第八話 盲目の魔術師
平穏だった隠居生活も終わりを告げた。これからエレアノーラを地獄のような忙しさが待ち受けていることだろう。
何せ数百年もの間、スペルビアに面倒ごとをすべて押しつけていたのだから、そのくらいの嫌がらせは当然のようにやってくるだろう。
今後のことを考えると更に憂鬱になってきたエレアノーラは、不機嫌な面のまま屋敷に戻ると、周囲に張られていた結界がほころんでいるのに気づいた。
どうやらすでに侵入しているらしい。微かに感じる懐かしい魔力にエレアノーラは顔を歪めながら廊下を抜けると、応接室の扉を開いた。
豪奢な内装が施された室内ではすでに侵入者がくつろいでいる最中だった。五人は優に座れるであろう革張りのソファに座り、一足先に紅茶を啜っている。
薔薇の絵柄が描かれた陶器のティーカップを片手に堂々とソファに腰かけ、くつろぐ姿はまるでこの屋敷の主と見間違うほどであった。
遠慮の欠けらもない、むしろ堂々すぎる不法侵入にエレアノーラは柳眉をつり上げた。つり上がった金色の眼差しが細められる。
表情は無表情に近いのに、その身から溢れ出る怒気は隠しようもなく、殺気すら混じっていた。
ノアディアがこの場にいたら慌てて止めにはいるだろうが、生憎今は気を失った人間の寝床作りに色々と忙しいらしい。
屋敷の側に生えている木々から大ぶりな葉をむしり取っている時には本気で消し炭にしてやろうかと思ったほどだ。
穏やかな性格をしているくせに、頑固な一面も持っており、自分がそうするとしたら梃子でも引かないことはエレアノーラが良く知っている。
知っているからこそ好きにさせたが、了承はしていないためこの厄介な魔術師をどこかへ追い払った後、今後の方針を含めてじっくり話し合いをするつもりだ。
そんなことを思いながらエレアノーラは侵入者を忌々しそうに睨みつけた。
背中に垂れるほど長い銀髪は綺麗に結い上げられ、伏せられた銀色の睫毛が褐色の頬に影を落としている。無駄に整った顔立ちは繊細で、美しい。
かぶっている帽子から幾多にも重ねられたレースが申し訳ない程度に目元を隠しており、いっそう目の前の魔術師を儚く見せていた。
ピーコックグリーンの衣装は露出が少なく、首元まで覆い隠すタイプの形の古いドレスだ。
飾りも少なく、申し訳ない程度につけられたレースが袖口から見えるくらいだというのに、その身から溢れだす妖艶な色気は魅了耐性を持っているエレアノーラですら眉をひそめるほどだった。
己の意思を強く持っていないと、簡単に魅了されてしまいそうな色気を振りまいている魔術師は、扉を開けたまま入ってこない彼女に気づいたのか薄く唇をつり上げた。
比例してエレアノーラの顔に険しさが増す。静かな室内に凛とした声音が響いた。
「こうして姿を見るのは随分と久しいな。元気にしていたかい? ネリー」
「……これが元気に見えるのならお前の目は節穴だな。お前が訪れなければこれ以上私の機嫌が悪化することなかっただろうに」
「おやおや、それは私のせいか? それともこの地に不法侵入したエルリクに対する怒りの延長か? はたまた、本来この場に来るはずであったフランチェスカやクラウディオでなかったことに対する苛立ちか?」
まるでエレアノーラの苛立ちなど見越した上で、目の前の魔術師は嫣然と微笑む。
相変わらずやり辛い相手にエレアノーラは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
固く閉ざされた双眸からこちらは見えていないはずなのに、浮かべている表情が手にとるように分かるのか柔らかい声で告げられた。
「どちらにせよ、私には詮無きことだ」
「……ヴェルナー、私はお前のそういう所が嫌いだ」
「だからこそ、この私が選ばれたのだ。奴らは傍観者の立場で物事を見ることが出来ない。仕事に私情を挟むのは厳禁だ。そうだろう? 傲慢のレギナ」
