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シーン1 京都と大津間

(登場人物)


青井由太

江戸から京都へ流れ着き、静に拾われた青年。働くことは嫌いだが、料理・洗濯・掃除は得意。年上女性に可愛がられる才能と、本人に自覚のない情報収集能力を持つ。


神無月静

由太の「飼い主」。表向きは花街で生きる女性だが、裏では倒幕派に関係する女間者。剣の腕も立つ。


山南敬助、沖田総司、近藤勇、土方歳三

新選組の隊員

 元治二年二月。


 まだ冬の冷気が残る京の朝、青井由太は布団の中で丸くなっていた。


「由太、起きなさい」


 神無月静が布団を剝いだ。


「寒い」


「見れば分かります」


「今日は病ということにしてくれない?」


「何の病です?」


「働きたくない病」


「それは持病でしょう」


 静は枕元へ一枚の紙を置いた。


「大津の薬種問屋へ行って、この薬を受け取ってきなさい」


「大津……」


 由太は、まるで長崎へ行けと言われたような顔をした。


「遠い」


「歩いて行けます」


「荷物が重い」


「まだ受け取ってもいません」


「帰りには重くなる」


「口だけは先回りしますね」


 静は支度金を渡すと、由太を部屋から追い出した。


 仕方なく歩き出した由太は、壬生の近くで旅支度をした男と出会った。


 新選組総長、山南敬助だった。


「山南さん。お出かけですか?」


「……ええ。少し、遠くへ」


 山南は穏やかに答えたが、その笑顔にはいつもの柔らかさがなかった。


 手には小さな包みが一つ。長旅にしては荷物が少なく、近所への用事にしては覚悟の決まった顔をしている。


 もっと勘の鋭い人間なら、何かを察しただろう。


 しかし由太が気にしたのは、ただ一つだった。


「どちらまで?」


「ひとまず、大津へ」


 由太の顔が明るくなった。


「ちょうどよかった」


「何がです?」


「僕も大津へ行くんです。一緒に行きましょう」


「いや、私は――」


「帰りに荷物が増えるんですよ。僕一人では持てないかもしれない」


「私に持たせるつもりですか?」


「半分だけでいいです」


 最初から全部持たせる顔をして、由太は言った。


 山南は困ったように笑った。


 これから新選組を脱走しようとしているとは、とても言えなかった。


「途中までなら、ご一緒しましょう」


「助かります。僕、道もよく分からないので」


「大津まで行くと言っていたでしょう」


「行き先を知っていることと、行き方を知っていることは別です」


 山南は思わず吹き出した。


 自分が屯所を抜け出してから、初めて出た笑いだった。


 二人は京を離れ、東へ向かった。


 由太は歩きながら、静の小言や、お光に食べ物を奢らせた話を延々と続けた。山南は相槌を打ちながら、時折、背後を振り返った。


「誰か来ますか?」


「いいえ」


「新選組の人に追われているとか?」


 山南の足が止まった。


「どうして、そう思うのです?」


「さっきから後ろばかり見ているから」


「由太君は、ときどき妙に鋭いですね」


「ときどきとは失礼ですね。僕はいつも人の顔色を見ています。怒られる前に逃げるために」


 やはり鋭いわけではないらしい。


 山南は再び歩き始めた。


「由太君。もし私が、新選組を辞めたと言ったら、どうします?」


「そうですね……」


 由太は真剣に考えた。


「静に相談します」


「あなた自身は、どう思うのです?」


「辞めたいなら、辞めればいいのでは?」


「簡単に言いますね」


「働く場所を辞めるのに、命まで取られるのはおかしいでしょう」


「新選組には、新選組の決まりがあります」


「決まりは、人を生かすためにあるんじゃないんですか?」


 山南は答えなかった。


 その言葉は、山南が長い間、自分に問い続けてきたものだった。


 やがて二人は、林に囲まれた細い道へ入った。


 その先から、争う声が聞こえた。


 数人の浪士が一人の侍を取り囲んでいる。侍は肩から血を流しながら、懐の書状を守っていた。


 山南の目が変わった。


「由太君、ここにいてください」


 刀を抜くと、山南は浪士たちの間へ飛び込んだ。


「その方から離れなさい!」


 山南の剣は、いつもの温厚な姿からは想像できないほど鋭かった。一人の刀を払い、もう一人の腕を打つ。


 浪士たちは相手が新選組の剣士だと悟ったのか、捨て台詞を残して逃げていった。


 由太は木の陰から顔を出した。


「もう出ていいですか?」


「あなたは本当に言われたとおり隠れていたのですね」


「戦えませんから」


 それを恥じる様子もない。


 負傷した侍は、会津藩の使者だった。守護職・松平容保のもとへ急ぎの書状を運ぶ途中、襲われたのだという。


「書状を……京へ……」


 使者はそう言って倒れた。


 山南は街道の先を見つめた。


 このまま大津へ行けば、新選組を離れられる。


 だが、負傷者と書状を見捨てることはできない。


「由太君。近くの宿へ助けを求めてください」


「一人で?」


「急いで!」


「はい!」


 由太は珍しく素直に駆け出した。


 ほどなく宿の者を連れて戻り、使者は戸板に乗せられた。


 そのとき、道の向こうから一人の若い侍が現れた。


「山南さん」


 沖田総司だった。


