第二一話 ゼロミッション
王国兵を退け、一時的な安息の日々が訪れていた。アヴァリティアの力を借りて、結界内にある屋敷を入れ替えたため、帝国軍の襲撃に対する準備は万全だ。
既にエティエンヌとノアディアは傲慢大陸から脱出させている。この屋敷に残っているのはエレアノーラだけだ。
最初は拒否していたノアディアであったが、最終的には有無を言わさずにアヴァリティアの元に押し付けた。
そのとき、アヴァリティアから生暖かい眼差しを向けられたのは気のせいだと思いたい。
幾多もの罠を仕掛けたこの敷地内は不用意に侵入すればただではすまない構造に作り変えている。
住み慣れていた屋敷とはかけ離れているが、一時的に住む分にはまったく問題ないし、こんな屋敷に長居する気もない。
何せ相手はザカリウスの魔術師殺しの異名を持つ男だ。準備万端にしておいても何ら問題がないような相手だけにエレアノーラは自分が予想以上にピリピリしていることに気がついた。
気がつけば眉間に皺がよっている。指先で眉間を解しながら溜息をこぼした。
こんな風に気を張り詰めて生活するなど、正気の沙汰ではない。本当ならばさっさと逃げるなり、姫君を返すなりすればいいだけの話なのだ。
だが、一度盟約を交わしてしまった身として、けして叶わぬ願い。それに長年の望みがもうじき叶うのだ。誰にも邪魔はさせない。
たとえ、それが茨の道であろうとも、エレアノーラは立ち止まるつもりはなかった。
ふいに結界の揺らぎを感じ、エレアノーラは椅子から立ち上がった。結界の周辺――いや、直接エクフラシスの障壁結界が破られたのを感知する。
一介の魔道士が突破できるような結界ではないだけにエレアノーラの顔が歪む。
どうやら結界そのものは消失していないようだが、一時的に空間に歪みを作ったのだろう。もちろん人間などに出来るような芸当ではない。
「どうやら面白い展開になったようだな。まさかアイツが人間に力を貸すとは……。これでようやく対等になったという所か」
金色の瞳に冷たい光を宿しながらエレアノーラは嘲りの声を漏らす。今までも、そしてこれからも、他人を信用しないあの悪魔が人間に力を貸した理由など、考えるまでもない。
人間側との戦争を回避するために、一時的に力を貸したのだ。
今回の場合は、認められた者しか通れないエクフラシスの障壁結界を一時的に通過する許可を下ろした、そういう類のことだろう。
あの悪魔ならそのくらい容易くやってのけそうだとエレアノーラは唇を噛みしめた。侵入したのは間違いなく魔道士だろうが、厄介なのはあの悪魔に協力を求めたという事実だ。
魔道士の一番の敵は何といっても悪魔だ。魔術師はしょせん悪魔の手先でしかないが、その親玉と直接取引きしようだなんて……頭のイカレ具合が半端ない。
だが、それだけに頭の切れる奴なのだとエレアノーラは確信した。これは本気でやらないと負けるかもしれない。
いや、全力で相手を叩き潰すべきだろう。スペルビアがバックにいるのなら尚のことだ。
外套を羽織ると、短杖を片手に屋敷を出る。準備万端の状態だ。
広い森に向かって短杖を構える。嵌め込まれた魔硝石がエレアノーラの魔力に反応して深い色を放つ。
心を穏やかに、雑念を無にしながら、エレアノーラは詠唱した。
「テルミヌスの境界線 鎮座せし神 聖別された血の盃 テルミナリアの加護となれ」
構えられた短杖の先端から金色の光が溢れる。
「境界ノ標柱」
言霊が発動すると同時に、半透明の結界が周囲に広がる。エクフラシスの障壁結界の更に内側――逃げ場をなくすように完璧に広がった結界を確認したエレアノーラは短杖を下げた。
エレアノーラを倒さない限り解除されることのない境界ノ標柱は脱走を図る魔道士たちにとって邪魔な存在になるだろう。
必然的にエレアノーラの元に敵が集まることとなる。
「さて、駆逐するか」
短杖を構え直しながら一歩踏み出す。凍てついた眼差しは氷のように冷え切っていた。まるで見えない敵を相手にするかのように短杖を振るう。
金色の魔力が光の粒子のように空気中に弾けた。
「トタンスの稲妻 閃光の雷鳴が空走り 焼き払う 全ての罪を焼き払うまで」
まるで天に伸びるかのように光の柱が広がる。金色に輝く視界の中、エレアノーラは静かに呪文を紡いだ。
「雷光ノ雨」
次の瞬間、凄まじい熱源が天から降り注いだ。閃光が地面を走ると、続いて爆風が巻き起こる。一拍遅れて聞こえてくる雷鳴すら、この悪夢の序章に過ぎぬかのようだった。
天候すらたやすく操り、意のままに動かすエレアノーラはまさに地獄の使者のような存在だろう。
表情一つ変えることなく、結界内を縦横無尽に空から降り注ぐ雷で切り裂く。周囲を覆い隠す木々を破壊し、地面を抉る。
敵がどこに潜んでいるのかも分からない状態だというのに、ところ構わず襲う姿は見る者に畏怖すら感じさせた。
この場にノアディアがいたら、今すぐ止めてと叫ぶことだろう。それほど一方的な蹂躙を行っていた時だった。
突然、唸るような低い声で呟かれた言霊が聞こえた。至近距離からの火炎攻撃にエレアノーラは動じることなく対処する。
「アグニ」
「氷影ノ闇」
真横から嬲るように飛んできた炎の塊を同等の威力が篭った氷の塊で相殺する。水蒸気が昇り、視界が曇る。
それでも金色の眼差しは攻撃をしかけてきた方向に立っている一人の魔道士を見据えていた。
周囲を覆い隠す水蒸気のため顔は見えないが、背丈からして男だろう。エレアノーラは顔を隠すように外套を被り直す。
不可侵の森に放たれた魔獣を倒し、更には空からの追撃を交わした実力者だ。先ほど放たれた火炎攻撃から推測するに、中々の手練だ。
一発目は相手の行動パターンを読むため、解り易い攻撃を放つことにした。
「悲劇ノ錘」
視界を遮っていた水蒸気を振りきり、不可視の物理攻撃が相手に襲いかかる。
何が起きても驚かないようにじっと見つめる。物理攻撃が魔道士を捕らえたと思った瞬間、打撃がすりぬけた。
まるで実態のない敵を相手にしているかのように素通りした攻撃に、エレアノーラの表情が強張る。一見すり抜けたかのようにみえた攻撃であったが、あれは避けたのだ。
物理攻撃が当たるのを最初から待っていて、間合いに入った瞬間にそれを察知し、避ける。じつに完璧な回避だった。敵ながら褒め称えたいくらいの実力だ。
霧がかっていた視界が晴れ渡る。短杖を構えながら見据える先に立っていたのは一人の男だった。
短く切りそろえた黒髪に冷め切った碧玉の瞳が印象的な男はエレアノーラの出方を伺うように睨みつけている。短杖を突きつけられているのは同じというのに、エレアノーラはその外見を眺めながら別のことを考えていた。
男の顔をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。一瞬、フェルディナンドに似ているとも思ったが、違うと被り振るう。
そもそも、彼の血を引いているのだから似ていても可笑しくはないのだ。長いこと忘れていたが、彼にも子孫は存在する。
だから目の前の男――ロレンツォ=ウナ=ザカリアスが似ていても何ら可笑しくはなかった。




