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九井市では毎年八月上旬に、市を挙げての大規模な夏祭りが催される。商店街だけでなく、あらゆる路地で出店が立ち並び、市を挟んで流れる二本の川で同時に花火が打ち上げられる。
市内ではどちらを向いても鏡合わせにしたように花火が上がり、市外では同時に上がる花火を見ることが出来るため、九井市内よりも近隣地区の方に人が集まるというなかなか珍しい人の動きになる。
だが、今年に限っては違った。九井警察署全面協力の元、厳重な警備が敷かれている。この夏祭りとのコラボレーション企画として、九井市出身であり現在のヒットチャートを席巻している歌手yu-noが凱旋ミニライブをするためだ。
連日、差し迫った当日までの間に警備体制を確認するための訓練と、市内のパトロール強化が行われており、それまでに起こっていた軽犯罪や交通事故が目に見えて減っていた。
そんなことなどお構いなしに、今日もヒトナリ相談所では一匹の白猫が梓の隣に陣取っている。
「ねぇミィちゃん。そこね、私の場所なの。譲ってもらえない?」
天然の金髪が鮮やかな、ヒスイ色の瞳を持つ、誰もが一度は見てしまう容姿。相馬美凪は、いつもの通り友人の家から脱走してきた白猫に対し交渉を持ちかけている。
ソファに我が物顔で座り、あまつさえ日紫喜梓の隣を確保している。その件を穏便に処理しようと頑張っているのだが、白猫ミィは聞く耳持たず、吞気に自身の体を舐めて、まるで隣の男に見初められようとしているみたいだ。
「カトちゃんとこのミィちゃん、もう相談所が自分の家みたいになってますね」
「本当だよ。しかも決まって俺の近くに来るし」
対する日紫喜梓は、隣を陣取る白猫を撫でつけ、まんざらでもない様子である。それが美凪は気に入らないが、猫に嫉妬するほどに情けない自分を顧みて何も言わないよう我慢している。
「あー、そうだ。今日は依頼人来るから、一応構えとけよ」
「先輩が紹介したんですか? 学校の人とか?」
「いや、紹介じゃないし学校のやつでもない。ただ、伝えとくべきかなと思ったのと、感謝の準備をしとけよっていう」
いまいち主語のぼかされた言葉に、美凪は首を傾げるばかり。まるで真似するように首を傾げる白猫には気付かない。
「そういえば、先生今日は見かけませんね。書斎にこもってるんです?」
この館の主である樫木仁成は、二人の座る応接室に姿を現していない。いつもであれば美凪は出迎えてもらえるのだが、今日に限ってそれがないのが不思議である。
「……苦手だからなぁ」
「えっ猫がですか?」
「いやそっちでなく」
続く言葉を遮ったのは、館内に鳴り響くインターホンの音だ。この広い洋館のどこにいても聞こえる、門前のインターホンは美凪にとっての謎の一つである。一度尋ねてみたがはぐらかされたため、聞いてはいけない事柄の一つなのかもしれない。
「ちょっと行ってきますね」
「大丈夫。俺が行ってくる」
普段応対を任せきりにしている梓が立ち上がり、珍しくそそくさと応接室を出て行った。呼び止める間もなく去った背中を見て、ますます疑問が膨らむ。残された白猫と向き合うと、また首を傾げる。今度はそれに倣って傾げる猫を見ることが出来たため、あまりの愛らしさについ撫で回してしまうが、受け入れてもらえてしまい落としどころをなくしてしまう。
どうにも今日は、不思議な始まりだった。
「というわけで、相変わらず先生は出てこない」
「でも『依頼だ』って言えば、ちゃんと来てくれるんでしょ? いつも通りの対応をしてもらえれば私はそれだけでいいの」
ぴしゃりと言い切る女は、目深に被った白いバケットハットとサングラスを室内でも外さず、先刻まで梓が座っていたソファの対面に座っていた。
お茶の準備をして戻ってきた美凪は、自然体で話している二人を見て少しだけ脳に靄がかかる。
「失礼します、紅茶をどうぞ。ミルクと砂糖はこちらです」
「ありがとう。ストレートで頂くわ」
余裕のある返答に、美凪の靄はさらに深くなる。この感覚が嫉妬だと理解していてなお、その深さを強めることをやめられないのはどうしてだろうか。その答えが分からないから、美凪は余計に唇を尖らせてしまう。
「というかあなた、新しいバイトさん?」
「へっ。あ、は、はい。相馬といいます」
急に興味を示され、つい声が裏返ってしまった。
すると大きな溜め息を吐いて、梓が割り込んでくる。
「おい優乃、悪い癖出てるぞ」
「いいじゃない減るもんじゃないんだし。あんたに断られてるの、今でもちょっと根に持ってるんだからね」
「ガラじゃないだろ普通に」
「なーによ。梓は力仕事は当然、要領はそれほど悪くないんだし、人柄も問題ないんだからそばに置いて損はないって思ったんだから誘うでしょ」
「その歳で打算的に生き過ぎだろ。俺は絶対お前のこと嫌いになるから断ったんだぞ」
「あら、私のこと好きだったの初耳なんだけど」
「嫌いだったらそもそもライブに行かないだろ」
「そりゃこっちだって嫌いなやつにチケットなんて贈らないわよ」
矢継ぎ早に繰り広げられる会話に、声をかけられたはずの美凪は混乱で言葉を失ってしまう。
それに気付いた女は、しまったとでも言うような表情になり、サングラスをずらして優しく微笑みかけた。
「ごめんなさい、つい夢中になっちゃって。あなたすごく可愛いから、ちょっとスカウトしたくなったのよ。芸能界、興味ない?」
「優乃」
「聞くだけよ、聞・く・だ・け」
美凪はこの瞳を、よくよく思い返せばこの声を知っている。
「そっか、部屋でこれも失礼よね」
そう言った彼女は、サングラスをテーブルに、ハットをソファの手すりへと置いた。
「初めまして。ローマ字でyu-noって言ったら、わかるかしら?」
左目のウインクを挨拶代わりに、青みがかった黒髪に一束銀のメッシュを入れた彼女。それは紛れもなく、今国内のヒットチャートを賑わせている実力派シンガーyu-noその人であった。




