僕たちは皆、限界まで来ていた
二人の距離が――
一気に縮まった。
速い……!
――カァァァン!!
僕の剣と、彼女の針が激突した。
だが、今回は――
攻撃が見えた。
そして、間に合った。
今の僕が持つマナのおかげで、折れた剣の刃も、一時的にマナで補うことができている。
激しい火花が周囲へと飛び散った。
まるで、衝突の勢いだけで空間そのものが縮んでいるようだった。
そして――
初めて。
彼女の髪が、わずかに浮き上がった。
その隙間から――
片方の目が見えた。
桃色の瞳。
静かな目。
それでも、その奥にはかすかな光が宿っていた。
――カァァン!!
再び、二つの武器がぶつかる。
そして――
もう一度。
――カン!
――カン!
――カン!
攻撃が加速していく。
だが……
もう、以前ほど圧倒的な差は感じなかった。
――ドン! ドン! ドン!
戦場が移動する。
一角へ。
激突。
壁際へ。
激突。
周囲のものが、次々と破壊されていく。
もし過去の僕が、この少女と戦っていたなら――
数秒どころか、一瞬すら持たなかっただろう。
けれど今は……
――カァァァァァン!!
僕は彼女を強く弾き飛ばした。
ついに、彼女の身体が後方へ吹き飛ぶ。
……できる。
僕にも、戦える。
ただし――
長くは続かない。
マナの消耗が激しすぎる。
これは……あの変化のせいなのか?
僕は一瞬だけ、道化師へ視線を向けた。
そして――
目を見開いた。
何が起きている?
あいつ……
血を流している。
静かに立っている。
だが、苦しそうだった。
呼吸も、明らかに重くなっている。
僕は少女を見る。
……もしかして。
これは――
彼女のせいか?
彼女が戦い続けることで……
あの道化師の力まで消耗している?
もしそうなら――
これは僕たちにとって都合がいい。
つまり……
これは本当の意味で――
消耗戦だ。
なら……
――カァァァン!!
僕は全力で少女へ突っ込んだ。
そして、再び激突する。
――ドォォォォォン!!
一方、その頃――
再び、地面から砂埃が舞い上がった。
そう。
皆さんお待ちかね――
友達のフィンが帰ってきたぞ!
この一度も休ませてもらえない、クソみたいな人生を生きるために――
僕は今日も走っている。
この世界で目を覚ました、その瞬間から……
一度たりとも、まともに休めたことがない。
――うわぁぁぁぁ!!
くそっ!
僕にはマナがない。
力もない。
何もない。
なのに――
どうしてこいつは、まだ僕を狙っているんだ!?
僕は走りながら、後ろを振り返った。
――シッ! シッ!
あっちへ行け!
お前には勇者と、その仲間がいるだろ!?
普通、こういう怪物は勇者を狙うものじゃないのか!?
どうして――
ただのモブを狙うんだよ!?
その瞬間――
――ドォォォォン!!
地面が爆発した。
石と一緒に、僕の身体まで空中へ跳ね上げられる。
――あは……
いやぁ……
なんて綺麗な場所なんだ。
夕日を見るには最高だなぁ……
――あははは……
そして――
――ドォォン!!
僕は勢いよく地面へ叩き落とされた。
――うがぁぁぁぁ!!
肋骨がまだ痛い。
サムラくんの治癒でも、この痛みは治らなかった。
外側の傷は治せても……
内臓までは治せないらしい。
くそっ!
力を取り戻した後でも役に立たないじゃないか!
……いや。
でも、少なくとも――
「フィン!」
オーリンが急いで僕のところへ駆け寄ってきた。
そして――
――カァァァン!!
目に見えない怪物へ向けて、素早い斬撃を繰り出す。
ああ……
勇者だ!
勇者が僕を助けに来てくれた!
結婚してくれ!
