謎の敵との遭遇……
街の通り――。
イラリアは全速力で走っていた。
腰に差した剣の柄に手を添えながら、周囲の建物へと視線を走らせる。
……
「一体、どこにいるの……?」
フィンの言葉を思い出す。
『おそらく、この何かを操っている人物は、俺たちから左に三棟ほど離れた場所にいる。』
『そいつは、あの魔物を操り続けるために、一定の距離を保つ必要があるはずだ。』
『それと……どうやら、かなり高い場所にいるみたいだ。五十メートルくらいはあるかもしれない。』
……
「高い場所……」
「なら、空を飛んでいる可能性もある。」
「あるいは、建物の上に身を隠しているか……」
イラリアは周囲を見渡した。
高層の建物が、彼女を四方から取り囲んでいる。
……
「これは厄介ね。」
「フィンの推測が正しかったとしても……」
「この辺りを探すのは簡単じゃない。」
「建物が多すぎる。」
「時間が経てば経つほど……」
「状況は悪化する。」
イラリアは突然、足を止めた。
そして、後ろからついてきていた兵士たちへ振り返る。
「兵士たち!」
「ここで分かれるわ。」
「三つの班に分かれて、この周辺を捜索して。」
「怪しい人物を見つけたら、すぐに報告して。」
そして、付け加える。
「それと……忘れないで。」
「相手は高い場所にいる可能性があるわ。」
「了解しました、隊長!」
兵士たちは一斉に頷いた。
「よし!」
イラリアは小さく微笑んだ。
「気をつけて。」
「まだ、相手が何者なのかすら分かっていない。」
「了解!」
兵士たちは、それぞれ路地や建物の間へ散っていった。
……
イラリアは再び歩き始めた。
周囲の人々は、不安そうな顔で彼女を見つめている。
やがて、あちこちから小さな囁き声が聞こえてきた。
「コンティ・グラン公爵令嬢じゃないか?」
「ああ……」
「どうしてここに?」
「さっきの爆発や揺れのせいじゃないか?」
人々の顔に浮かぶ不安を見て、イラリアが最初に考えたのは――彼らを安心させることだった。
一歩前へ出る。
胸元に手を添え、穏やかな声で話しかけた。
「皆さん、心配する必要はありません。」
「突然の事故が発生しましたが、私たちができるだけ早く対処します。」
「約束します。」
「皆さんが結界の内側にいて、兵士たちの護衛を受けている限り、何も起こりません。」
人々は顔を見合わせた。
すると、一人の女性が不安そうに尋ねる。
「コンティ・グラン様……」
「本当に、大丈夫なのですか?」
イラリアは一瞬、言葉を失った。
……
「本当のところ……」
「私にも、まだ何が起きているのか分からない。」
「どうしてこんなことが起きたのかも……」
「フィンは、彼らが相手にしているものは魔物だと言っていた。」
「でも……どうして魔物が街の中に?」
「誰がそんなことを引き起こしたの?」
「そもそも、この結界はこういう存在を街に入れないためにあるはずなのに……」
……
「フィンの判断が間違っている可能性は……?」
……
「……いいえ。」
「そうは思えない。」
イラリアは顔を上げた。
「街では、いくつか危険な事故が起きています。」
「ですが、私たちができるだけ早く対処します。」
微笑む。
「もうすぐ秋の祭りも始まります。」
「何者にも、それを台無しにはさせません。」
人々が頷く。
その表情から、わずかに不安が和らいだ。
そして、イラリアは続ける。
「ですが、皆さんの安全のために……」
「そして、私たちが状況を制御するためにも……」
「一時的にこの地域から離れ、遠くの区画へ避難してください。」
「分かりました。」
……
イラリアは振り返った。
そして、再び走り出した。
---
「フィン……」
「本当に、あなたの言った通りなの?」
「もし本当にそうなら……」
「これは、とても大きな問題になる。」
「もし人々に、この事件の真実が知られたら……」
「きっと、ただでは済まない。」
「早く、この侵入者を見つけなければ……」
……
彼女は路地を駆け抜ける。
一つの建物。
そして、また一つ。
さらに、もう一つ。
……
何もない。
痕跡もない。
動くものもない。
そして、明確なマナの気配すら感じられない。
イラリアは足を止めた。
……
「何も感じない。」
「あの魔物を操っている人物がいるのなら……」
「普通なら、そのマナを感じるはず。」
「たとえ特殊なスキルで魔物を操っていたとしても……」
「長時間、制御を維持するにはエネルギーが必要なはず。」
「それとも……別の方法を使っている?」
……
イラリアは顔を上げた。
高くそびえる建物を見つめる。
……
「高い場所……」
「何かを隠している……」
「街を襲う魔物……」
「それなのに、明確なマナの気配がない……」
……
思考が止まった。
そして、彼女の瞳がわずかに見開かれる。
「……まさか?」
イラリアは即座に振り返った。
そして、一際高い建物へ向かって走り出した。
