4.
別室から引きずられてきた樫木は、梓と共にその部屋の惨状に黙り込む。
「で、相馬ちゃんはダンスに興味ない? 歌でもいいわ。どっちも私がレッスン手伝うし、絶対に芸能界で成功するわよ」
美凪の顎に手を添わせ、一言ごとに少しずつ引き寄せている。このままキスでもしてしまいそうな勢いであり、下手をすれば逆に押し倒してしまいそうなほどだ。
この部屋を出る直前の、美凪の助けの言葉がどういうことだったのかを理解する。
「助けてください先輩、先生」
助けを求める美凪だが、その表情はまさに恍惚。自身が推しているアーティストに口説かれているという状況に、完全に心を奪われてしまっている。
「優乃。お前、依頼引き受けねぇぞ」
「あら残念。相馬ちゃんもらっていきたいんだけど」
「ダメに決まってんだろ。ほらまず手を離せ。次に相馬から離れろ。最後に、先生連れてきたからそっち行け」
優乃は樫木を視認すると、目を輝かせてすぐさま美凪から離れて立ち上がる。背を向けて髪を整えたかと思えば、スマホで見ながらメイクまで見直し始める。
「先生、ダメですよ」
「何も言ってないじゃないか」
「足の向き、何で廊下に行ってるんですか?」
「いやぁ、何か忘れ物が会ったような気がして」
「酒はいつもの引き出しに入れてますし、忘れ物が本当にあるんなら俺が持ってきますから。さっさと椅子に座ってください」
既にシャツの裾を掴んでおり、樫木をここから逃がすことは絶対に許さない姿勢。ぐいと引くと、応接室にようやく入って役者が揃った。
「……で、碧生くんはどうして相談所に?」
「またまたぁ。先生もう分かってるじゃないですか」
先程まで微塵も出なかった猫撫で声が、優乃から飛び出してきた。豪奢な椅子に腰掛けた樫木は、思わず眉間を揉んで深く溜め息を吐く。
「一応、要件を聞きましょう。ここは私だけではなく、梓くんも美凪くんもいるのですから」
すると優乃は、一度驚いてから「ふぅん……?」と口にして美凪を見やる。
「凄いね相馬ちゃん。樫木先生から名前で呼んでもらえてるんだ」
言葉の理由が分からず首を傾げる美凪を横目に、優乃は樫木へ視線を戻す。
「私は今、脅迫状をもらっているだけじゃなく、ある夢に悩まされてるの」
口元を押さえ、軽く思案を巡らせる。端的に言葉にするために、必要な情報を吟味しているようだ。
「その夢には、私と、顔の見えない男が出てくるの。いつもステージで始まって、白いドレスの私に歩み寄ってくる。その男が二言ぐらい話して、そこでいつもその夢はおしまい」
知れず、梓と美凪は顔を見合わせていた。
「そんな夢をもう、一週間繰り返し見て寝不足気味なの」
肩を竦めて、話は終わりだという合図にする。
ヒトナリ相談所に持ち込む依頼ではないと思われる、なんとも突拍子のないこと。だが梓も、なにより美凪が顔面蒼白になってその内容に嫌悪感を示している。
「優乃さん、一つ、私から聞いてもいいですか?」
おずおずと挙手をして、この場で絶対的部外者だと思っていた美凪がそんなことを言ってきた。優乃は驚きのあまり身を軽く乗り出しながらも、小さく首を縦に振る。
「その夢で、何か危害を加えられたりしてませんか?」
具体的な質問に、優乃はすぐに気付く。
「……なるほど、君、だからここに来たんだ」
口の中で転がすほどに、小さな声で独り言ちる。
「そうね……別段何かをされてるわけじゃないわ。ただ、結婚式の真似事をさせられてるだけってイメージが一番伝わるかしら?」
いつもはそのヒスイ色の瞳がこぼれ落ちんばかりに見開かれているが、今の美凪は伏し目がちに細められている。
「相馬、無理するな」
梓の言葉に対し、強く首を横に振った。
「大丈夫です。梓先輩と樫木先生が解決してくれたんですから、私にはもう何の問題もないんです」
何も言わない樫木も、美凪の横顔に心配そうな視線を向けていた。それが優乃には、何故か羨ましく映ってしまった。
「私も、似たようなことに悩まされてここに来ました。でも私の場合は違います」
碧生優乃は、後悔というものを飽きるほどしてきた。
「似たような、って?」
しかし、後にも先にも、これ以上の後悔はない。
尋ねるべきことではなかったのだと、強く下唇を噛んで悔いる。
「私は毎晩夢で、『人形』にレイプされていました」
同性だというのに、もしかしたらを考えられなかった、自分の浅さを悔いるしかなかった。