……
うん。
女の子だったら、最高に似合う台詞だな。
でも現実は――
もっとひどい。
ところで、皆さんは気になっているかもしれない。
今回、どうしてオーリンがここまで正確に怪物の位置を捉えられているのか。
まあ……
サムラくんが、ついさっき新しいスキルを手に入れた――
そういうことにしておこう。
どうやって手に入れたのかは、僕にも分からない。
ただ、そのスキルはどうやら――
空気に生じる変化を捉えることができるらしい。
一見すると、あまり役に立たなさそうなスキルだ。
だが――
実際には、怪物の位置と動きを予測することに成功している。
僕の役に立たないスキルとは大違いだ。
――チッ。
羨ましい。
僕が理解した限りでは――
あの怪物が攻撃すると、その動きによって周囲の空気が押し出される。
その変化を利用して、サムラくんは怪物の位置を特定しているらしい。
――カァン!
オーリンが再び斬りかかった。
そして、横へ飛ぶ。
――ドォォン!!
怪物の攻撃が地面を叩き砕いた。
なるほど……
これで僕は、もう感知スキルにそこまで意識を割かなくていい。
それは助かる。
今の僕は、別のことに集中しているからだ。
怪物と、その操り手。
この二つを同時に追い続けるなんて、僕には無理だ。
だから――
怪物の位置を探る役目は、サムラくんに任せた。
その間に僕は――
操っている奴の位置を探す。
案内役が突然消える前に教えてくれたことによれば――
僕には、この怪物を操るためのスキルがある。
その名は――
『パペット・エンジン』。
ただし、条件が一つある。
操り手が――
ほんの一瞬だけ、怪物への集中を失うこと。
たった一瞬。
その瞬間に――
僕は介入できる。
そして、その時――
<フィンは『パペット・エンジン』を使用できます。>
「……え?」
「このスキル……何をするんだ?」
<操り手が怪物への集中を、ほんの一瞬でも失えば――>
<その瞬間、『パペット・エンジン』が介入し、両者の接続を切断できます。>
<そして――>
<怪物は、あなたの支配下に置かれます。>
「本当に?」
「僕にもできるのか?」
<はい。>
<ただし、適切な瞬間を待つ必要があります。>
「つまり……」
「パペット・エンジンで操り手に圧力をかける。」
「そして、操り手がほんの一瞬でも集中を失えば……」
「僕が怪物を奪い取る。」
「なるほど……」
「悪くない作戦だ。」
「でも……」
「その瞬間って、いつ来るんだよ?」
さっきの一撃。
そして、建物の壁へ叩きつけられたせいで――
僕は、ほとんど身体を動かせない。
僕は建物の瓦礫の間から、ふらつきながら這い出した。
<『パペット・エンジン』成功後、『キューブ・グラトニー』の使用を推奨します。>
「……」
「もちろん。」
「次は、それだ。」
そして――
現在。
あのゴリラは、遊んでいるだけだ!
くそっ!
いつまでかかってるんだよ!?
「フィン!」
オーリンが僕を見る。
「大丈夫か?」
僕は苦労しながら立ち上がった。
「うぐっ……」
……ギリギリだ。
でも――
「そのまま続けてくれ。」
「その動き……勇者っぽくていい。」
くそっ……
自分で言っていて悲しくなる。
どうして僕は――
脇役なんてやってるんだ?
しかも、諦めて受け入れた後ですら――
僕は一度も、脇役らしい人生を送れていない。
勇者の力もない。
才能もない。
その上――
運すらない!
くそ……
こんな理不尽な異世界なんて――
大嫌いだ!!
