平尾台
前線の動員が免除され、明光隊に本当の意味での静かな時間が流れるようになって数日。左腕を固定している小早の定期検診の日がやってきた。
まだ骨が完全につながったわけではないため、定期的に病院で状態を確認してもらう必要がある。だが、あいつの身体では自分で車のハンドルを握ることも、電車を乗り継いで通院するのもままならない。必然的に、付き添いとして俺がその送り迎えを買って出る形になった。
「……ごめん、関。面倒をかけて……」
病院の駐車場から出たところで、小早が申し訳なさそうに、しかしどこか安心したようにぽつりと言葉を零す。三角巾で吊られた腕を庇いながら歩く彼女の荷物を持ちつつ、俺は首を横に振った。
「面倒なんて思ってない。それに、大佐からもらったこの休みは、しっかり身体を休めて傷を癒すためのものだからな」
検査の結果、医師からも「順調に回復している」とのお墨付きをもらい、重く張り詰めていた空気がようやく完全に溶けていくのを感じた。せっかくこうして二人で病院の外に出たのだし、すぐに寮へ引き返すのは少しもったいない気がする。
「なあ、小早。このあと、少し遠回りして帰らないか?」
俺がそう提案すると、小早は驚いたように丸い目を向け、それから照れくさそうにわずかに頬を赤らめて小さく頷いた。
「……うん。……もう少しだけ、付き合ってくれると、嬉しいかも……。」
まだ街のあちこちに先の戦いの爪痕や緊張感は残っているものの、急かされるもののない穏やかな午後、俺たちは並んで少しだけ歩幅を合わせ、病院の帰りの道すがら静かな街並みをゆっくりと歩いていった。
「……じゃあ、少し足を伸ばして平尾台の方に行ってみるか」
病院を出たあと、助手席で小早にシートベルトをつけながらそう告げると、彼女は「平尾台……?」と少しだけ目を丸くした。
北九州の中心地や、以前二人で回った門司港あたりはもう見尽くしている。かといって、まだ怪我の治りきらない小早に無理をさせるわけにはいかない。その点、ここから車を走らせて小倉南区のほうへ抜ければ、街の喧騒から離れた日本屈指のカルスト台地――平尾台が広がっている。見渡す限りの大草原と、白い石灰岩が転がる穏やかな景色なら、静かにのんびり過ごすにはちょうどいいはずだった。
「あそこなら、車の窓から景色を見るだけでも気持ちいいだろ。歩きすぎるとお前の腕に障るしな」
俺がそう言ってエンジンをかけると、小早はふっと柔らかく目を細め、嬉しそうに小さく頷いた。
「うん……。なんだか、閉じこもっていた部屋とは全然違う空気が吸えそう」
街にはまだかすかに戦いの緊張感が残っているけれど、車が市街地を抜けて山の方へ進むにつれて、窓から入ってくる風は驚くほど爽やかになっていく。どこまでも広がる青空の下、俺たちは静かなドライブを続けながら、束の間の穏やかな休日を二人で噛み締めていた。
どこまでも広がる青空の下、白い石灰岩が点在する平尾台のなだらかな草原を、車から降りた俺たちは並んでゆっくりと歩いていた。
新鮮な空気を吸い込んだ途端、それまで静かにしていた小早の足取りが、少しだけ軽くなったように見えた。長い間、無機質な寮の部屋や病院のベッド、あるいは殺伐とした戦場に閉じ込められていた反動だろう。緑のじゅうたんのような景色を眺める彼女の横顔には、いつもの冷徹な戦闘員としての表情ではなく、年相応の柔らかな明るさが戻っている。
「うわぁ……すごい、風が気持ちいい……!」
そう言って、小早が少しだけ大きく両手を広げようとした瞬間、俺は慌てて彼女の右側に歩み寄り、その肩をそっと押さえた。
「おい、急に大きく動くな。まだその腕、しっかり固定されてるんだからな。骨に響くぞ」
呆れたようにため息をつきながら注意すると、小早は「あ……」と気まずそうに目を丸くし、自分の左腕のギプスをそっと庇った。それから、気恥ずかしそうに小さく舌を出す。
「……ごめん。つい、解放感で……」
反省しているのかいないのか分からないその様子に、呆れつつも、心の底では胸が温かくなるのを感じていた。いつも無理をして気丈に振る舞っているあいつが、こうして子供みたいにはしゃぐ姿を見るのは久しぶりだった。怪我の心配はもちろん尽きないが、それ以上に、彼女がこうして日常の平穏を取り戻して笑っていることが何よりも嬉しかった。
「怪我が治るまでは、俺がブレーキ役になってやるから安心しろ。……ほら、あっちの展望台のほうなら、もっと景色がきれいだぞ」
優しく声をかけると、小早は嬉しそうに目を細め、今度はしっかりと俺の服の裾を片手で掴みながら、並んでゆっくりと歩き出した。穏やかな風が吹き抜ける草原で、俺たちは互いの温もりを感じながら、ただ静かな時間を噛み締めていた。




