出発前
「……小早?」
外から声をかけられ、ハッと我に返った。
出撃用の隊服と装備の点検をしていたから、深く考えすぎていたのかもしれない。
「南野……どうしたの? 入って」
「失礼するね。……小早、大丈夫?」
「え、何が?」
「……すごく顔色、悪いよ」
「本当? そんなつもりはなかったんだけどね」
鏡を見なくても分かる。強がってみせたものの、声がどこか浮いていた。
「……本当に大丈夫?」
重ねて尋ねてくる南野のまっすぐな瞳に、ふっと苦笑が漏れた。
ははっ……さすがに隠しきれなかったか。
「……大丈夫だよ。いつもこんな感じだけど、なんだかんだなんとかなってるから。……それより南野、向こうの前線は何が起こるか本当に分からない。だからこそ、貴重な衛生手を死なせるわけにはいかないんだ。自分を捨て身にしてまで攻撃手を守ろうとしないで。……全員を生還させるのが、私の目標だから」
かつて部活時代にすれ違い、喧嘩ばかりしていた同期。けれど今は、背中を預け合う大切な仲間だ。
南野は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、やがて優しく目を細めた。
「……そっか。あんたこそ、無理しないでね」
「ありがとう。明日はよろしく」
「うん、よろしく」
南野が部屋を出て行ったあと、改めて卓上の手鏡を覗き込む。
そこに映っていたのは、自分でも引くほどの青ざめた顔だった。
……大丈夫か、私。ほんと苦笑ものだな。
最低限の荷物を鞄に詰め込み、そのまま布団の中に潜り込む。
このまま目をつむって、出撃の時間を迎えたくない——そんな子供じみた思いが胸をかすめる。
いつもは緊急の出撃ばかりで、こんな風にじっくり覚悟を決めるような時間的余裕はなかった。だからこそ、迫りくる恐怖心が思考を支配してしまうのだ。
……南野は、私がそんな状態になっているのを察して部屋に来てくれたのだろうか。心配をかけて申し訳ないなと思う。
参謀として、誰よりも平然としていなければいけないのに。
そのとき、枕元に置いた携帯電話が振動した。
「……はい、王子です」
『王子中尉、久しぶりだね』
「……っ、日吉大佐……!?」
受話器から聞こえた懐かしい声に、思わず跳ね起きる。
『久しぶり。聞いたよ、福岡第二にいるんだって?』
「はい……!」
『今回の事態、詳しくは各地の基地司令で情報共有されているよ。うちの雪兎隊は新潟への派遣が決まったが……お互い、命を大事に頑張ろうな。落ち着いたら、また夏休みにでも函館へ遊びにおいで』
「……はい! ありがとうございます!」
たったそれだけの短い会話だったけれど、張り詰めていた心がすっと軽くなるのを感じた。
通話を終え、親に無事を伝える連絡を入れたあと、少し目を離していた画面を見ると、通知が溢れかえっていた。
各地に巡業していた頃に出会った基地や駐屯地のメンバーたちから、大量のメッセージが届いているのだ。
みんな、機密情報のはずの人事をなんで知ってるんだよ……。
そう苦笑しながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。一通一通、「ありがとう」と返信を打っていく。
ただ——画面をどれだけスクロールしても、唯一メッセージが届いていない相手がいた。
関……。
今すぐ声が聞きたくて電話をかけたい衝動に駆られるが、きっと連絡がないことには意味があるのだと思う。
関はめきめきと調子を取り戻していて、秋からは実戦派遣にも復帰できると教官が言っていた。もしかしたら、急遽新潟への派遣が決まって慌ただしくしているのかもしれない。
私は画面を開き、短いメッセージを一つだけ作成した。
『出撃が決まった。頑張ってくるね』
送信ボタンを押し、液晶の光を消す。
深呼吸を一つ。冷えていた指先に少しずつ力が戻ってくるのを感じながら、私は静かに目をつむった。




