第18話 ラベンダー
覚悟もしていた。
昨日の花菜の電話は、いつも聞く声の何倍も緊張していたから。
今日という日が来て欲しくないと寝る前に何度も願ったが、無情にも今日が来た。
僕は修学旅行で買った未開封の恋のお守りを持って学校に行く。
授業が終わることがこんなにも苦しい日が来るなんて思わなかった。
いつも以上に授業も身に入ってこなかった。
お昼ご飯も予定があるといって空き教室を探し、1人で食べる。
こんなにも味のしないお弁当は今まで食べたことがなかった。
僕は携帯の鍵付きの写真フォルダを開ける。
パスワードは2人の誕生日を足した数だ。
1年と少しの間に、こんなにも思い出があったんだなと実感した。
2度目のクリスマスはどうやら来そうにない。
イヤホンを耳に入れる。
花菜が好きなアーティストの失恋の歌を流す。
せめて感傷に浸りたかった。
何度も聞いて、覚えて、カラオケで歌って、
「こんな別れは嫌だね」なんて言って笑って。
僕はそんな曲を聴いて、今は泣いている。
今泣かないと花菜の前では泣きたくないから。
きっと彼女も苦しんでいるから。
せめて泣かないでいてあげたい。
財布の中には小さなポリ袋を入れている。
その中には無数の紙が入っている。
お店のナフキンや、文房具コーナーの試し書き用の紙、ノートの切れ端、付箋。
そこには花菜の書いた言葉や絵がある。
大切で捨てられなかった。
それを見たいつかの花菜は
「そんなのまだ持ってるの?」なんて
笑ってくれていた。
僕は見返す。
あの日の幸せが戻ってくる。
僕はブレスレットをこの袋に入れる。
もう使うことはないから。
でもまだ捨てられそうにないから。
お昼休みも終わりに近づき、僕は後片付けをして教室をあとにする。
授業も終わり、部活も終わった。
部活をやっている時だけ、ほんの少しだけ今日を忘れることができた。
本格的に寒くなったにもかかわらず、最後はやっぱりココがいいだろう。
慣れ親しんだ公園も今日が最後かもしれない。
ココは花菜が元々使ってた駅に近いだけの公園で、花菜がいなければ通ることもない公園。
寒さもあったし、悪あがきかもしれない。
温かいココアとミルクティーを自動販売機で買う。
花菜が来た。
街灯に照らされた花菜の目は赤い気がした。
冬の寒さかもしれないし、僕には分からない。
「寒いよね。ココアかミルクティーどっちがいい?」
「ありがとう」
花菜はココアを受け取った。
温める会話はもう必要ない。
お互い分かっていた。
僕は言う。
「で、話ってなに?」
「うん……」
花菜は少し間を置く。
「まだ、わからないの。どうしたらいいか、どうすればいいか」
「うん」
話せそうになかったから僕は花菜に聞く。
「嫌いになった?好きじゃなくなった?」
「ううん、そんなことはないんだけど……でも……」
張り裂けそうな胸で、乾いた口で聞く。
「他に好きな人でもできた?」
「好きというか……それもまだ分からないの。
だからどうしたらいいか分からないの。
でも、こんな気持ちで付き合い続けたくないと思って……
あと、私の気持ちがぐちゃぐちゃなのも
気づいてるかなって思って……
それも申し訳ない気持ちでいっぱいで……」
「知ってたよ」
僕は「気づいた」とは言わなかった。
それは違ったから。
花菜は気になったようで、
「知ってたって、何を?」と聞き返してくる。
「ワタルくん、だよね? 花菜が気になってるのは」
花菜はハッとし、頷く。
「でも、その……」
と言葉を選ぶ花菜を、僕は遮る。
「元カレだったんでしょ」
花菜は僕が知らないと思ったのか、目を丸くしていた。
「見ちゃったんだよね。未送信のフォルダ」
「……いつ見たの?」
「携帯を交換して触ったときだよ」
ちょうど半年くらい胸に閉まっていた事だ。
このまま幸せだったら伝えることもなかった。
花菜の秘密。
僕との半年を思い返してなのか、花菜は静かに涙を流す。
僕はハンカチを渡す。
「返さなくていいから」
「なんで言ってくれなかったの?」
「言わないよ」
ちょっと笑うように言った。
花菜の方を見直して、
「言えないよ」と真顔で言う。
泣いているので、僕は続ける。
「文化祭の展示も、花火大会も、体育大会も、誕生日も、そして修学旅行も……全部見てたよ。
別にそれは悪いことじゃない。仕方なかったんだ。
僕じゃ、なかったんだよ」
「そんなことない! 僕じゃないなんて言わないで!」
花菜は泣きながら強く言った。
「花菜からまだ聞いてない。出来ればちゃんと言って欲しい。ゆっくりでいいから、ちゃんと聞くから」
話そうとすれば涙の溢れてくる花菜。
僕は花菜の背中をさすろうと思ったが、手を引っ込めた。
「わ、たしは……ワタ、ルくんと、中学校の時に、つきあっ、てて……
後輩だっ、たし、受験、とか……ワ、タルくんは、部活あ、って……
すれ違って、別れたの……
その時は、凄く悲しくて……
それで送ろうと思って、送れなかったメールがずっと残ってた……
ワタルくんがうちの高校に来るのは知らなくて……
駅であったときはビックリした……」
花菜は涙をこぼしながら続ける。
「その時から……付き合ってた時のことを思い出して……
未練なのかどうなのかも分からなくて……
彼氏もいるのにダメだってなって……
それなのに体育大会の時に一緒に走ったのもすごく楽しくて……
あの時のお題は「可愛いと思う人」だったって言われて……
嬉しく思ってる自分もいて……
お題聞かれた時、答えられなかった……ごめんなさい……」
「修学旅行の電話は……部活の事だったんだけど……
自分がすごく後ろめたくて……卑怯なことしてるって思った……
好きっていう気持ちを利用してるって思った……
なのにずっと知ってて……黙ってくれてたって分かった今……
申し訳なさがもっと溢れて……どうしたらいいか……」
花菜はまた涙は止まらなかった。
そんな花菜を見てられなかった。
「花菜はどうしたい?」
落ち着いた口調で聞く。
「今の気持ちのまま付き合い続けちゃだめだって思ってる……
気持ちの整理をしなきゃって……でも、別れるって思うと
……いやで、ずるいよ、ね」
「ズルくないよ。分かった。僕たち、距離を置こうか」
「そんな曖昧な関係……」
「曖昧でいいんだよ。僕は花菜が好きだ。
だから花菜の答えを待つよ。
それに……何でもない」
「好きな子の涙には勝てない」
そう言いかけて、僕はやめた。
「これ、あげる。京都で買ったやつだけど」
そう言って恋愛成就のお守りを渡した。
花菜が持っていれば、
どっちの結末でも恋愛成就になるだろうから
「とりあえず……今までありがとう。幸せだった。大好きだよ」
花菜は黙って頷くだけだった。
「駅まで一緒だね。帰ろう」
僕はもう、花菜の手を取らない。
駅までの道はひと言も話さなかった。
改札を抜けると、それぞれのホームに別れる。
いつもはホームへ下るエスカレーターを見えなくなるまで見送っていたけど、
「じゃあ」と言ったあとは一度も振り返らなかった。
僕も静かに涙を流した。
制服の袖で拭う。
花菜に見せずにすんだ。
今日、僕は1日の終わりに送っていた「おやすみ」というメールを初めて送らなかった。
僕たちは距離を置いた。




