鐘が鳴るとき……
見張り塔の頂から、鐘の音が大きく鳴り響いた。
その音は、止むことなく鳴り続けていた。
……
街の教会では……
一人の兵士が、息を切らしながら教会の廊下を駆け抜けていた。
ようやく大きな扉の前で足を止める。
その前には、白い衣服に身を包んだ男が立っていた。
細身の体に、肩まで伸びた髪。
兵士は片膝をついた。
— リスート神父様……
— ご挨拶を申し上げます。
……
リスートは穏やかに微笑み、片手を上げた。
— 祝福を受けなさい、兵士よ。
— 話してみなさい……
— そんなに慌てて、何があった?
兵士は顔を上げた。
— はい……
— 街で、ただならぬことが起きています。
……
兵士は一瞬、言葉をためらった。
— 深刻な事件が、いくつも発生しました……
— 兵士たちは、何らかの魔物が原因ではないかと疑っています。
……
静寂が降りた。
リスートは落ち着いたままだった。
ただ、その瞳にかすかな異変が浮かんだ。
— 魔物……?
— それは考えにくいな。
— 知っているだろう。
— 我々は聖なる結界の内側にいる。
— 魔物がここを越えて来られるはずがない。
だが、兵士は食い下がった。
その顔には、隠しきれない不安が滲んでいる。
— 神父様……
— 本当です。
— 外から聞こえる警鐘が聞こえませんか?
— まだ鳴り止んでいません。
……
リスートは窓へ視線を向けた。
— あの鐘を聞くのは、十年前の魔物災害以来だな。
……
そして再び、兵士へ視線を戻した。
— それに、知っての通り……
— あの時以来、我々は厳重な対策を講じてきた。
— この結界は、魔物からこの街と周辺地域を守るために存在している。
— だからこそ……
— 結界の内側で、我々に気配すら悟らせず、これほどの被害を引き起こす何かが存在するなど……
— 今まで一度もなかった。
リスートは一瞬、言葉を止めた。
— お前自身が、その魔物を見たのか?
— いいえ、神父様。
— ですが、街の各所で深刻な事件が起きたという報告が入っています。
— 魔物が存在するという可能性が、最も高いかと。
……
リスートは微笑み、両手を背中で組んだ。
— ならば、まだ何も確定していない。
— 報告が未確認のものなら……
— 事実であるかのように扱うべきではない。
……
リスートは廊下を数歩進んだ。
— 聖なる結界の内側に魔物がいる。
— しかも、その気配を我々が感じ取れない……
— 馬鹿げた話だ。
— 外側の見張り塔から、何か報告は来ていないのか?
— いいえ、神父様。
— 結界の周辺で被害が発生したという報告も、魔物の姿を確認したという報告もありません。
……
リスートは兵士に近づき、その肩に手を置いた。
— ならば、そんな噂を広める前に、必ず事実を確かめなさい。
— 秋祭りまで、あと数日しかない。
— もし街の中に魔物がいるなどという話が広まれば……
— 人々の教会への信頼を揺るがしかねない。
— そして……
— 王家への信頼もな。
……
リスートの声が、さらに静かになる。
— だからこそ……
— 毅然と対処するのだ。
— 皆に、お前たちが信頼に値する存在だと示しなさい。
…
そして、彼は微笑んだ。
— もし本当に何かがいるのなら……
— 民には決して真実を知られないようにしなさい。
— たとえ、本当にそのような存在がいたとしても……
— だからといって、祭り全体を中止する理由にはならない。
兵士は、ためらうように彼を見つめた。
— ですが……
— もし、何も知らない人々が危険にさらされたら……?
……
リスートは兵士の横を通り過ぎた。
その声は、最後まで穏やかなままだった。
— その時は、話を一つにまとめればいい。
— 街の兵士たちが、その力を示した……
— 民を守るために戦ったのだ、と。
……
彼は微笑んだ。
— それなら、なかなか良い印象を与えられると思わないか……
— お前たちが称賛されることにもなるだろう。
兵士は一瞬ためらってから、口を開いた。
— ですが……
— 聖女サニャ様には、お伝えしなくてもよいのでしょうか?
リスートは祈りの数珠を持ち上げ、指を静かに絡めた。
— 我らが聖女は今、ネフェルタニの神々と密かに対話している。
— 邪魔をするべきではない。
— そのようなことをすれば、無礼にあたる。
……
そして、リスートは手を軽く振った。
— もう行っていい。
— ネフェルタニの祝福がお前にあらんことを。
— お前たち皆に祝福がもたらされるよう、私からも祈っておこう。
— 聖女との対話が終わったら……
— 私から彼女に伝えておく。
……
兵士は頭を下げた。
— はい、神父様。
— 我々兵士も、できる限りのことをいたします。
リスートは微笑んだ。
— その言葉が聞きたかった。
— もう行きなさい。
……
兵士はその場を去っていった。
その足音だけが、長い廊下に響いていく。
……
リスートは深く息を吸った。
そして、振り返る。
目の前の大きな扉を開いた。
……
その先には、広大な広間が広がっていた。
そこかしこに椅子が並べられている。
壁には、月を描いたステンドグラスの窓が並んでいた。
静寂が、その場を満たしている。
……
聖女サニャは、静かに跪いていた。
灰色のローブは、微動だにしていない。
両手の指を組み合わせ、
瞳は閉じたまま。
その唇から、穏やかな祈りの言葉が紡がれていた。
……
— リスート神父。
彼は足を止めた。
— はい、聖女様。
Sanya:
— この騒ぎは何ですか?