先ほどまで親しげに呼んでいた愛称から、魔術名へと呼び名が変えられたことによりエレアノーラの顔から表情が消えた。
ヴェルンヘルがエレアノーラのことをそう呼ぶということは、仕事の話ということになるということだ。
少なくとも感情を表に出すのは得策ではなかった。全ての感情を身の内に隠し、エレアノーラはその問に答えることにした。
「そうだな。これが仕事であるのならば、確かに奴らは無用だ。この度の仲裁者は、色欲のシン。お前が一番相応しい。」
魔術名を呼ばれた同じ大魔術師の称号を持つ者、ヴェルンヘルは首肯するように顎を引いた。
それにしても今日だけで二人の大魔術師に再会することになるとは思いもしなかっただけに疲労困憊気味のエレアノーラは眉をひそめながら部屋の中に入る。
ヴェルンヘルは大魔術師の中でも先読みすることに長けている魔術師で、他者の機微にも聡い。
気を抜けば何が起きるとも分からない状況でエレアノーラが気を抜けるはずもなく、いつになく険しい表情のままヴェルンヘルに向き合うように座った。
「では、被害状況の確認から始めるとしようか」
ティーカップを置いたヴェルンヘルはどこからともなく短杖を取り出すと、小さな声で詠唱した。その声に合わせるように、短杖の先から細い青色の線が緻密な円を描き、魔法陣が広がっていく。
青白い光を放つ円状のそれは、遠くの景色を反映する魔法であった。あっという間に完成したのか、銀色の光を帯びていた円盤に周囲の状況が映し出される。
それは見るも無残な光景であった。それこそ天災に見舞われたのかと思うほど悲惨な状況が広がっていた。
これは先ほど大魔術師同士が衝突した結果、起きた光景であった。
「まず被害報告からだが、先刻のエルリクとの戦いで草原の大半を消失。近隣の村にも被害が及んでいる。そのどれもが爆発の衝撃波による建物の倒壊、崖崩れによる二次災害などによる事故死。現時点で死者は三十名を超えた。負傷者はすでに二百人以上は出ている。全てが復興するのに辺境のこの地ではニ、三年はかかるだろうな。もっとも、周辺の焦土に関しては数百年単位でも直らないだろう」
細やかな装飾が施された短杖を片手に被害地区の映像が次々に映し出される。まさかそこまで魔力の調節が出来ていなかったとは思わなかったエレアノーラは映し出された映像に目を見張った。
苛立ちのあまり全てを葬るのは確かに容易いことだ。だが、それは知性を持つ者のすることではない。ましてや強大な力を持つ者が、おこなう行為ではなかった。
幾らエレアノーラが人間を嫌っていても、彼等一人一人に対し、憎しみを抱いているわけではないのだ。
エルリクに挑発されたとはいえ、ここまで被害を拡大させたのはエレアノーラ自身に他ならなかった。
突然の人災に憤りを隠せない住人たちを見つめながら、エレアノーラは唇を噛み締めた。
「……ヴァールの力を借りて、全てを元通りにすることは可能か?」
「もちろんだとも。ここに来る前にその手筈は整えてきたから問題ない。明日には移動魔法陣にてこちらに到着するだろう」
「すまない」
「私は自分の仕事をしたまでだ。つけは君が払うことになるが、今回の騒ぎはエルリクも関与しているから、半年後に控えているヴァルプルギスの夜宴で申告すれば多少は罪が軽くはなるだろう」
「ヴァルプルギスの夜宴に出席しなければならないのか?」
「大魔術師として当然の義務だ。むしろ今までスペルビアが寛容すぎたのだよ。だから他の大魔術師に侮られることとなった。日頃の業務を放棄していた代償は高いぞ? レギナ」
確かに責務を放棄していたのはエレアノーラだ。むしろその程度で済むのならば安い方に違いない。代償は高いが、時空間を操ることが出来る暴食のヴァールの力を借りれば、周辺の被害は一週間もあれば元通りになることだろう。
それこそ何事もなかったように、死んだ人間も生き返るに違いない。時空間を操るとはそういう恐ろしい能力だ。人々の嘆きも、悲しみも、憤りも全て消え去り、死んだという事実すらなくなる。それこそ自分が一度死んだなど言われても、いわれた本人は納得しないし、信じもしないだろう。
