姉がいる弟
リハビリを終えたばかりの病室。小早は、受傷前の60%まで落ち込んだ肺活量のせいで、少し肩で息をしながらベンチに腰掛けていた。 神経の伝達が遅い右手と、動かすと傷跡が引きつれる左肩を庇うようにして、あいつがふと自分の頭に手をやる。
その瞬間、緩んでいたヘアゴムが落ち、中途半端にまとめられていた髪がさらりと肩にこぼれ落ちた。
「あ……」
小早が困ったように眉を下げる。不自由な右手で髪をまとめ直そうとするが、指先の痺れのせいで上手くいかない。 それを見かねて、俺は無言で彼女の背後に回った。
「貸せ。俺がやってやる」
「えっ? 教官、できるんですか……?」
驚いたような小早の声。無理もない。鬼教官だの何だのと恐れられている俺が、女子の髪をいじる姿など想像もつかないだろう。 だが、俺の手はあいつが思うよりもずっと、こういう作業に慣れていた。
「……昔、うちの姉貴に『自分でするのはめんどくさいから髪乾かしてー』だの、『編み込みにしろ』だの、俺を召使いか何かと勘違いしてこき使ってくれたおかげでな」
苦々しい記憶を思い出しながら、俺は小早の髪を指ですくう。
神力の所作を磨き抜いたこの指先は、戦場では鋭い刃となるが、今は驚くほど優しく、繊細に小早の柔らかな髪を捌いていく。 姉の無理難題に付き合わされたあの頃の経験が、こんなところで役に立つとは皮肉なものだ。
手際よく髪をまとめ、しばらくオシャレも出来ていなかっただろうからと少し編み込みをし、予備のゴムで一気に結い上げる。歪み一つない完璧な仕上がりだ。
「……よし、できたぞ」
「ありがとうございます! 凄いです、教官……。朝よりもずっと、しっかり結ばれてます」
小早が嬉しそうに、けれどどこか感心したように自分の後頭部を触る。その言葉に、俺はふと気になって問いかけた。
「……朝は、どうしたんだ? 誰かに結んでもらったのか?」
「あ、はい。関に結んでもらいました」
その答えを聞いた瞬間、俺は思わず口元が痙攣するのを抑えきれなかった。 リハビリを始めた時の、あのガタガタで、今にも解けそうだった不格好な結び目。あいつ、自分の神力制御の繊細さをどこに置いてきたんだ。
「……なるほど。あいつの仕業か」
俺は溜息混じりに、苦笑を漏らした。
「今度、あいつには神力の練り方より先に、正しい結び方からみっちり教えておく。……戦闘中に髪が解けて視界を塞がれたら、命に関わるからな」
俺がぶっきらぼうにそう告げると、小早は「ふふっ」と、年相応の柔らかな笑顔を見せた。
その笑顔を守るためなら、関に「女子の髪の結び方」を教えるという屈辱的な特別訓練も、悪くないかもしれない――。 消毒液の匂いが漂う静かな病室で、俺は次の「教育」の計画を立てながら、不器用な弟子たちの未来を静かに見守っていた。




