6.
碧生優乃の訪問から二日後。翌日に本番を控えており、既に完成した屋外ステージに優乃と梓は立っている。
「どう? 客席から観るのと、実際に立つのじゃ全然違うでしょ?」
楽しげなステップを踏みながら、優乃は楽しそうに尋ねてくる。
「お前、ほんと肝据わってんな。あんな脅迫状もらったくせしてこんな開けたところに出てきてさ」
「なによ。別に死にやしないんだから安心でしょ? だって、あんたが守ってくれるんだし?」
煽るような瞳に、呆れて溜め息を返す梓。
九井市を挟んで流れる二本の川。そのうち、西側の川を背にしているのが今回のステージである。川の反対側から上がる花火が、ライブをさらに盛り上げてくれるという仕様だ。
またライブ終了直後には、花火大会が本格的に始まりファンたちと一緒に楽しめる形となっている。
「……お前、何考えてんだ」
ステージの端に腰を下ろす優乃に、梓は吐き捨てるように尋ねる。
彼は決して、この屋外で彼女の隣に座らない。誰にどう見られてしまうか分からないのだ。本音を言えば、こうして二人で会うこと自体も避けたかった。
彼女が悪意に晒されてしまうことが、梓には許せないからだ。
「……そうねぇ……多分、梓が怒りそうなこと」
対して優乃は、そんな彼の優しさを十二分に理解しているからこそ、挑発するように言ってみせて彼を見上げる。
手が伸びそうになって、拳を握り込んで堪える。
彼女の煽りを受けて、掴みかかったところで何も起こらない。
「いいのよ別に。分かってるでしょ、あんたも私もどうにもならないって」
「自己犠牲をしていい理由にはならないだろ」
「だったら相談所に来ないわよ。梓には、梓にしか出来ないことがあるからこうして来てもらったんだから」
軽く頭を抱えて、梓は深い溜め息を吐いた。
「ライブ、明日だろ? そろそろ教えろ、俺に何をさせたいのかを、きっちり」
優乃の隣に立ちながら、梓はステージから周囲を見渡す。数々の椅子、いくつもの照明、スピーカーがずらっと配置されている。今すぐにマイクを持って彼女は歌い出しても、何の支障もない状態に準備されていた。
「ボディーガードよ。最初から言ってるでしょ?」
「それ以外、含みがありそうだから聞いてるんだろ」
容赦ない夏の陽射しが照り付けていて、卵を置いておけば勝手にゆで卵になってしまっていそうな暑さ。
その下で、梓も優乃も汗一つかいていない。
「あんた、祝いのことで何か変化あった?」
「……何かあった言い方だろ、お前が」
神様に祝われて、時間を止められてしまった才ある人間。祝嘘者と呼ぶ者もいるそれは、まるで世界を拒絶しているように当たり前のことが起こりえない。暑さに晒されて汗を流すなんて単純なことはもちろん、傷を負うこともない。
「それを聞くためだけなら、電話だけでよかっただろ」
見上げてくる視線を、梓は見下ろして合わせる。彼女の視線に込められているものに、何も気付くことが出来ない。
「こえ」
たった二文字。ワンフレーズだというのに、梓の耳には美しく響いた。
「声が、聞こえなかった?」
「…………今?」
静かに首を横に振って否定する優乃に、梓は眉間にシワを寄せて返答とした。
「どこかの誰かが、頭の中で話してくる。いやに騒がしかったりするかもしれない声」
とん、とこめかみを人差し指で示す。
「その感じ、まだなんだ」
つらそうな、悲しそうな、そのくせ泣きそうな、嬉しそうな、そんな笑顔を浮かべる。
「じゃあ梓は、こっち、来ないでね」
何を意味しているのかを、聞くことは出来ない。
日紫喜梓は、困ったことに聡明な人間だ。こっち、が何を表現しているのかはなんとなく分かってしまう。
互いに同じ立場。現状が怪我を負うことのない、時間を拒絶している状態。優乃の言葉を受け止めれば、その先があるということだ。そのきっかけが声だということは、何も聞いていない梓は、まだ進んでいないから「声」が何なのか分からなかった。
だが梓は、ここで知ってしまった。
「多分、もう人には戻れないんだなって分かっちゃうから」
涙など一滴もこぼれていないのに、泣いているようだった。
「……とっくに、俺らは人じゃないだろ」
蝉も鳴かないほどの猛暑日。三八度に到達する今日でさえ、陽射しに焼かれることなく二人はこの世界から外れていた。
