手を離さない
前線の指揮を引き継ぎ、泥と血に汚れた防護服のまま、俺は足を殺して集中治療室のドアを開けた。
室内に立ち込めるのは、消毒液と冷たい機械音の匂いだけだ。
ベッドに横たわる小早の姿は、数日前に俺が体の中から引きずり出した時よりも、さらに小さく、儚く見えた。全身を這う無数のチューブと、顔を半分覆う酸素マスク。皮膚は蝋のように白く、命の灯火が消えかけているのが痛いほど伝わってくる。
桜木教官と交代し、俺は震える足でベッドの傍らに歩み寄り、パイプ椅子に腰を下ろした。
怖かった。
あの日、あの場所で——化け物の体内で、毒と痺れに蝕まれながらも俺の名前を呼んでくれた小早の腕の感触が、まだ手のひらに残っている。あそこから一歩間違えば、俺たちは二人揃ってあの闇に溶けて消えていた。
「……小早」
掠れた声が、自分のものとは思えなかった。
視界が急に熱くなり、止めどなく涙が溢れ出てくる。防護服の袖で乱暴に拭おうともせず、俺はボロボロと零れる涙のまま、目の前の動かない彼女にすがるように言葉を紡いだ。
「ずっと……避けていて、ごめん……」
喉の奥が締め付けられ、息が詰まる。
「どこかで……お前は、いつだって平気な顔をして、怪我ひとつせずにまたいつものように笑って会えるって……心のどこかで油断していたんだ。……安宅だって、あんな風に死ぬなんて思っていなかったのに……あの日、あいつが死んだというのに、俺は……また同じ過ちを繰り返すところだった……っ!」
守ると決めたはずなのに。
強くなると誓ったはずなのに、結局いつも、取り返しのつかない土壇場になってから後悔している。お前を一人で地獄に行かせ、あの暗闇の底でどれほど孤独に怯えさせていたか。想像するだけで、自分の無力さが狂おしかった。
「もう……一人にしないでくれよ……。頼むから……死なないでくれ……っ」
顔を覆い、情けなく声を上げて泣いた。
その時だった。
カサリ、と。
静寂に包まれた病室で、微かな衣擦れの音がした。
「……っ?」
はっと顔を上げると、酸素マスクの向こうで、ずっと固く閉じられていたはずの小早の瞼が、弱々しく、ゆっくりと持ち上がっていた。
「小早……!?」
息を呑む。だが、その瞳に光はない。瞳孔は焦点が定まっていなくて、目の前にいる俺の顔すら、おそらく今の小早には認識できていないはずだ。
それでも——意識の底から這い上がるように、小早はわずかに指先をピクリと動かした。
何かを探すように、冷え切った手をシーツの上で彷徨わせる。
「小早、俺だ……関だぞ……っ!」
震える手を伸ばし、俺はその冷たい指先をそっと包み込むように握りしめた。
すると、小早はわずかに力を込め、まるで縋るように、俺の指を握り返そうと小さな指を動かした。
言葉にならない嗚咽が、胸の奥から突き上げてくる。
完全に目を覚ましたわけじゃない。名前を呼んでも、返事はない。
それでも、その微かな温もりが、冷え切った俺の心に痛いほど染み込んでいった。
「……もう離さないからな……。ここにいるよ、小早……」
俺は小早の冷たい手を両手で包み込み、二度と離さないと誓うように、ぐっと額を押し当てて泣き続けた。




