第九話 魔術師殺し
一瞬ヴェルンヘルが何を言ったのか理解出来ず、エレアノーラの思考が止まった。無駄に整った顔立ちを眺めるが、特に変わった様子はない。
話している間に冷めてしまった紅茶を口元に運びながら微笑む姿は普通だ。いや、唯一口元に浮かんでいる笑みに愉悦が混じっていた。
堅苦しい仕事の話は終わった。だから次はエレアノーラの身の上に降りかかっている不幸の正体を教えてくれようとしているのだろう。
先見を得意とするヴェルンヘルは、他の者の追跡を許さぬほど優れた予知能力者だ。時空間を移動したりして未来を知るのとはまるで意味が違う。
千年先にある遠い未来まで見通す力を持っているのだ。一本の、けして揺らぐことのない未来のみを見据えたその瞳には何が映っているのだろうか?
とはいえ、浮かんでいる笑みはどこからどう見ても楽しんでいるのが分かった。もっとも、ヴェルンヘルがそれほど優しい性格をしている奴ではないのはよく理解しているつもりだった。
その表情から察するに、そうとう悪い話なのだろう。でなければエレアノーラに対してそのような忠告を態々するわけがない。
頭痛を堪えるように瞼を閉じると、エレアノーラは厳しい表情を浮かべた。どうやら長いことノアディアと一緒にいたせいで、完全に幸運の女神から見放されてしまったようだ。
「どちらからでも同じだろう。どうせ聞かなければならない問題ならば尚更だ」
「そうか。では面白い方から教えてやろう。先ほどノアディアが拾ってきた人間、あれはバルトシュア王国の第三王女エティエンヌ=メイヴ=マースディンらしいぞ」
「バルトシュア王国の、第三王女だと……?」
伏せられていた銀色の睫毛が開くと同時に、驚愕の色を宿した金色の眼差しがヴェルンヘルを見つめた。
事の真偽を問うように、繰り返し尋ねる。出来れば告げられた言葉が聞き間違えてあってほしいと願うように。
だが、現実はエレアノーラを嘲笑うかのように突き放すような言葉が返ってきた。
「今、バルトシュア王国の第三王女といったか? ノアディアが連れ帰ってきた人間が?」
「そうだとも。かの有名な世界三大美女の一人と謳われる金色の姫君のことさ。そして、現在バルトシュア王国では緊急事態による討伐令が公布されたところだ。二名の魔術師の討伐と、姫君の奪還。察しの通り討伐対象として名を上げられた魔術師は『傲慢のレギナ』と『鉄壁のウィレム』。君たちのことだ」
「あの莫迦……」
思わず唸り声が口から漏れた。その声には怒りよりも諦めの方が色濃く滲んでいた。不幸体質だとは分かっていたが、まさかよりにもよって王女を拾ってくるとは思いもしなかった。
それも、バルトシュア王国の第三王女とくれば知らぬ者はいないほど有名だ。王国側は魔術師に連れさらわれたと判断したようだが、ノアディアがそんな奴ではないことはエレアノーラが身に沁みて分かっている。
どうしようもないくらいのお人よしで、種族など関係なく人助けを平気でしてしまうような莫迦。
しかし、そんな彼だからこそ数百年もの間、一緒に居られたのだ。見返りなど関係なしに自分の気持ち一つで他者を助ける。その行動力だけは誉めてやってもいいと正直思うほどだ。
だが、その行動力も時と場合によると思うのは自分だけなのだろうか? 変な方向へとその行動力を発揮するノアディアに頭を痛めながら眉間に皺を深く刻んだ。
エレアノーラの葛藤など他所に、ヴェルンヘルは相変わらず優雅な仕草で紅茶を淹れていた。魔法で動かさず、自分で淹れているところを見るに、淹れ方にもこだわりがあるのだろう。
いつの間にか用意したのか、新しいティーカップを用意したヴェルンヘルが受け皿と共に淹れたての紅茶を目の前に置く。
赤茶色の液体からは湯気が昇り、美味しそうな香りが漂っていた。砂糖もミルクも入っていないストレートに眉をひそめた後、隅に置かれていた陶器を手にとった。
陶器の入れ物に入った角砂糖とミルクをこれでもかと投入していると、音で気づいたのかヴェルンヘルが不思議そうに首を傾げる。
そして思い出したように口元を緩めると
「そういえばネリーは甘党だったな」
と一人納得するように頷いた。
別に甘党なわけではないが、味覚が狂っているため温かい物を飲む時は出来るだけ甘くして飲むようにしているのだ。
甘い以外の味があれば、それが不純物だとわかるという方法なのだが、他人に話したことはない。昔、色々と毒殺されそうになっていたから、毒物に対しては特に敏感になっていた。
いくらヴェルンヘルが淹れたものとはいえ、可笑しな物が入っていないとは限らない。エルリクでなくともエレアノーラの命を狙う莫迦は大勢いるのだから油断しないにこしたことはなかった。
ゆっくりと口に含めば甘い味わいが口に広がった。そこに紅茶と判別出来るものはない。ただの甘さの塊を飲んでいるようなものだった。
あの愚か者とは違って敵意がないのを改めて再確認したエレアノーラは幾分か表情を和らげながら事実の摺合せを始めた。
「では、バルドシュア王国を敵に回したということで間違いないか?」
「確かに、それだけだったらまだ救いがあったのになぁ……」
「何だ? 他にも敵に回った所があるのか?」
愉悦を含んだ笑みを手で隠すことなく、曝け出すヴェルンヘルを不機嫌そうに睨みつける。
