番外編:教官がまだ教官では無かった頃⑬
執務室のデスクに置かれた、一通の書類を眺める。
「桜木中尉、休職継続願」
すでに一年以上の月日が流れている。軍という組織において、これほどの長期離脱は退職勧告をしなければならない。だが、俺はこの男の「翼」が折れていないことを知っている。近所の公園で、名もなき小僧に稽古をつけているという報告が入っていたからだ
……生き残った罪に、いまだに身を焼かれているか
俺は受話器を取り、桜木を基地へ呼び出した。
数時間後。目の前に立った桜木は、かつての鋭さを欠き、どこか世捨て人のような空気を纏っていた。
「日吉大佐、お久しぶりです。……退職の件なら、覚悟はできています」
「馬鹿を言うな。俺はお前にやめろと言った覚えはないぞ」
俺はあえて厳しい声を出し、立ち上がった。
「桜木。お前が抱えているのは、ただの罪悪感じゃない。サバイバーズ・ギルトだ」
桜木が、ハッとしたように顔を上げる。
「自分だけが生き残ってしまったという苦しみは、死んだ仲間に対する不誠実ではない。……中山もお前も、あの日の地獄から一歩も動いていない」
俺はそのまま桜木を連れ、基地の訓練場へと向かった。そこでは、一足先にアシスタントとして復帰していた中山が、若い候補生たちの指導に当たっていた。
桜木の姿を見た瞬間、中山の動きが止まった。顔色がみるみる青ざめていくのが分かる。
「中山中尉、続けろ」
俺はあえて二人を近距離で対峙させた。
人を教えている中山を眺めていた桜木に
「桜木、中山があの日病室で言った『来るな』という言葉。あれが本心だと思ったか?」 と問いた。
「……拒絶されたと、思っていました。俺は、あいつに嫌われたのだと」
震える桜木の声に、聞き耳を立てていた中山がたまらず叫んだ。
「違う! 違うんだ、桜木! お前を嫌うわけがないだろう!」
中山が、一歩、また一歩と桜木に歩み寄る。その瞳には、ずっと隠し続けてきた痛切な想いが溢れていた。
「あの日、お前が俺の傍でどんどんやつれていくのを見ていられなかった。俺という過去を切り離して、お前には早く空へ戻って欲しかったんだ……。俺がお前を、縛っていたから」
「……それが、あんな突き放すような言い方になるのかよ。お前がいない空なんて、俺にはただの地獄だったんだぞ、中山」
二人の間に流れるのは、互いを想いすぎるがゆえの残酷なすれ違いだった。
俺は腕を組み、重苦しい沈黙を破った。
「いいか、二人とも。お前たちが拾ったその命は、あの日散った3人の仲間が、守ってくれた命だ。
それを無駄にするな。一人は公園でくすぶり、一人は罪悪感で壊れる……そんな姿を見せるために、あいつらは死んだんじゃない」
俺は桜木の肩に重い手を置いた。
「桜木。来年度、お前も中山と一緒にこの母校(立川士官学校)で教鞭を取ってもらう。……拒否は認めん。これは命令だ。」
桜木は驚いたように中山の顔を見た。中山は、涙をこらえながら、かつてのように不器用に笑ってみせた。
「……日吉教官。厳しい、ですね。相変わらず」
「……当たり前だ。俺の教え子なら、地獄の底からでも這い上がってこい」
ようやく、止まっていた時計が動き出した音が聞こえた気がした。
この不器用すぎる二人が、再び同じ空で背中を合わせる。その日が来るまで、俺はまだこの重い肩書きを捨てるわけにはいかないようだ。