建物の下へ到着すると、イラリアは地面を踏みしめた。
「高き魂よ……」
「汝に敬意を捧げ、その力を求める。」
足元に魔法陣が展開される。
「私を……」
「汝の高みへと導け。」
地面から巨大な岩がせり上がった。
そのままイラリアを乗せ、勢いよく上昇していく。
そして――
彼女は建物の屋上へ飛び移った。
軽やかに着地する。
……
イラリアは屋上から街を見下ろした。
「もし、この人物が高い場所にいるのなら……」
「だから、下からでは位置を特定できなかったのかもしれない。」
「そして、あの魔物の気配を隠しているのと同じ方法で……」
「自分のマナも、周囲に拡散しないよう抑えている可能性がある。」
「もしそうなら……」
「ここからなら、見つけられるかもしれない。」
イラリアは深く息を吸った。
そして――
周囲のすべてが静まり返った。
冷たい風が静かに吹き抜ける。
青い髪が、彼女の顔の周りでふわりと舞う。
音が消えていく。
遠くから聞こえる街の喧騒。
自分の呼吸。
そして、風が空気を切る音だけ。
イラリアは目を閉じた。
そして、わずかな量のマナを放出する。
それが周囲へと広がっていく。
……
何もない。
……
「もっと集中して。」
さらにマナを放つ。
……
何もない。
疲労が顔に滲み始める。
それでも、彼女は諦めなかった。
「もう一度……」
目を閉じる。
意識を集中させる。
そして――
何かを感じた。
……
「……いた。」
……
「待って……」
「誰かが、あそこにいる……?」
そこから感じられるマナは――
あまりにも弱かった。
ほとんど存在しないと言ってもいいほどに。
イラリアは突然、目を開いた。
「……はぁ……」
「……はぁ……」
深く息を吸う。
「かろうじて、見つけられた……」
そして、遠くを見つめる。
「私たちは、そこまで離れているわけじゃないのに……」
「それでも、ほとんど感じ取れなかった。」
「それなのに……どうしてフィンは、あれほど離れた場所から……?」
……
彼女の脳裏に、フィンの顔が浮かんだ。
あの――
マナを一切持たない少年。
……
「フィン……」
「あなたはマナを持っていないのに……」
「私が思っていた以上に、多くの秘密を隠しているのね。」
その目つきが変わる。
「でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。」
「もし相手が、私たちに探されていることに気づいたら……」
「場所を移すかもしれない。」
イラリアは振り返る。
そして、屋上から飛び降りた。
「穏やかなる魂よ……」
「私を包み、その身で支えよ。」
彼女の足元に魔法陣が現れる。
冷たい風が身体を包み込む。
落下速度が緩やかになった。
そして、イラリアは軽やかに地面へ着地する。
……
顔を上げる。
「……見つけた。」
そして、全速力で駆け出した。
前へ。
先ほど感じ取った、謎の存在がいる場所へ。
……
「逃がさない。」
数分後――
イラリアはついに、監視用として使われている高い塔の前へ到着した。
足を止める。
そして、上を見上げる。
「さっきのマナ……」
「塔の頂上から感じた。」
……
「向こうも、私に気づいた?」
……
イラリアは剣の柄を強く握った。
深く息を吸う。
そして、螺旋状の階段を一気に駆け上がっていく。
……
「どうか、まだ逃げていませんように。」
「これ以上、場所を転々とされたら厄介だわ。」
……
「でも、あの魔物を操れる距離を維持したいのなら……」
「そう遠くへ移動するのは、相手にとっても得策じゃない。」
……
イラリアは目を細める。
「なら……」
「自分の隠れ場所に自信があるのか……」
「それとも……」
……
最後の階段を上り終える。
扉に手を置く。
そして、押し開けた。
……
屋上へ続く扉が開く。
その瞬間――
強い風が吹き込んできた。
青い髪が風に煽られ、顔の前を舞う。
……
イラリアは静かに目を開いた。
そこに――
誰かがいた。
十代後半ほどに見える、まだ幼さの残る少年。
その少年が、塔の縁に立っていた。
静かに。
あまりにも静かに。
……
「こいつが……?」
……
少年は動かない。
細い縁の上に立っているというのに、まるで普通の地面に立っているかのようだった。
恐怖もない。
緊張もない。
自分の存在を隠そうとする様子すらない。
……
「何者なの……?」
……
それが何より重要な問いだった。
イラリアは少年を注意深く観察する。
白と黒のストライプ柄のズボン。
同じ色合いのシャツ。
そして、頭には奇妙な帽子。
その帽子には、少し尖った角が生えている。
……
「……何なの、その変な服。」
……
一歩前へ進む。
剣の柄に手を添える。
「あなたは……何者?」
……
返事はない。
少年は拳を空中へ掲げた。
そして、ゆっくりと手を開く。
現れたのは――
一本の指。
……
「……何のつもり?」
……
イラリアは剣を抜いた。
シュィィィン!
