後悔と別れ
前線の維持と防衛線の再構築のため、立ち止まることなど許されていなかった。
中山も、関も、そして俺も……ほんのわずかな手の空いた数分間、交代でここへ駆けつけることしかできない。
泥のように重い夕刻、束の間の交代時間を使って、俺は集中治療室のドアを開けた。
重苦しい足音を殺して室内に入り、ベッドの傍らに立つ。
「……小早」
低く呼びかけてみたが、返事はない。
酸素マスクの下の顔は血の気が完全に失われ、まるで死人のように白い。顔や首筋に巻きつけられた包帯には、痛々しい生血の痕が黒ずんで滲んでいた。鼻や喉、そして無数の傷が刻まれた腕へと伸びる細いチューブ群が、かろうじてこの命を現世に繋ぎ止めていることを物語っている。
掠れた人工呼吸器の駆動音と、心電図が刻む弱々しい電子音だけが、虚しく室内に響いていた。
俺は無言でパイプ椅子を引き寄せ、重い身体を預けた。
普段なら訓練場で教え子たちを威圧し、背中で引っ張るためのこの大きな手が、今は己の膝の上で情けなく固く握りしめられている。
……なんで、気づいてやれなかった……
目を閉じれば、あの雨上がりの茜色の空が脳裏に焼きついて離れない。
左腕を死なせたまま、全身から血を流し、全神力を狂気のように撒き散らして戦っていたあの猛者。手合わせをしてみたいとさえ思わされた、あの破滅的で美しい輝き。
それが……絶対安静でベッドに寝ているはずの、自分の教え子・小早だったなんて。
そうだ、考えれば分かったはずなのだ。
各地から兵が集まっているとはいえ、これほどの神力と実戦のキレを持った人間が、今の福岡にそう何人もいるわけがない。
違和感を覚えた時点で、なぜあいつだと気づけなかったのか。教官面をしておきながら、俺はあいつの放つ神気の質すら見抜けなかったのかと、激しい自己嫌悪が胸を抉る。
「……お前は、いつもそうだ」
掠れた声が、自分でも驚くほど惨めに漏れた。誰に聞かせるでもない、悔恨の呟きだった。
「ずっと一人で全部背負い込んで……何でもできるような顔をして、裏でボロボロになって……。俺が教官としてお前を見ていた気になっていただけだったのか」
返事のない小早の指先にそっと触れる。凍りついたように冷たかった。
「……全部自分のせいだって顔をして、ただ静かに壊れていっていたんだな。それを……俺も中山も、何一つ止めてやれなかった」
無理に戦場へ出なくてもよかったのだ。相原たちの分まで背負う必要も、一人で死地へ飛び込む必要もなかった。
だが、あいつにとっては「誰かのために死ぬこと」だけが、あの日……立川で仲間を失い、一人生き残ってしまった罪悪感から逃れる唯一の救いだったのかもしれない。
「頼むから……目を醒ましてくれ、小早……」
俺は頭を深く垂れ、強靭な拳で己の膝を叩きつけた。皮が破けるほどの衝撃も、今の胸の痛みに比べれば何も感じなかった。
「関も、中山も、俺も……全員ここにいる。もうお前を一人で戦わせたりしない。だから……戻ってこい……っ」
その時、扉の外から急を告げる荒い足音が近づいてきた。
交替の時間だ。立ち上がらなければならない。またあの中原の地獄のような空へ戻り、血と煙の中で指揮を執らなければならないのだ。
俺は重い腰を上げ、最後にもう一度、微動だにしない小早の顔を見つめた。
酸素マスクの向こうで、呼吸はあまりにも浅く、命の火は今にも消えてしまいそうに揺れている。
「……また来る。絶対に、死ぬなよ」
悲痛な誓いを残し、俺は振り払うように背を向けた。
ドアを開け、再び死臭と硝煙の漂う戦場へと足を踏み出していった。




