4 お坊ちゃまと
小さな声が、耳のすぐ隣で落ちた。
「……2人だな」
ロヴィが、視線だけで扉の方を示した。
足音に混じって床がきしむ。とても一人の音には聞こえない。
わかるの?……人数が……。
そう聞きそうになって、飲み込む。すぐ近くで声がした。
「6日後だろう祈祷は」
思わず息を止めた。
「ああ、その前に、剣技大会の剣にこの毒を仕込めってさ」
「たかが小僧狙うのに入念だな」
「誰のせいかわからないところが狙いらしい」
隣でロヴィが息を詰めるのがわかった。
「ややこしいこった」
「おっ、いけねえ。時間ないぞ」
「始まるな。また怒られるぞ」
「やばいな」
バタバタと足音が遠ざかる。
静かになり、固く握りしめていた両手を緩めた。いつの間にか手汗をかいていた。
ほっと息をついてロヴィを見上げた。
「祈祷か……」
ロヴィが呟く。
6日後?
——7日後じゃない。
そうか……祈祷は6日後の夜から始まるのよ。
ベッドで苦しんでいた少年の姿が浮かんだ。何としても助けなきゃ。
私は、木箱の陰から抜け出した。一瞬、一緒にいたお坊ちゃま君がはっとしたようだったけどお構いなしだ。
夢で見たのと同じ壺を発見して覗いてみる。何かの灰が入っていた。確かこれを儀式で撒くんだわ。恐る恐る手に取ると、それはさらさらしていた。ハンカチに少し包んだ。
でもこのままじゃだめだわ、何とかできないかしら。
きょろきょろと辺りを見回すと、水の入った水瓶が置いてあるのが目に入る。
私はそそくさと水を汲むと、灰の入った壺に流し込んだ。さらさらだった灰が、水を吸って重く沈んでいく。タプタプにしておいたけど……これで本当に効くのかしら。
お坊ちゃま君の視線が、私の指先と濡れた壺の縁を一度だけなぞった。
いたずらがばれた子供の気分だわ。あいまいな笑みを返しておく。
それよりも時間が無いわ。夢で見た小さな壺を探す。確か、骨みたいなのが入っていたはずよ。
祭壇の前に飾られた壺に目がいった。これね。中を覗くと小さな白いものが入っていた。
――骨だ。
恐る恐る指先が触れる。
冷たくて、軽かった。
——助けなきゃ。
それだけを思って、スカートのポケットに押し込んだ。
隅に落ちていた石をつまんで、骨の入っていた壺に落とす。
よし、後は剣に塗られる毒、でもどうしよう……。
顔を上げると隅でお坊ちゃま君の剣先が壺の中に沈んでいる。
——何をしているのかしら?
剣を抜きあげると、光を吸い込むような濃い紫色が、ねっとりと絡みついていた。
あっ、あれは……毒だわ。
「それは毒よ!」
私が慌てて近寄ると、彼は持っていた布でその剣をぬぐう。
「そのようだな」
「知っているの?」
「ああ、見覚えがある。何の毒かは帰ってから確かめる。君こそ、何をしていた?」
強い口調に言い訳を探す。
えっと、と言いかけて、視線をさまよわせた。
その時にテントの外で鳥の鳴き声が聞こえた。
ホゥ~ホゥ~
フクロウ……?
こんな街中に?
「タイムリミットだ。——行くぞ」
彼はそう言うと私の手を取った。
区切られた部屋の外に出ると、大きなテントの通路でさっきのお坊ちゃま君の付き人が待っていた。
「今なら、裏から出られます」
「わかった。君も来るんだ。入り口はまずい」
頷く間もなく手を引かれた。
テントの外に出ると、人ごみに紛れてその場から離れた。
人通りのない脇道に入ると、お坊ちゃま君はフードを取る。柔らかいアッシュブラウンの髪が現れた。澄んだ灰がかった青緑の瞳。
——その奥が、一瞬だけ深いブルーに沈んだ気がした。
「僕はロヴィ。君の名は?」
えっ、差し出された右手に思わず戸惑った。私が躊躇していると彼は口角を上げる。
「少なくとも——さっきまでは運命共同体だった。違うかな?」
おずおずとロヴィの手を掴んだ。
「私はリゼ。ロヴィ、さっきは助けてくれてありがとう」
私が手を引っ込めようとすると、ロヴィはぎゅっと私の手を掴んだ。
「リゼ、君は——なぜあそこに潜り込んでいた?」
その有無を言わせない口調に、心臓がはねる。
「あなたが私の味方かどうか——わからないわ」
そう言うと私は自分の口を閉じる。左手で口元に人差し指を当ててバツを作った。
ロヴィは少し意外そうに笑うと、私の手を離した。
ロヴィの目が、私のポケットの膨らみに視線を落とした。
一瞬、間があった。
——ばれた? この人は心眼の持ち主かしら……。
「君には敵がいるのか」
その言い方に、思わず眉が寄った。
「私は、助けたい人がいるの。それだけよ」
「それは、誰かな? 君の知り合い?」
私は首を振った。知り合いじゃない。顔も名前も知らない。それでも助けたい人だった。
それに言えるわけもない。だいたい、あのテントに忍び込む時点で怪しいわ。お互い様だけど。
「言えない。その人が危険になるから」
「なるほどね。じゃあ、こうしよう。僕は、君が毒だと言ったあれを調べる。
君はポケットの中身を調べるといい」
彼は少し考えるようにテントの天幕を見た。
「どうせ——あの壺の中身は、もう使えなくなっているだろうからね」
その言い方に、背筋がひやりとした。
見てたの?
……私は答えに詰まった。
でも、あと7日しかないんだわ。少しでも打てる手が多いに越したことはないわね。
「わかったわ。じゃあ明日までに調べてね。明日の午後にまた会いましょう」
「いいね。明日か、望むところだな。場所は……」
「街の図書館でいいわ」
「ああ、いいだろう」
そう言うとロヴィと護衛の人はゆっくりと歩き出した。
私の歩調に合わせている? 魔道具屋の前まで来ると、歩みを止めた。
「では、明日」そう言い残すと2人は来た方へと戻っていった。
当たり前のようなその態度に——その時の私は、気づかなかったの。
もしかして、送ってくれた?
一言も言ってなかったのに。
2人の後ろ姿を見ながら魔道具屋の扉を押した。
ポケットの中で、骨が静かに重さを主張していた。
彼らは6日後と言っていた。
祈祷が始まるまで、6日しかない。




