第2話 あいつの魔力さえあれば
なんともない、と答えようとして、できなかった。
左腕の内側を、焼けた針金でなぞられているような痛みが走った。指先から肘まで、血管が赤く浮き上がっている。息を吸うたびに、胸の奥がじんと熱い。
「っ……」
思わず手首を離して、腕を押さえた。
その瞬間、彼女の体から、ふわりと熱気が広がった。雨粒が彼女の肩の上で弾けて、湯気になる。足元の草が、風もないのにざわりと揺れた。
彼女は自分の両手を見下ろして、それから一歩、後ろへ下がった。
「ごめんなさい」
「いや、待て、俺は――」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
同じ言葉を二回繰り返して、彼女は背を向けた。
走っていく。濡れた外套の裾をひるがえして、森の外へ。小柄な背中は、あっという間に雨の向こうへ消えた。
追いかけようとして、膝に力が入らなかった。
俺は泥の上に座りこんだまま、えぐれた森を眺めていた。
◇
月光草は二十株そろえた。
自分でも律儀だと思う。森が一本道ぶん消えた横で、黙々と薬草を掘っていたんだから。でも、ほかにやることを思いつかなかった。手を動かしていないと、頭がおかしくなりそうだった。
あれは何だったのか。
あの光は、俺の手から出た。それは間違いない。左手の火傷が証拠だ。
でも、俺に魔力はほとんどない。神殿で測ったとき、神官は「生活魔法の火種もつけられないでしょう」と気の毒そうに言った。
なら、あの力はどこから来た。
答えは一つしかなかった。
彼女の手首をつかんだ瞬間に、流れこんできたもの。
――【受け皿】。
皿は、自分では何も生み出さない。注がれたものを受けるだけだ。
もし、そういうことなら。
俺の力じゃない、ということになる。
そこまで考えて、俺は考えるのをやめた。
◇
ギルドに戻ったのは真夜中過ぎだった。
夜番の爺さんは籠の中身を数えて、銅貨を四十枚出した。それから、俺の顔を見て眉をひそめた。
「森で何かあったか。南のほうで光が上がったって、門番が騒いでたぞ」
「大猪に会いました」
「よく生きてたな」
「……運がよかったんで」
本当のことを言うべきか迷った。でも、言ったところで誰が信じる。Eランクの、効果なしのスキル持ちが、大猪ごと森を消し飛ばしましたなんて。
安宿の二階で、硬い寝台に横になった。
左腕の痛みは少しずつ引いていた。代わりに、手のひらの真ん中だけが、まだぼんやりと温かい。
眠れなかった。
天井の染みを眺めながら、彼女の顔を思い出していた。
――なんとも、ないんですか……?
あれは、どういう意味だったんだろう。
◇
翌朝、ギルドの掲示板の前には人だかりができていた。
依頼書の上に、赤い封蝋つきの大きな布告が貼られている。辺境伯家の紋章。
人の頭の隙間から、文字を読んだ。
『黒の森・瘴穴に活性の兆候あり。魔潮の発生を、本日より二十一日後と予測する。グラーデに籍を置く全冒険者は、防衛戦への参加を義務とする』
魔潮。
その二文字を見た瞬間、喉の奥がきゅっと締まった。
十年前の夜。床下の暗闇。芋の袋の匂い。
「まじかよ、魔潮って十年ぶりだろ」
「前のときは東の村が三つ消えたって……」
「でも臨時昇格があるんだろ? 防衛戦の戦果次第で、一気にランクが上がるって」
周りの冒険者たちがざわめいている。怯えている奴もいれば、目を輝かせている奴もいた。
布告の下に、追記があった。
『防衛戦において顕著な戦果を挙げた者は、ランクを問わず臨時昇格の対象とする。最大でBランクまでの昇格を認める』
Bランク。
Eランクの俺からすれば、雲の上の話だ。辺境でBランクと言えば、酒場で誰もが一目置く。依頼を選べる。隊を選べる。
隊から追い出されることも、ない。
「よう、レン」
背後から声をかけられた。振り向くと、ガイルたちが立っていた。昨日のジークという槍使いも一緒だ。
「……ああ」
「布告、見たか。お前も参加しろよ。義務だからな」
ガイルの口調は普段と変わらなかった。昨日のことなんて、何もなかったみたいに。
「後方の荷運びなら、お前でも役に立つだろ」
隣でセシリアが吹き出した。
「やだ、ガイルってば。荷物が荷物を運ぶの?」
ガイルは笑わなかった。ただ、眉を寄せて、セシリアを横目で見た。それから何も言わずに、受付のほうへ歩いていった。
受付のカウンターでは、ノーラさんがガイルたちに何か書類を渡していた。周りの冒険者が「蒼の剣だ」「北門の守備隊に推薦されたらしいぞ」とささやき合う。