傲慢すぎるかもしれないが、全てを何事もなかったように元通りにするには、一度過ぎ去った時間を回帰させることしかなかった。
あとは数十年に一度という不定期に開催されるヴァルプルギスの夜宴だが、一度でも顔を見せれば納得するだろうし、他の者の牽制にも役立つだろう。
面倒だが、こればかりはしょうがなかった。
仕事の話は終わったのか、魔法陣が光の粒子となり拡散していくのを眺めながらエレアノーラは深くソファにもたれかかった。
ヴァールが今から何を代償に求めるのか考えるだけで恐ろしい。自分が犯した失態とはいえ、これはさすがに手痛かった。
そもそもの原因を作ったエルリクを恨みながらエレアノーラはふと思い出したように眉をひそめた。
「それにしてもあの莫迦は何をしに我が大陸に不法侵入したのだ?」
それなりの目的がなければ他の大陸に不法侵入などしないはずだ。それも許可は下りていないが一応スペルビアに許可をもらうため訪れているということは、それなりに正当な理由があったはずであった。
正当な理由も何も、思い浮かばない。意見を求めるようにヴェルンヘルを見れば、薄い笑みが広がった。
「多分、名目上はフェイタルとクシュリナの捜索、という所で実際は君を殺しに来たのだろうな」
「フェイタルとクシュリナの、捜索?」
随分と懐かしい名にエレアノーラは瞳を瞬かせた。何故、今更になってその名が出てきたのか不思議だった。
確か彼女等が表舞台から姿を消したのは今から五百年ほど前のことだろうか。とにかく、エレアノーラが隠居した後の話だ。
人伝に聞いただけなので詳しくは知らないが、仲違いをした虚飾のフェイタルと憂鬱のクシュリナは見るも無残な惨劇を周囲にもたらし、九大陸の一つ憂鬱大陸を消滅させたといわれている。
その後、生き残ったフェイタルは気でも狂ったのかエルリクと激突し、嫉妬大陸も永遠にこの世から消え去ってしまった。
これが今でも世界中に伝わる二大悲劇の内容だ。詳しいことは現在も調べている最中だが、その後行方をくらましているフェイタルを捕まえようと他の魔術師達が躍起になっているのは確かだった。
だが、相手は大魔術師の中でも際立って優秀な魔術師である。少なくとも、今の所捕まったという情報は聞いたことがなかった。
しかし何故その事件をエルリクが捜査しているのかが疑問だった。確かにフェイタルに襲われた人物として知られているが、彼も何か関わりがあったのではないかと密かにいわれているほどだ。
もちろん真実はその事件の全貌を知っているフェイタルしかいないのだが、その犯人は未だに行方をくらましたまま。
「まさか、私がフェイタルを匿っているとでも思ったのか?」
「隠居して早数百年。時期的にも重なるものがあるから怪しむ者も少なからずはいる。その声に便乗し、今回エルリクは大胆な行動をとったのだろうな」
「……死ねば良いのに」
本気でそんなことを思ってしまった。少なからず感情を押し隠しもしない素の発言にヴェルンヘルは「確かにそうかもしれない」と頷いた。
「だが大魔術師が九人から七人に減った今、更に一人減らされるのはこちらとしても辛いものがある。くれぐれも他の者の前ではそのようなことを口にしないでくれよ」
「そんなこといわれなくとも分かっている。ただいってみただけだ」
「それならいい」
他の者は思っても口にしないことを知りながら、それでも口にしてしまうのはそれだけエルリクに対し苛立っているのだろう。
優雅に紅茶を飲みながらヴェルンヘルは次の話題を口にした。それこそ天気の話をするように軽い口調で、エレアノーラの運命を揺るがすだけの威力が込められた、恐ろしい言葉を告げた。
「じゃあ次の話題だ。最悪な話題と、すごく最悪の話題、どちらから聞きたい?」
緩やかに弧を描いた唇が紡いだ言葉は静かに降り注いだ。