戦いが、少し離れた場所へ移った。
剣がぶつかる音。
爆発音。
それらが、あちこちから聞こえてくる。
これだ。
僕が必要としていた状況。
「イラリアは道化師を追い詰めている。」
「オーリンは怪物を相手にしている。」
「そして僕は……」
「作戦を実行する、その瞬間を待つ。」
その時――
かすかな揺らぎを感じた。
僕は動きを止めた。
目を見開く。
「この感覚……」
「来た。」
考える暇はなかった。
手を伸ばすことさえせず――
僕はキューブを思い浮かべた。
光の糸が一気に絡み合う。
カチ……
カチ……
キューブの面が回転する。
そして――
完成。
今回は……
待たない。
僕は素早く手を怪物へ向けた。
「来い……スキル。」
「お前を使うのは、これが初めてだ。」
「だから……」
「僕を失望させるなよ。」
その瞬間――
手のひらから何かが伸びた。
細い光の糸。
半透明で――
僕以外には見えない。
……
糸が空中を進んでいく。
近づく。
もっと。
そして――
突然、止まった。
まるで、見えない何かにぶつかったように。
「……え?」
僕は手に力を込めた。
だが――
糸は動かない。
すると……
向こう側から、何かが強く引っ張り始めた。
腕が震える。
「何……?」
「抵抗しているのか?」
歯を食いしばる。
そして、糸をこちらへ引き寄せた。
その姿を誰かに見られていたら――
きっとこう言われただろう。
『こいつ……何やってるんだ?』
怪物が震えた。
その動きが――
止まった。
攻撃も――
途中で止まる。
オーリンが怪物を見つめた。
……
「止まった……?」
僕は、糸が何かに巻きつくのを感じた。
そして――
締まる。
もっと。
もっと。
やがて、接続がはっきりと感じ取れるようになった。
その瞬間――
頭の中を何かが通り抜けた。
映像。
ただの映像じゃない。
完全な――
光景。
怪物が見えた。
今度は――
目の前にいるかのようにはっきりと。
その身体。
その動き。
そして――
糸。
僕の身体から伸びている。
怪物へ。
そして怪物から――
さらに先へ。
そこには――
顔の見えない誰かがいた。
……
吐き気が込み上げてくる。
「うぇぇ……」
僕は口元を押さえた。
「なんだよ、これ……」
「気持ち悪すぎる……!」
それでも、糸は離さない。
むしろ――
さらに強く握り締めた。
「……離すもんか。」
その瞬間――
何かが切れた。
糸ではない。
その先にある――
もう一つの繋がりが。
まるで、怪物と操り手を繋いでいた何かが断ち切られたように。
……
――ドォォォォォン!!
エネルギーの波が、糸を通って一気に流れ込んできた。
僕は一歩後ろへ下がった。
「うあっ!」
足が滑りそうになる。
だが――
倒れなかった。
……
そして、向こう側では――
怪物が完全に止まった。
オーリンが、ゆっくりと剣を下ろす。
そして怪物を見る。
……
「……どうして止まった?」
僕は、まだ糸を握っていた。
消えていない。
そこにある。
確かに――
僕の支配下にある。
……
僕は笑った。
「よし、フィン。」
「欲しかったものは――手に入れた。」
僕と怪物を繋ぐ糸を見る。
そして――
システムの通知を思い出した。
『キューブ・グラトニー』。
……
「よし。」
「怪物を食べたら、何が起こるのか……」
「確かめてみよう。」
「ただ……」
「このスキルがどれだけ危険なのか、さっき分かったばかりだ。」
「だから――」
「答えは……」
「やめておこう。」
「じゃないと――」
「街ごと全部、内側へ引きずり込むことになりそうだからな。」
僕は支配の糸に縛られた怪物を見る。
「こいつをここから取り出す方法が必要なら……」
「今の僕にある一番いい手段は――」
「あの小さなキューブだ。」
以前、エネルギーを保存して、特定の対象へ反射させるために使った――
あのキューブ。
「でも……こいつを中に閉じ込められるのか?」
「もし、大きさを広げた時も同じ理屈が通用するなら……」
「それに、もう怪物は僕の支配下にある。」
「だったら――」
「中に閉じ込められるかもしれない。」
僕は手を上げ、指を怪物へ向けた。
その瞬間――
周囲のすべてが、ゆっくりになった。
風の音が重くなる。
砂埃の動きも遅くなる。
怪物でさえ――
一つの瞬間に閉じ込められたように見えた。
だが――
時間そのものが止まったわけではない。
ただ――
世界のすべてが、極端にゆっくりになっている。
「どうしてかは分からない。」
「でも……」
「今しかない。」
怪物の周囲に、光の糸が現れた。
最初の一面。
続いて――
二面。
三面。
そして四面。
光の面が次々と形成され、あらゆる方向から怪物を囲んでいく。
怪物は、その中心にいた。
閉じ込められている。
「よし……」
「今だ。」
「閉じろ。」
僕は手を内側へ押し込んだ。
だが――
キューブは動かない。
指が震える。
さらに押す。
すると――
怪物の身体からマナが噴き出した。
「シュゥゥゥッ!」
キューブの面が激しく揺れる。
「くそっ……」
もう一度、閉じようとする。
だが――
抵抗が強くなる。
手が震える。
歯を食いしばる。
「動け……」
「動けよ……」
そして――
抵抗が、一瞬だけ弱まった。
その時。
僕は――
予想もしなかったものを感じた。
敵意ではない。
攻撃の意思でもない。
これは――
恐怖。
僕の目が大きく見開かれる。
「……何?」
「こいつ……」
「怖がってるのか?」
答えを考える暇はなかった。
僕は指を強く握り込み――
残った力を全部込めて押した。
もっと。
もっと。
そして――
カチィィィン!!
