そこには、今回のプロジェクトに関する学校側の資料が表示されていたが、複数いるらしい参加者リストは、資料が表示されているウィンドウに隠れてよく見えなかった。
「実はな、このプロジェクトの話が来た時、私が運営側に推薦したなかに、猛プッシュした生徒がいるんだよ。
『ウチには、恐るべき執念で資料やデータを掘り起こすリサーチの鬼がいる』とな」
「……え?」
嫌な予感で、背筋がぞわりとする。
「リサーチの鬼」という言葉に、脳裏にある人物の顔が浮かびかけたが、俺は必死に打ち消した。
まさか、そんな事をわざわざこの先生がするはずがない。
「この『産学連携』が成功すれば、我が校の評価も上がる。
だが、その生徒は……少々、探求心が強すぎて周りが見えなくなるが……資料編纂に採用されて何よりだ」
先生は満足げにウンウンと頷いた。
「……先生。その生徒というのは、まさか」
「君ならよく知ってるだろう? 図書室にいるあの子だ」
「岩瀬……さん、ですか」
首を横に振って欲しかったが、予想通り稲毛先生は満面の笑みで首を縦に振る。
「ああ、岩瀬さんだ。あの子はな、真面目で優秀だが、何を考えているかわからんことがある。
対外的なプロジェクトで、またあんな騒ぎを起こしたら、学校の評判に関わる……。
いいか誉田、頼んだぞ? 彼女をよろしくな」
『あんな騒ぎ』とは、岩瀬さんが鼻血を吹いて保健室に運ばれたことだ。
その場にいた俺は、騒動の後の一週間、稲毛先生の他、いろんな人から事情聴取を受けたのだ。
「は、はあ……」
手に持った書類がいきなり重くなった感覚に陥る。
思い通りにポイント稼ぎと、お守りをさせるヤツをあてがう事ができた中年教師は、ホッとした様子でコーヒーを啜り始めた。
よろしくされたくない。
稲毛先生の様子とは真逆で、俺は天を仰ぎたくなった。
念願のプロジェクトに参加できると思ったら、あんな危ない人間が入っているなんて。
まるで、あのカードゲームで、手札のリバースもスキップも使い切り、勝ちを確信した途端、ドローフォーを3枚叩きつけられた気分だ。
完全に詰んでいる。
俺の平穏な「制作補助」ライフは、始まる前からゲームオーバーの予感がした。
俺は、絶望的な気持ちで職員室を出て、重い足取りで廊下を歩く。
学校公認で「岩瀬さんのお守り」を押し付けられてしまった。業務外の難易度の高い仕事。
割増で時給をもらいたいくらいだが、日立先生にそんなこと言えないし、筋違いだ。
当然、学校にも言えない。
「面白そうな仕事なのになぁ……」
俺は深く溜息をつき、夕暮れの通学路を自転車で急いだ。
指定された時間より少し早くモールについた。今日が初日なので、入り口で日立先生に到着の連絡をいれて、現場に入れてもらう必要がある。
到着したことを先生に告げると、程なくしてドアからサングラスをかけた強面の人が顔を出した。
「わっ!」
「おう、来たか、灯くん」
総支配人姿の日立先生だった。
手招きされるままに中に入り、先生の後をついていく。
スマホの写真と実物だと迫力が全く異なる。
本当にこの格好で市役所のお偉いさんとかを迎えたりするのだろうか。
ハタからみたら、何か脅されてるように見えるんじゃないか。
「今日から現場だな。まずは、いっしょに働く人を紹介するよ」
渡した書類を歩きながら確認する日立先生に連れられてやってきたのは、横丁の一番奥にある『大衆浴場・霞の湯』のセットだった。
そこには高い足場が組まれ、シンナーとペンキの強烈な匂いが充満している。
「灯くん、あちらは、現場監督の鎌ヶ谷銀次郎さんだ。おーい、銀さん。連れてきたぞ、例の『若親方』だ」
先生が声をかけると、壁に向かって巨大な刷毛を振るっていた男性が手を止めた。
【担当:鎌ヶ谷銀次郎(塗装職人/現場監督)】
「おう、来たか坊主。 突っ立ってねぇで、こっちへ来な。 ここは学校じゃねぇ。シンナーとペンキと、『嘘』で作られた黄昏の街だ。
……ふん、ひょろっこい体しやがって。 だが、目は悪くねぇな。 いいか、俺の現場で働くなら、まずはその『目』で、本物と偽物を見極めるんだな」
次回、第30話『職人の審美眼と、資料室の待ち人』 ……だがその前に、一仕事頼まれてくれや。」




