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取引先のビルに足を踏み入れ、応対に出てきたのは華やかな雰囲気を纏った女性担当者・高橋だった。
「久保田さん! お久しぶりです〜。今日も相変わらず素敵ですね」
打合せ室に通されるなり、高橋は親しげな笑みを浮かべて久保田との距離をぐっと詰める。仕事の挨拶の体を取りつつも、露骨に久保田の腕に軽くなじむような仕草を見せ、楽しそうに談笑を始めた。
久保田はというと、嫌な顔一つせず、いつもの大人の余裕と穏やかな笑みをたたえている。
「高橋さんもお変わりなさそうで何よりです。今日の提案、楽しみにしていただければと思っています」
「もう、久保田さんが担当なら何でも大歓迎ですよ? あ、こちらの方は?」
「後輩の榛名です。今回のプロジェクトでメインの分析を担当してもらいました」
「よろしくお願いします、榛名蓮と申します」
挨拶をする蓮に向けられる高橋の視線は、どこか形式的なものだ。すぐにまた久保田の方へと向き直り、「久保田さん、この後の懇親会も絶対参加してくださいね?」と距離を詰めて語りかけている。
誰にでも優しく、スマートに対応する久保田の姿勢は「優秀なビジネスパーソン」として完璧なものだった。……だが、それをすぐ隣で見せつけられる蓮の胸の奥には、モヤモヤとした冷たい嫉妬が広かっていく。
(久保田さん、誰にでもあんな風に優しいんだ……)
昨夜、自分だけに向けられていたと思っていたあの温かい手つきや眼差し。それが久保田の持つ「大人としての余裕や社交性」の一部に過ぎないのではないかという不安が、蓮の心を締め付けた。
打合せが始まり、蓮はプレゼンをこなしながらも、久保田が高橋に向ける柔らかい笑顔や相槌のひとつひとつに、胸をキュッと痛めていたのだった。
プレゼンが無事に終わり、会議室には和やかな雰囲気が漂っていた。
「素晴らしいご提案でした! さすが久保田さんのチームですね」
高橋は手を叩いて絶賛すると、ごく自然な動作で久保田の隣へ移動し、資料を覗き込む名目で距離を詰めた。肩が触れそうなほどの近さに、蓮の胸がチクリと痛む。
「高橋さんにそう言っていただけると助かります。榛名が頑張ってデータをまとめてくれたおかげですよ」
久保田は笑顔で応じつつ、名指しで蓮を持ち上げてくれた。……けれど、蓮の視線が高橋の手元――久保田のジャケットの袖にそっと添えられた彼女の指先に注がれていることには、全く気づいていない様子だった。
「もう、久保田さんはすぐ後輩の手柄にしちゃうんだから。あ、この後少しお茶でもいかがですか? 」
上目遣いで覗き込む高橋に、久保田はいつもの穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「そうですね。次のアポまで少し余裕がありますし、お言葉に甘えましょうか」
「本当ですか!? 嬉しい! 近くに素敵なお店があるんです」
嬉しそうに声を弾ませる高橋と、断ることなく自然に応じる久保田。
久保田にとってこれは、単なる社交辞令であり、取引先との円滑な関係を保つための「仕事」に過ぎないのだろう。下心など欠片もないことは分かっている。
分かってはいるのに――昨夜、自分だけを特別に愛おしそうに見つめてくれたあの瞳が、今はあまりにもあっさりと他の女性に向けられているように見えてしまう。
(久保田さん……全然気づいてない……)
一言「榛名も行くぞ」と声をかけられ、二人の後ろをついて歩く蓮の足取りは重かった。
視界に入る久保田の背中が、昨夜の密着していた距離からは考えられないほど遠く感じられ、蓮は二人を見つめギュッと拳を握りしめるのだった。