昼の光が刃に反射する。
「街で騒ぎを起こしていたのは、あなた?」
……
少年は静かに両手を上げた。
一言も発さない。
……
イラリアは目を細める。
「答えなさい……」
「誰に命令されて来たの?」
少年はゆっくりと彼女へ振り返った。
それでも、まだ塔の縁に立っている。
風が帽子の二本の角を揺らしていた。
……
イラリアの目が、わずかに見開かれる。
少年の顔が、彼女の瞳に映り込む。
白く塗られた顔。
目と鼻と口の周囲を囲む黒い円。
そして――
たった一つの目だけが……
静かに彼女を見つめていた。
……
イラリアは剣を握る手に力を込めた。
「この少年……」
……
少年が一歩、前へ出る。
その奇妙な靴についた小さな鈴が鳴った。
リン……
……
「その場から動かないで……」
「あなた、何者なの?」
……
少年は帽子のつばを指先でつまみ上げる。
そして、無言のまま彼女へ一礼した。
……
イラリアは剣を少し持ち上げる。
「それが、あなたの挨拶の仕方?」
……
少年はゆっくりと身体を起こした。
そして、彼女へ向かって一本の指を立てる。
まるで「そうだ」と答えているかのように。
……
イラリアは皮肉な笑みを浮かべた。
「名前くらい名乗るのが礼儀じゃない?」
……
少年は動きを止めた。
そして、少しだけ顎に手を当てる。
……
本当に質問について考えているようだった。
そして――
ポン!
自分の拳を手のひらに打ちつけた。
……
両腕を上げる。
彼女に向かって軽く手を振る。
そして、両手を握り……
開く。
一度。
そして、もう一度。
……
手のひらを少し前へ向け……
それから、後ろへ返す。
……
すると突然――
両手の間に、小さな赤いボールが現れた。
……
「……何をしているの?」
……
少年はそれを指先でつまんだ。
しばらく眺める。
そして、少しだけ力を込める。
……
何も起こらない。
……
少年はイラリアへ視線を向けた。
そして、ボールを空中へ放り投げる。
ボールが高く舞い上がる。
二人の視線は、互いから離れない。
……
「私の気を散らそうとしているの?」
……
ボールが落ちてくる。
少年は右手で、落下途中のボールを掴んだ。
そのまま拳を閉じる。
そして、両手をイラリアの前へ差し出した。
……
沈黙。
……
少年はその場に立ったまま、しばらくの間、右の拳を揺らす。
そして左の拳を揺らす。
右。
左。
……
「……当てろっていうの?」
……
イラリアは剣を握る力を少し緩める。
そして、眉を上げた。
「これ、ゲームなの?」
……
少年は右の拳を前へ突き出した。
そして、微笑む。
穏やかな笑みだった。
――なのに。
なぜかイラリアは、不快なものを感じた。
少年は右手を開く。
何もない。
……
「……?」
……
左手も開く。
こちらにも何もない。
……
「私を混乱させようとしているの?」
……
イラリアはゆっくりと息を吐いた。
そして、小さく笑う。
「悪いけど……」
「そんなものじゃ、私は驚かないわ。」
剣を握り直す。
「私を驚かせたいなら……」
「もう少し面白いものを見せてみなさい、変な子。」
……
少年は彼女へ指を向ける。
そして、もう片方の拳を持ち上げる。
指を一本立てて、彼女を指した。
……
イラリアは動きを止める。
「……私に拳を開けっていうの?」
……
「気を逸らそうとしているだけね……」
……
しかし――
彼女は何かを感じた。
……
表情が変わる。
「……待って!」
……
「私の拳の中に……何かある?」
……
イラリアはゆっくりと手を開いた。
……
目を見開く。
「これは……」
……
「どうやって、このボールが私の手の中に……?」
……
そこには――
小さな赤いボールがあった。
彼女の手の中に。
……
触れた感覚すらなかった。
少年が近づいたところも見ていない。
そして、マナの気配も感じなかった。
……
少年は口元をわずかに吊り上げる。
薄い笑みを浮かべた。
……
そして――
パチン!
二本の指を鳴らした。
……
イラリアの手のひらの上で、ボールが震え始める。
……
「くそ……!」
……
イラリアは後ろへ飛び退いた。
しかし、ボールを捨てるより先に――
ドォォォン!!
ボールが爆発した。
色とりどりの紙片が、空中へと舞い散る。
……
静寂。
……
イラリアは周囲に落ちていく紙片を見つめた。
そして、少年へ視線を戻す。
……
その瞳に、怒りが浮かび始める。
再び剣を強く握る。
……
「……いいでしょう。」
「あなたが何者なのかも知らない。」
「何が目的なのかも分からない。」
……
戦闘態勢を取る。
「でも……」
「私を怒らせたことだけは、後悔させてあげるわ。」
……
その瞬間――
少年の身体が突然揺れた。
肩が小刻みに震える。
まるで、抑えきれない笑いを堪えているかのように。
……
「……笑ってる?」
……
イラリアは目を細めた。
「この少年……」
「……本当に、腹が立つ。」
……
彼女は足を踏みしめた。
そして――
「すぐに終わらせる。」
……
次の瞬間――
イラリアは全速力で少年へと突進した。