「ねぇ、もうちょっと言葉、選んでくれない? 女の子なんだから、傷ついちゃうわよ」
涼しげに笑う優乃に、梓は嘆息する。
「女の子、って自分で言うの、ロクなやつじゃないだろ」
「その喧嘩、買ってあげるわ」
さらにいたずらに笑顔を深める優乃。
さて、ここであらためて。
日紫喜梓と碧生優乃は、それぞれとある才能が秀でているために神に魅入られた。人間という枠から少しだけ外れている。
で、あれば。
二人は同時に、ステージ裏にある川の方へ振り返る。
人間は存外、自身に向く視線というものが分かる生き物である。自分たちが整えた環境で生きているが故に、野生を肌で感じていた祖先のようにはいかないが、本能の一部が残っているという証拠だろう。
ステージセットに隠されているというのに、その先から視線を感じ取ってしまった。
「待って梓」
何をしようとしたのかをすぐに察した優乃は、梓のジーンズの裾を掴んで引き留めた。
「おい、何で邪魔すんだ」
「行って何するつもり? 誰かいたとして、あんたがとんでもないジャンプで登場してどうすんの? ただの人なら驚いてひっくり返るし、悪意持ってるなら逃げられるわよ」
逃がさない、と口にしようとして首を横に振った。不安を物語るその瞳に、梓は容易く負けてしまった。長年その目と向き合ってきてしまったから。
「……お前が見てる夢が『人形』のせいだとして、脅迫状の差出人が『人形』の持ち主とは限らないだろ」
梓はここでようやく、言いたかったことを彼女にぶつける。
同一犯だという確信を持つには、材料が何一つ存在しない。夢の原因が、優乃に対して『人形』を使っているということは分かっても、夢を通じて干渉してくる以上誰なのか分からない。また夢の中では相手の顔が分からず、意図的に隠している可能性がある。
そして脅迫状。そもそも書状という形式で優乃の手に渡っているため、誰が作ったものなのか分からない。ましてや愉快犯とも考えられる。それが本物だと、実行する意思があると断言しているというのが、梓は腑に落ちずにいた。
「でも、違う人物だと証明する材料もないでしょ?」
結局のところ、どれもあり得るし、どれもあり得ないということだ。身も蓋もないが、犯人が目の前に現れなければ分からない、という話になる。
なにしろ調べるための時間も、証拠品もないのだから。
「やっぱりこれ、俺関わらなくてもいいだろ。お前のところに犯人が来て、勝手にお前が解決してるとしか思えん」
昔から知っているからこそ、彼女の行動力を梓は理解している。やりたいから、と言って碧生優乃はこうしてアーティストデビューして、実際に多くのヒット曲を世に送り出している。「世界の一番を取ってみたら面白そうでしょ」というとんでもない発言から、気付けば彼女はここまで来ているのだ。
仮に。
ヒトナリ相談所に所属することになったとしたら。いずれ樫木の手を離れて、多くの依頼を解決に導いてしまうだろう。
それほどまでに、彼女は彼女の願った通りのものを手にする吸引力がある。
「えぇ、そうね。確かにあんたがいなくても大丈夫よ」
事も無げに告げる優乃は、立ち上がるとショートパンツを払ってゆっくりとステージを歩き始める。
「そりゃあ、私なんだからどうにでもできちゃうわよ。でも、それじゃダメなの」
軽やかなステップを踏んで、楽しげに振り返ってみせる。そんな眩しい笑顔は、見た者をときめかせるのに十分なほどに愛らしい。
「私じゃ『人形』は壊せないから。私は怪我をしないけど、相手をすることも出来ないのよ」
彼女が神に魅入られた才能では、決して『人形』と相対することは叶わない。というよりは、『人形』を破壊できてしまう梓が異常なのだ。
「襲われる、なんて断言は出来ないけど、可能性は捨て切れないから。で、あんたがどうにでもしてくれるって信頼してるから頼ったのよ」
また深く溜め息を返した梓は、乱暴に自分の頭を掻いた。
「もう勝手にしろ。きちんと依頼通り優乃のことは守る。でも夢についての依頼は先生宛なんだから、俺はそっちには関わらん」
不貞腐れるようにして腕を組み、視線を感じた方をまた睨みつける梓。
その横顔を見て、嬉しそうに笑みを深める優乃。
「だいじょーぶ。どうせ、嫌でも関わるから。だって、梓だもん」
そんな言葉を、梓は聞こえないふりをした。




