番外編:教官がまだ教官では無かった頃③
約束の時間、あの薄暗い公園に向かうと、昨日の小僧がすでに待っていた。泥だらけの顔を洗い流してきたのか、昨日よりは幾分かマシな顔をしていたが、俺を射抜こうとするあの真っ直ぐな視線だけは変わっていなかった。
「……来たな。始めるぞ」
余計な挨拶は抜きだ。まずはこいつの「器」がどれほどのものか、確かめさせてもらう。
俺が命じたのは、ごくありふれた基礎メニューだ。公園の周回ランニング、そして持参させた縄跳び。士官学校で様々なエリートを相手にしてきた俺からすれば、本来なら退屈で欠伸が出るような光景のはずだった。
だが、走り出した小僧の姿を見て、俺の目は自然と細くなった。
……速いな。それに、無駄がない
ただがむしゃらに走っているのではない。足の運び、腕の振り、そして何より呼吸の安定感が、素人のガキのそれとは明らかに違っていた。縄跳びをさせれば、そのリズム感と体幹の強さが一目で分かる。着地の一瞬、軸が全くブレない。
俺がこれまでに見てきた、神力の才能だけはあっても土台がガタガタなエリート候補生たちよりも、よっぽど「戦士」としての素質を感じさせた。
バランス感覚、体幹の安定性……。こいつ、化けるぞ。……いや、逸材だ。
気づけば、俺の胸の奥で燻っていた冷たい灰に、小さな火が灯っていた。
仲間を失い、「死に損ない」として自室で天井を眺めるだけだった日々。中山がチューブに繋がれ、死の静寂が支配する病室に通い詰めるだけの毎日。そんな停滞した時間の中で、この小僧の放つ熱量だけが、今の俺を現実に繋ぎ止めていた。
それからの数日間、俺は暇さえあれば「教えるための基礎」を調べ直し、自分自身で実践した。
俺のような天才肌の攻撃手は、基礎など無意識にこなせてしまう。だが、何も持たない小僧に教えるには、理論を言語化し、最も効率的な体の動かし方を再構築する必要があった。教官見習いのような真似事を、この俺が必死になってやっている。滑稽だが、悪くない気分だった。
「中山、聞いてるか。今日、あの小僧に縄跳びをさせたんだがな……」
いつものように病室を訪れ、ムカデのような管に繋がれた中山に語りかける。
「あいつ、お前が見たら驚くくらいの逸材だぞ。……俺も久々に、何かに打ち込むなんて感覚を思い出してる」
返事はない。だが、小僧に稽古をつけている時、俺の身体を支配するのはあの戦場の硝煙の匂いではなく、心地よい疲労と、未来を育てるという確かな手応えだった。
「明日からは、もう少し負荷を上げる。……ついてこいよ、小僧。」
名もなき小僧から、俺の教え子へと。
止まっていた俺の時間が、この公園の砂埃と共に、再びゆっくりと動き始めていた。