俺は掲示板の前に突っ立っていた。
握った拳の中で、爪が手のひらに食いこんだ。
◇
「レンくん、ちょっといい?」
昼前、ノーラさんに呼び止められた。そばかすの散った顔に、心配そうな色が浮かんでいる。
「昨日、蒼の剣から外れたって聞いたけど……大丈夫?」
「耳が早いですね」
「受付だからね。で、大丈夫なの?」
「まあ、なんとか」
ノーラさんは少し黙ってから、カウンターの下から紙を一枚出した。
「これ、パーティ申請書。新しく誰かと組むなら、出してくれればすぐ通すから」
「組む相手がいませんよ」
「今はいなくても。魔潮の前に、一人は危ないよ」
紙を押しつけられた。俺は礼を言って、それを懐にしまった。
組む相手。
頭に浮かんだのは、雨の中の淡い金髪だった。
「ノーラさん。ちょっと聞いてもいいですか」
「ん?」
「金色っていうか、銀っぽい金髪で、小柄な魔術師の女の子。灰色の目で……たぶん、俺と同じくらいの歳です。知ってます?」
ノーラさんの顔から、すっと表情が消えた。
「……ミアちゃんのこと?」
「名前は知らないです。昨日、森の外れで見かけて」
「レンくん。その子には、近づかないほうがいいよ」
声が少し低くなった。
「魔術師ギルドの見習いの子なんだけどね。魔力がすごく多くて、でも全然制御できないの。これまでに三つの隊と組んで、三つとも半壊させてる。死人は出てないけど、それは運がよかっただけ」
「……三つも」
「みんな、なんて呼んでるか知ってる?」
ノーラさんは、言いにくそうに目を伏せた。
「『歩く災害』」
◇
ギルドを出て、街を歩いた。
あてはなかった。ただ、じっとしていられなかった。
歩く災害。三つの隊を半壊させた魔術師。
昨日の、あの光を思い出す。形にならずに膨らみ続ける白い塊。あれが、彼女の普段なのか。
それなら、なぜ俺は無事だった。
いや、無事じゃない。腕は焼けた。でも、それだけで済んだ。
――なんとも、ないんですか……?
あの言葉の意味が、分かった気がした。
彼女は、自分の魔力で人が傷つくのを見てきたんだ。だから聞いた。俺がそれくらいで済んでいることに、驚いて。
南門の近くの空き地で、立ち止まった。
左手を開いて、見下ろす。火傷の赤みは薄くなっていた。でも、手のひらの真ん中は、まだ温かかった。
朝からずっとだ。熾き火みたいな、かすかな熱が残っている。
足元に、拳くらいの石が転がっていた。
なんとなく、手のひらを石に向けた。何かを期待したわけじゃない。ただ、確かめたかった。
手のひらの熱に、意識を向ける。
昨日、体の中で渦を巻いていたもの。細い道を見つけて流れ出していった感覚。あれを、ほんの少しだけ――
ぱん、と乾いた音がした。
石が、粉々に砕けていた。
俺は息を呑んだ。
手のひらの熱が、消えていた。今ので、残っていた分を全部使い切ったらしい。もう一度やってみても、何も起きなかった。
でも、今のは確かに、俺ひとりで撃った。
昨日の残り。注がれた水の、皿の底に残った一滴。
残り火、とでも呼べばいいのか。
砕けた石の破片を見下ろしながら、俺は自分の心臓の音を聞いていた。
昨日の一撃は、大猪を消し飛ばした。森をえぐった。あれだけの威力があれば、魔潮の防衛戦で戦果を挙げるなんて、簡単じゃないか。
Bランク。
ガイルの顔が浮かんだ。セシリアの笑い声が耳の奥で鳴った。
――お前は荷物だ、レン。
あいつの魔力さえあれば。
彼女の手をつかんでいれば、俺は撃てる。荷物じゃなくなれる。ガイルたちに、俺が何者なのかを見せつけてやれる。
歩く災害だろうが、なんだろうが関係ない。むしろ好都合だ。誰も彼女と組みたがらないなら、俺が組めばいい。俺だけが、彼女の魔力を受け止められるんだから。
頭の中で、計算が回り始めていた。
荷物持ちを三年やって身についたのは、段取りだ。何がどこにあって、何をどう使えば目的地に着けるか。
目的地はBランク。
使うものは、彼女の魔力。
俺は懐のパーティ申請書に手を触れた。
――頼れ。ひとりで抱えるな。
ふいに、父さんの声が頭をかすめた。
違う、と思った。俺は誰かに頼るんじゃない。あいつの力を、俺が使うんだ。使って、ひとりで立つんだ。
踵を返して、街の中心へ歩き出した。
魔術師ギルドの尖塔は、ここからでも見えた。
第2話までのアニメはこちら。
https://youtu.be/YKLbHIB1AyU




