シーン5 名前を捨てた娘
数日後。
静は光を京の花街にある知り合いの家へ預けた。
光は戸惑っていた。
「ここは……」
「芸妓の世話をしている家です」
「私に芸妓になれと?」
「他にも道はあります」
静は答えた。
「ですが、今のあなたには身を隠せる場所と、暮らしを立てる手段が必要です」
光はうつむいた。
「私は武家の娘です」
「そうですね」
「父は三枝藩の家老でした」
「聞いています」
「それなのに……」
言葉が続かない。
静はしばらく待った。
やがて言った。
「小野寺殿」
「はい」
「あなたは琴が弾けますか」
「……はい」
「歌は?」
「少しなら」
「書や和歌は?」
「父から習いました」
「それなら、何も持っていないわけではありません」
光は顔を上げた。
静は続けた。
「ここでは、あなたが今まで身につけてきたことが役に立つかもしれません」
「……」
「もちろん、修業は必要です。
簡単な仕事ではありません」
光は黙って考えた。
「私は……生きていてもよいのでしょうか」
静は眉をひそめた。
「何を言っているのです」
「父も、片桐様も……私を逃がすために……」
「だからこそでしょう」
静の声が少し強くなった。
「あなたが死んでしまったら、あの方たちは何のために命を懸けたのですか」
光は涙をこぼした。
静は少し困った顔になった。
「……泣くのは構いませんが」
「はい……」
「できれば、明日からは笑ってください」
「笑う……?」
「その方が、周囲も安心します」
光は涙を拭った。
「あなたは、ずいぶん厳しい方ですね」
「よく言われます」
「でも……優しい」
「それは違います」
「いいえ」
光は初めて、少しだけ笑った。
「あなたは優しい方です」
静は返事をしなかった。
こうして、小野寺光は過去を隠し、「お光」という名で生き始めた。