鋭い口調にも関わらず、ヴェルンヘルは更に笑みを深めながら楽しそうに答えた。まるでこれからするエレアノーラの反応が楽しみで仕方がないといわんばかりだった。
「実に残念なことだが、エティエンヌ妃殿下は最近婚約を交わしたばかりの身の上であってな。色々と世間が騒がしかったのは知っているかい?」
「婚約だと? ……そんなもの何時したんだ」
「つい先日だよ。二日ほど前だったかな? 隣国のリネシア帝国第二皇子ロレンツォ=ウナ=ザカリアスと婚約したのは」
「――ザカリアスの、魔術師殺し」
エレアノーラの強張った声音が響いた。口の中の甘さが妙にざらついているように感じる。
折角甘い物を摂取して少し余裕が出来たかと思えば、一瞬にしてその余裕も剥ぎ取られてしまった。聞きたくもない名を聞いたといわんばかりに顔をしかめる。
魔術師であれば誰でも同じ反応をしめすであろう名であった。
ザカリアスの魔術師殺しといえば、実に有名な話だ。それほど昔の話ではない。ちょうど五年ほど前の話だ。
彼の名が――ロレンツォ=ウナ=ザカリアスの名が傲慢大陸に知れ渡ったのは。
切欠はバルトシュア王国に隣接するリネシア帝国で起きた大規模な魔術師狩がことの発端だった。
何を血迷ったのか、リネシア帝国全土にまたがり、移住していた魔術師を全て皆殺ししたのだ。罪なき魔術師が大勢殺された悲惨の一言に尽きる事件の記憶は多くの魔術師に恐怖を与えた。
当時現場で指揮をとり、大勢の罪なき魔術師に処罰を下したのが王位継承権第一位であり、正妃から生まれた名実ともに第一皇子であるオーランド=イニス=ザカリアスだった。
しかし実際の所、オーランドは指示を下していただけで、その任務を遂行したのは第二皇子であるロレンツォだ。
そもそも第一皇子であるオーランドは魔法に関して全くといっていいほど才能がなかった。
だが逆にロレンツォは魔法に関して天賦の才能を持っていた。
その才能は幼い頃から既に開花しており、当時十五歳という若さで魔道士の称号を取得していた。
もちろん魔道士には誰彼なれるわけではない。
適性検査をし、師となる魔導師の元、最低でも十年は修行をした後、更に難関といわれる国家試験を受かった者だけがその称号を手に入れることが出来るのだ。
そこに皇族という身分は一切関係ない。皇族だから優遇されるわけでもなく、むしろ皇族だからこそ他の志願者よりも厳しい道を歩んだともいえた。
民衆の模範となるべき存在になるのだから、当然であろう。
しかしロレンツォは、最低十年は必要と言われる修行を二年も期間を残したまま終了し、国家試験を合格した。
当時、まだ十八歳だったロレンツォは瞬く間に各地のその名を知られるようになった。
そして魔道士となったロレンツォが最初に行った任務が、かの有名な魔術師狩りだったのだ。
冷徹無慈悲な指示を下すオーランドの命令を聞き、逃げ惑う魔術師たちを容赦することなく淡々と殺して行くその姿からつけられた二つ名が「ザカリアスの魔術師殺し」であった。
その当時、平和な隠居生活を送っていたエレアノーラの元にも話は届いた。その事件の内容に戦慄すらしたものだ。
かといってエレアノーラが何かしたわけでもなく、結局全てスペルビアが片付けてしまったのだが、まさか今更そんな奴に目をつけられるとは思いもしなかったエレアノーラは唸り声を漏らすことしか出来なかった。
花嫁を連れさらったのが魔術師であるならば、ロレンツォは必ずエレアノーラの前に立ち塞がることだろう。
事実がどうであれ、起きてしまったことが大問題だった。
「ザカリアスの魔術師殺しならば、森に張られた干渉結界を破ることも不可能ではないはずだ」
「違いない。隠居していた君の身には少々荷が重い相手かもしれぬぞ?」
「殴るぞ」
「いやいや、ネリー……これでも私はわりと本気で心配しているのだぞ? 油断していると痛い目を見るのは我々だからな」
そうはいうものの、その声がどう聞いても楽しそうに笑っているようにしか聞こえず、エレアノーラは不機嫌そうに押し黙る。
それでもヴェルンヘルのいうことには一理あった。二大国家に敵視され、その中には魔術師殺しの異名を持つ魔道士もいるのだ。
これを危機といわず、何と呼べばいい? 嘆くのは実に簡単だ。諦めるのはもっと簡単だ。生きて、生き抜いて足掻く方がよほど難しい。
窮地に追い込まれると逆に開き直るしかないのか、エレアノーラの唇から漏れたのは乾いた笑い声だった。
ひとしきり笑った後、金色の眼差しが凄みを増す。まるで焔を宿したかのように、強い意思の光を放つ瞳は一種の美しさを陵駕していた。
まるでその瞳の強さは彼女の生きる強さと直結しているようにも見える。
「そうだな、実に面白い。傲慢にして唯我独尊と呼ばれたこの『傲慢のレギナ』様が直々に相手してやろう。さて、今から楽しみだ。どんな風にいたぶってやろうか」
「ふふふ、ネリーったら平和的解決の道は最初から存在しないのかい?」
「そんなもの聞くような奴ではないだろう。そもそも魔道士相手に言葉が通じるとは思っていない」
「おやおや、言葉が通じないとは人間が相手ですらないと。随分と上から見下しているねぇ」
口元を手で隠しながら笑うヴェルンヘルにエレアノーラは微笑み返す。最も、その微笑みはけして慎ましいものではなく、獰猛過ぎる笑みだった。




