第二四話 童話『英雄と傾国の姫君』
静かな部屋の中、暖炉で薪が爆ぜる音が聞こえた。窓の外は辺り一面真っ白な雪景色に染まっている。思わず眠くなるような暖かな部屋の中、刺繍をしていた女性は指を止めた。
伏せられていた金色の睫毛が上がり、碧玉の瞳が姿をあらわす。まるで宝石のように美しい瞳を瞬いた女性は、桜色の唇から溜息をこぼした。
端整な顔には憂いが浮かんでおり、どことなく影を落としている。何度目か分からない溜息をこぼした時だった。
部屋のすみで石像のように微動だもしなかった人影がゆらりと動いた。流れるような白金の髪が歩むたびに揺れ動く。蒼穹を思わせる青色の瞳が女性を見つめた。
鎧を身につけているとは思えないほど滑らかな動作で女性の前に跪くと、窺うように顔を上げる。
そっと布を握りしめている手を包み込んだ。真剣な眼差しが女性を見つめる。女性もその眼差しから逸らすことも出来ず、見つめ返した。
「ディアス……わたくし、結婚なんてしたくない……」
「……ユルシュル様」
「だって、帝国にはすでに側室がたくさんいるのでしょう? 態々わたくしが正妃として行く必要などないじゃない」
それは搾りだすような声音だった。美しい顔は今にも泣きだしそうなほどに歪み、碧玉の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
答えに窮したのか、黙って女性の手のひらを握りしめる寡黙な騎士に女性は更に吐き出すように叫んだ。
「貴方と一緒に居られないのなら、最初から助かりたくなんてなかった! いっそあのまま竜に食べられた方がマシだったわ!」
「ユルシュル様! それはっ――それだけは言ってはいけないことです。貴女を助けるために、どれだけの騎士が犠牲になったのか、それを忘れてはならない」
「でもっ……だって、邪悪な竜に連れさらわれたわたくしを助けてくれたのは他でもない、貴方なのよ……ノア=ディアス! なのに、どうして貴方と一緒にいてはいけないのっ!」
「それは……私が一介の騎士で、貴女はバルトシュア王国の王女だからです」
そう、他でもない身分が二人の運命を隔てたといっても過言ではなかった。
たとえ邪悪な竜に連れさらわれた姫君を助けたとしても、童話のように姫君と結婚など出来るはずもなく――明日、彼女は隣国のリネシア帝国へと嫁ぐことになっていた。
側室などではなく、列記とした正妃だ。だが、すでに彼の国は側室が何人もおり、子も生されている。
その中、ユルシュルは正妃として嫁がなければならないのだ。それは何年も前から両国で交わされている約束で、反故にすることなど出来るはずもなかった。
それに相手は大国だ。どう考えてもこちらの方が立場的に弱くなってしまう。そこは理解しているからこそユルシュルも悩んでいるのだろう。
それに側室がすでにいる帝国で、幸せになれるとはけして思えないのも当然だ。顔すら見たこともない相手の元に嫁ぐのだから尚更だろう。
「貴方がわたくしを連れて逃げ去って下さったらどれほど幸せなことなのでしょうか」
「ユーシィ……」
「分かっています。それが出来たら最初から苦労などしないことも……。でも、今夜だけ、今夜だけはわたくしと一緒にいてください、ディアス」
「それは――」
「お願いです。逃げることが叶わないのなら、せめてこの身を抱きしめて下さい」
なだれ込むように騎士の腕に身をすり寄せる女性に男は息を呑んだ。すでに碧玉の瞳からは涙が零れ落ちている。
はらはらと白皙の頬を零れ落ちる透明な雫を指先ですくい上げながらその華奢な身体を抱きしめた。
まるで花のように甘い香りが漂う姫君に騎士はその身体を更に強く抱きしめながら瞳を伏せた。
共にいることすら叶わぬのなら、せめて貴女の味方でありつづけよう。
いかなる時でも、彼女を守る盾となり、敵をなぎ倒す剣となることを心に誓う。
――だが、このとき彼は気づいていた。
この激情は煉獄の炎となり、いずれこの身を焼き尽くす業火の炎に変わることを。
それでも止めることなど騎士には出来なかった。
それほどまでに、彼女を愛していたから……。のちに男は英雄と呼ばれる存在でありながら、転落の人生を歩むことになったのだ。




