番外編:教官がまだ教官で無かった頃②
消毒液の匂いと、一定のリズムで刻まれる人工呼吸器の駆動音だけが支配する、凍りついたような病室。
視界の先では、俺のたった一人の相棒である中山が、ベッドに横たわっている。鼻から、喉から、腕から……無数に伸びた透明なチューブが、まるで不気味なムカデのようにあいつの身体に這い回り、かろうじて「生」の側に繋ぎ止めていた。
俺は溜息を吐き、サイドテーブルの花瓶の水を入れ替える。
「……おい、中山。花なんてお前のガラじゃないって分かってるよ」
そう独りごちながら、枯れかけた花を捨て、買ってきたばかりの瑞々しい花を挿す。あいつが目を開けてこれを見る保証なんてどこにもない。それでも、この部屋が死の沈黙に塗りつぶされるのが怖くて、俺は花を絶やすことができなかった。
椅子を引き、俺は返事のないあいつに今日あったことを話し始める。
「聞いてくれ。今日、近所の公園で変な小僧に絡まれたんだ。……『僕を強くしてください』だと。笑えるだろ、あんなガキが対人訓練をしてくれなんて、とんだ命知らずだ。……俺が士官学校で、教官顔負けの成績を叩き出していたってことも、そいつは知らないんだろうな」
かつて俺たちが並んで空を舞い、精鋭として名を馳せていた頃なら、子供相手に教官が直々に稽古をつけるなんて冗談にもならなかった。だが、班員を失い、相棒は植物人間同然、自分は「死に損ない」として休職を命じられている今の俺には、そんな小僧の無謀な熱量さえ、どこか救いのように感じていた。
「……あいつ、俺を真っ直ぐ見てきやがったんだ。周りから蔑まれるような『死に損ない』の目じゃない、何かを掴もうとする必死な目でな。……中山、お前なら『教えてあげればいいじゃない』って、またお人好しな顔で笑うんだろう?」
問いかけても、返ってくるのは規則的な機械の駆動音だけだ。
「いつまで寝てんだ。……いつになったら起きて、花を買うような俺を見て『桜木らしくない』って……そうやって笑ってくれるんだよ」
俺の声は、機械音の中に空虚に溶けていく。
死ぬこともできず、ただ瑞々しい花と不気味なチューブの群れに囲まれて、俺は明日もまた、あの小僧に会うためにこの部屋を出る。
せめて、次にここへ戻る時には。
「おかえり」という、その一言を聞かせてくれ。
俺は中山の動かない、冷え切った指先に一瞬だけ触れ、逃げるように病室を後にした。