 沖田は山南の旅支度を見て、次に負傷した使者と由太を見た。


「ずいぶん探しましたよ」


「総司……」


「土方さんが、連れて戻れと」


 沖田の声は穏やかだった。しかし右手は刀の柄から離れていない。


 山南は静かにうなずいた。


「分かりました。戻りましょう」


「ちょっと待ってください」


 由太が二人の間に入った。


「山南さんは僕と大津へ行く途中だったんです」


「由太さん。そこを退いてください」


「僕が荷物を持ってもらうために連れてきました」


「由太君」


「山南さんは黙っていてください。話がややこしくなるので」


 山南を黙らせて、由太は沖田へ向き直った。


「それに山南さんは、この人を助けました。大事な書状も守りました。悪いことはしていません」


「善いことをしたから、決まりを破ってよいわけではありません」


「でも、逃げる人が僕なんかを連れていきますか?」


 沖田が黙った。


「僕は足が遅いし、道も分からないし、すぐに休むし、お腹も減ります。逃げるなら、一人の方が絶対に楽です」


「そこまで堂々と言われると、反論しにくいですね」


 沖田の手が刀から離れた。


 会津藩の使者も、苦しい息の下で言った。


「その者は……私と書状を救った。処分するというなら、守護職様へ、ありのままを報告する」


 沖田は小さく息を吐いた。


「分かりました。全員で屯所へ戻りましょう。あとのことは近藤先生と土方さんが決めます」


          ◇


 屯所へ戻ると、土方歳三の顔は冬の空よりも冷たかった。


「山南。自分が何をしたか、分かっているな」


「はい」


「局を脱する者は――」


「待ってください」


 また由太が口を挟んだ。


「おまえには聞いていない」


「でも、山南さんは脱走していません」


「旅支度で大津まで出て、何が脱走ではない」


「僕の供です」


「誰が許可した?」


「僕です」


「おまえの許可に何の意味がある!」


 土方の怒声に、障子が震えた。


 由太は近藤勇の後ろへ少しだけ隠れた。


「でも山南さんは戻ってきました」


「総司に捕まったからだ」


「違います。山南さんは、会津藩の人を助けた時点で逃げるのをやめていました」


「なぜ、そう言える」


「逃げるだけなら、書状なんか放っておけばいい。僕も置いていけばいい。それをしなかったんです」


 土方が言葉に詰まった。


 山南は頭を下げた。


「土方君。由太君は、私を庇っているだけです。私は隊を離れるつもりでした。処分は受けます」


「山南さんは黙っていてくださいと言ったでしょう」


「自分から切腹したがる人がどこにいるんです?」


「ここにいます」


「そういうところが面倒なんです」


 近藤が、こらえきれずに笑った。


 土方が睨む。


「近藤さん、笑い事ではない」


「分かっている。だが歳、会津藩の使者を救った功績を無視するわけにもいかん」


 その日の夕刻、会津藩から正式な使いが来た。山南の働きを賞し、寛大な処置を求めるという松平容保の意向が伝えられた。


 近藤は長い沈黙の末、裁定を下した。


「山南敬助。無断で屯所を離れた罪により、総長を罷免。当面の間、謹慎を申しつける」


 山南が顔を上げた。


「切腹では……」


「ならん」


 近藤は言った。


「おまえには、まだ働いてもらう」


 土方は不満そうだったが、反対しなかった。


「次に勝手な真似をすれば、そのときは俺が斬る」


「承知しました」


「それから由太」


「はい」


「二度と隊士を勝手に供に使うな」


「では、今度から先に土方さんへ頼みます」


「俺は行かん」


「荷物を半分持つだけでいいです」


「全部自分で持て!」


          ◇


 数日後。


 謹慎中の山南を、静と由太が訪ねた。


「このたびは、由太がご迷惑をおかけしました」


 静が頭を下げると、山南は微笑んだ。


「いいえ。私は由太君に命を救われました」


 静は信じられないという顔で由太を見た。


「由太が、何をしたのです?」


「私を一人にしなかったのです」


「僕が一人で大津へ行きたくなかっただけです」


「やっぱり、いつもの由太ですね」


 静は呆れたように息をついた。


 山南は庭へ目を向けた。


 梅の枝には、小さな蕾がついていた。


 あの日、一人で京を出ていれば、自分は二度とこの花を見ることはなかっただろう。


「由太君」


「何です?」


「人は、ときには誰かに頼られることで、生きる理由を見つけるのかもしれません」


「そうでしょう?」


 由太は得意そうに胸を張った。


「だから僕は、これからも静に頼って生きます」


「今の話を、どう聞いたらそうなるのです?」


 静の拳が由太の頭に落ちた。


 山南の笑い声が、春を待つ屯所の庭に響いた。


 後に山南敬助は、新選組と伊東甲子太郎の間を取り持つ重要な役目を果たすことになる。


 だがその始まりが、一人のヒモ男児の、


「荷物を持ってください」


 という、なんとも情けない頼み事だったことを知る者は少ない。


外伝のこの話はこれで完結。

これからも、由太が引き起こすエピソードを書いていきます。

また、感想若しくは評価をいただけると光栄です。

よろしくお願いいたします。

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