キューブが閉じた。
怪物が、その中へ消える。
僕の腕が落ちた。
ハァ……
ハァ……
ハァ……
「やった……」
「……終わった。」
その瞬間――
ゆっくりになっていた時間の流れが、元の速度へ戻った。
風が動く。
砂埃が舞う。
遠くから聞こえていた音も、一気に本来の速さへ戻っていく。
だが――
息を整える時間すら、僕には与えられなかった。
その頃、反対側では――
道化師が、ゆっくりと腕を上げていた。
指を動かそうとする。
だが――
思うように動かない。
鼻から、一滴の血が落ちた。
ポタ。
そして――
もう一滴。
ポタ。
道化師は腕を下ろした。
その前では、イラリアが限界まで追い詰められていた。
折れた剣に身体を預けながら、荒い呼吸を繰り返している。
ハァ……
ハァ……
ハァ……
「……もう、続けられない。」
イラリアは顔を上げる。
少女は――
まだ立っていた。
静かに。
淡い紫色の髪を、顔の周りに揺らしながら。
そして――
一歩。
もう一歩。
少女が近づいてくる。
イラリアは、震える手で剣を持ち上げた。
――行かせない……
ハァ……
――私が生きている限り……
ハァ……
――あなたを、あそこへ行かせない。
少女が、イラリアの前で止まる。
そして――
初めて。
その唇から――
声が漏れた。
「夜は眠る……木々の上」
「風も眠る……家々の向こう」
イラリアの身体が凍りつく。
「……歌ってる?」
少女は旋律に合わせて動く。
「ひとり歩いた……雨の中」
「声もなく……道もなく」
イラリアの呼吸が震える。
「この歌……」
「さっき聞いた……あの歌だ。」
少女が、もう一歩進む。
「君は来た……雨の中」
「迷いながら……寒さに震えて」
その声は静かだった。
静かすぎるほどに。
その静けさが――
かえって恐ろしかった。
少女が手を上げる。
「だから私は……手を差し出した」
存在しない誰かの手を握るように、指を前へ伸ばす。
「君は私に……笑顔をくれた」
ゆっくりと回る。
「それからの日々……」
「夜はもう……長くなかった」
もう一度、回る。
「星を数えた……夜の下」
「ひとつは私……ひとつは君」
イラリアの脚から、少しずつ力が抜けていく。
それでも――
目を逸らせない。
「雨が降れば……屋根の下」
「冬が来れば……もっと近く」
少女の髪が顔の周りで揺れる。
「二人でいれば……」
「この家はずっと……暖かかった」
そして――
ピシッ……
少女の身体に亀裂が走った。
内側から、淡い光が漏れ出す。
ドォォン……
次の瞬間――
少女の身体が、無数の色とりどりの光へと弾けた。
光は空へ舞い上がっていく。
イラリアは顔を上げた。
――何……?