— 何か危険なことが起きているのですか?
リスートは微笑んだ。
— まだ何も確認されておりません。
— 街で、いくつか小さな騒ぎが起きているようです。
— 兵士たちが対処しています。
— ご心配には及びません。
……
そして、穏やかな声で続けた。
— この程度のことで、聖女様の祈りを中断させるわけにはいきません。
……
再び、広間を静寂が包んだ。
教会の外では……
混乱がなおも広がり続けていた。
鐘は鳴り続けている。
人々は通りを駆け回り、
兵士たちは街中へ散っていく。
……
それでも教会の中では、祈りが続いていた。
街の塔の一つ、その遥か高い頂で……
そこには、風と青空を舞う鳥たち以外、何もなかった。
その塔の縁に、
一人の人影が腰を下ろしていた。
両足は、虚空へとぶら下がっている。
彼が身にまとっているのは、黒と白の縞模様をした道化師の衣装。
肩から脚元まで伸びる、長く対照的な布が、
風に煽られ、ひらひらと揺れていた。
布の長い帯が、風に煽られてはためいていた。
足元には、黒と白の道化師靴。
細く尖ったつま先には、小さな金属の鈴がいくつも取り付けられている。
片足を動かすたびに……
チリン……
もう片方の足を動かす。
チリン……チリン……
鈴の音は、風に乗って遠くへ消えていった。
だが、彼はその音など気にも留めなかった。
視線は、ずっと眼下に向けられている。
通りを駆け回る人々へ。
混乱を抑えようと奔走する兵士たちへ。
街のあちこちから立ち上る煙へ。
……
そして、彼はわずかに首を傾けた。
チリン……
その顔に、笑みが浮かんだ。
喜びの笑みではない。
恐怖の笑みでもない。
まるで、長い間待ち望んでいた舞台を、ようやく目の前で眺めている者のような笑みだった。
……
彼はゆっくりと両手を持ち上げた。
指が動き始める。
一本……
そして、もう一本。
まるで、目の前に垂れ下がる見えない糸を操っているかのように。
右手を持ち上げる。
指先に力を込めた。
……
眼下では……
突然、一団の兵士たちが別の方向へ駆け出した。
ガシャァン!
馬車が粉々に砕け散る。
彼の手が止まった。
そして、もう片方の手の二本の指を、ゆっくりと動かす。
まるで、一本の糸を緩めるように。
……
路地の奥から、悲鳴が上がった。
……
彼は首を傾けた。
そして、両手の動きが次第に速くなっていく。
右へ……
左へ……
引く。
緩める。
引く。
……
糸など、どこにもない。
誰の目にも見えるものは、何一つ存在しない。
それでも……
彼は、まるですべての糸がどこに繋がっているのかを知っているかのように、指を動かしていた。
……
眼下から、恐怖に満ちた叫び声と泣き声が湧き上がる。
……
チリン……
チリン……チリン……
……
彼は両手を高く掲げた。
そして……
突然、その両手を自分の膝へと落とした。
パンッ!
パンッ!
……
肩が震え始める。
狂ったように笑っているかのように、膝を何度も叩いた。
だが、その唇からは一切の声が漏れなかった。
しばらくそのままの姿勢でいた。
やがて、動きを止める。
……
静寂。
……
彼は何事もなかったかのように、ゆっくりと立ち上がった。
衣装の背中についた埃を払い落とす。
そして、目の前の何もない空間を見つめた。
……
片足を持ち上げる。
そして、空中へと踏み出した。
落ちない。
もう片方の足を持ち上げ、
先ほどの足の隣へ置く。
……
まるで、見えない足場の上に立っているかのように。
彼は歩き始めた。
一歩……
また一歩……
空を渡っていく。
チリン……
チリン……
小さな鈴が、一歩進むたびに鳴り響く。
……
強い風が吹き抜けた。
眼下の街から立ち上った煙が、彼の姿を包み始める。
彼は足を止めた。
そして、ゆっくりと両腕を広げる。
そのまま、そこに立ち尽くす……
煙の中で……
混沌に呑まれゆく街の上空で。
……
まるで……
空そのものが、
彼の舞台になったかのように。
チリン……
チリン……




