番外編:教官がまだ教官では無かった頃①
見慣れた実家の近所の街並みは、あの日から何一つ変わっていなかった。
夕暮れに染まる静かな住宅街、どこかの家から漂う夕飯の匂い。それが、今の俺にはたまらなく苦痛だった。仲間をすべて失い、自分の中の「日常」はあの日、あの凄惨な爆鳴と共に粉々に砕け散ったというのに、世界だけが平然と続いていることに吐き気がした。
原因は、俺の身勝手な突出だ。
死を覚悟して敵の懐に飛び込んだ俺を、中山は笑って助けに来やがった。あいつが神力を使い果たして展開した、あの「ミラクル」な強固なシールドのおかげで、俺は今こうして五体満足で立っている。だが、その代償として、班長を含めた他の仲間達は俺とあいつの目の前で爆発に巻き込まれて消えた。
中山は、今も軍の病院で眠り続けている。
電車で一本の距離にある実家から毎日通い、返事のないあいつにずっと話しかけていた。
「……おい、中山。さっさと起きろ。」
聞こえていると信じたかった。あいつまで逝ってしまったら、俺をこの世界に繋ぎ止める鎖は、もうどこにも残っていないのだから。
基地に戻った俺を待っていたのは、労いではなく罵倒の嵐だった。
「死に損ないが。なぜお前ら二人だけが生き残った?」
「仲間を見捨てて敵前逃亡したのではないか?」
組織というものは、理解できない悲劇を誰かの「罪」に変換せずにはいられないらしい。報告書を提出した上官は、俺の顔を見ることもなく、ただ一枚の紙をデスクに置いた。
「……しばらく来る必要はない。頭を冷やせ」
渡されたのは休職願の書類だった。事実上の追放だ。
実家の自室に引きこもり、天井だけを眺めて過ごす俺を見かねたのか、姉に「外に出ろ」と無理やり追い出された。
あてもなく辿り着いたのは、夕方の薄暗い近所の公園だった。
砂場の方で、数人の小学生が群れているのが見えた。真ん中の男の子が地面に這いつくばり、蹴られ、頭から砂をかけられている。
「おい」
低く、腹の底から絞り出した一言。
それだけで、いじめていたガキどもは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。軍人として修羅場を潜ってきた俺の殺気が、子供心にでも伝わったのだろうか。
俺は、震えながら泣いている男の子の前に屈み込んだ。
「お兄さん……。お兄さんも、僕を殴るの?」
震える声でそう問われ、俺は自嘲気味に鼻を鳴らした。普通、助けてもらったら「ありがとう」だろ。
「殴らねぇよ。そんな必要はない。……さっさと帰れ」
立ち上がって背を向けようとした瞬間、ズボンの裾を小さな手がぎゅっと掴んだ。
「なんだよ……。口で言え」
「お兄さん……強いの?」
分からない。
自分が強いのか、それともただ運が良くて死ねなかっただけの無能なのか、今の俺には答えが出せなかった。
涙を溜めた瞳で、真っ直ぐに俺を射抜こうとするその子供を、俺はしばらく見つめ返した。
「……お前よりかは、強いな」
「お兄さん、お願いがあります。僕を、強くしてください」
馬鹿な小僧だ。
俺のような、自分の班員すら守れずに生き残った「死に損ない」の神力使いに、訓練を頼むなんて。大人なら、関わることすら避けるような呪われた男だぞ。
だが、その真っ直ぐな視線、裾を掴んで離さない小さな指、そして屈辱に震える体――そこには、絶望の淵で「力」を求めて足掻く、確かな覚悟の残り火が見えた。
……この小僧に何かを教えることが、俺が生き延びてしまった意味になるのか?
答えは出ない。だが、あの中山が眠る病室の静寂よりは、この小僧の熱量の方が今の俺には必要だったのかもしれない。
「……明日から、この時間、ここでだ」
「……! ありがとうございます!」
ようやく「ありがとう」が言えたな。
俺は裾を離した小僧の背中を見送りながら、少しだけ、重かった足取りが軽くなったのを感じた。
中山。俺、明日から少し忙しくなりそうだ。だから、お前もさっさと戻ってこい。