少女が消えた。
「どこへ……?」
ケホッ……
ケホッ……
イラリアは、なんとか立ち上がろうとする。
――まだ……
――まだよ。
そして――
道化師を見る。
そこには、まだいる。
ハァ……
ハァ……
「まだ……あいつがいる。」
イラリアは一歩、前へ出た。
だが――
道化師が背を向け、歩き始める。
「おーい!」
「待ちなさい、道化師!」
道化師は止まらない。
「怖いの……?」
「友達が消えたから?」
道化師が止まった。
背を向けたまま。
沈黙。
そして、イラリアが荒い呼吸の中で言う。
「こんなに立っているのも苦しいのに……」
「どうして私は、まだ喋ってるのかしら……」
空へ舞う光を見上げる。
――本当に強かった……
――でも、あんな綺麗な女の子に、あんな傷があるなんて……
道化師は動かない。
イラリアは続ける。
――そうね……
――あんなに静かで綺麗な顔に、あんな傷があるなんて……痛ましいわ。
「たとえ……ただの人形だったとしても。」
「……もう、そうは思えないけど。」
少しだけ間を置く。
そして――
「あなた……」
「彼女に、あんな傷があるから……」
「隠していたの?」
道化師の頭が動いた。
ゆっくりと。
そして――
腕が下がる。
イラリアは何かが変わったことを感じた。
周囲ではない。
――彼自身が。
「……何?」
道化師が振り返る。
ゆっくり。
そして――
彼女と向き合った。
イラリアの身体が――
凍りついた。
笑みが――
広がる。
さらに。
さらに。
口の端が裂けるほどに。
そこから血が滲み出す。
暗闇の中に――
鋭い歯が並んでいた。
そして――
その目は、もう目ではなかった。
空っぽの眼窩。
闇。
そこから赤い煙が、ゆっくりと立ち上っている。
イラリアの心臓が跳ねた。
足が、無意識に一歩下がる。
「……何、これ……?」
「これが……本当の顔?」
息ができない。
ただ、その姿を見つめる。
そして――
道化師が手を上げた。
顔全体を覆う。
ゆっくりと――
手を下へ滑らせる。
すると――
全てが元に戻った。
白い顔。
小さな笑み。
静けさ。
だが――
イラリアには、もう同じ道化師には見えなかった。
あの顔が――
まだ、その奥に残っている。
声を出そうとする。
だが――
声が出ない。
道化師が手を彼女へ向ける。
すると、指の間に――
赤い花が現れた。
それを上へ放る。
花は空中へ舞い上がり――
フッ……
淡い光とともに弾けた。
そして――
空中に文字が浮かび上がる。
<このラウンドは、君の勝ちだ。>
イラリアは、その文字を見つめる。
――何……?
――ラウンドって……何のこと?
答えはない。
道化師は消えた。
花も消えた。
ただ――
空に光だけが残った。
イラリアの指から力が抜ける。
そして――
身体が崩れ落ちた。
ほとんど崩壊した建物の――
その上。
一人の少女が、瓦礫の上に立っていた。
リン……
リン……
一歩進むたびに、靴についた小さな鈴が鳴る。
白と黒の縞模様の服。
その隣には――
道化師が立っていた。
二人は、下で気を失っているイラリアを見下ろしている。
少女が両手を上げる。
空中で指を動かす。
すると――
小さな人形が、彼女の手のひらに現れた。
ぬいぐるみのような人形。
それは――
先ほどイラリアと戦っていた少女に似ていた。
人形が顔を上げる。
――そこまでやる必要があったの?
道化師は答えない。
人形は少女の手のひらに立ったまま、道化師を見る。
――彼女の身体に影響が出るって……分かっているんでしょう?
道化師は、相変わらず無言だった。
そして――
数歩、後ろへ下がった。
その頃、別の場所では――
時間が、再び元の速度で流れていた。
爆発の音。
叫び声。
攻撃の音。
すべてが、再び本来の速度で響き始める。
そして――
残ったのは、重い沈黙だけ。
一人の兵士が周囲を見回す。
「……攻撃が止まった。」
「何が起きた?」
オーリンは、怪物がいた場所を見る。
何もない。
彼はサムラくんへ振り返った。
「サムラさん……」
「まだ感じられるか?」
サムラくんは顔を上げる。
周囲を見る。
耳を澄ます。
動きはない。
呼吸もない。
空気の変化すら――
ない。
「……感じません。」
「まるで……消えたみたいです。」
オーリンが僕へ振り返る。
「フィン……」
「お前は感じられるか?」
僕は口を開こうとした。
声が出ない。
手を上げようとする。
動かない。
「あ……」
「どうやら……」
「全部……使い切ったみたいだ。」
脚に力が入らない。
身体がふらつく。
一歩。
そして――
もう一歩。
何かに掴まろうと手を伸ばす。
だが、指が掴んだのは――
何もない空気だった。
「どうやら僕は……」
「本当に……限界まで来たらしい。」
そして――
すべてが暗闇に沈んだ。




