第3話 魔王様、今日から第一号従業員になる
目の前にいる自称魔王の幼女――かつての宿敵ティアマトは、俺が残したパンを平らげ、さらにコップ一杯の水をゴクゴクと飲み干した。
そのガツガツとした食いっぷりを見ていると、まるで小動物を餌付けしているような気分になる。
「ぷはぁっ! ようやく少し腹が落ち着いたのである」
「満足してくれたなら何よりだなぁ。それで、そろそろ質問に答えてもらえるかな?」
その問いに、ティアマトは腹立たしげにテーブルをバンッと叩いた。
「聞いてくれ! あのリリアの奴が……」
「女神リリア様と呼んでくれ。今お前が食べた物は全部、その女神様からの授かりものなんだからな」
そう、タダ飯の恩はデカい。礼儀は大事だ。
「……お前が死んだ後、女神リリアは儂の宮殿に乗り込んでくるなり、『人魔共存のために全く働いておらん!』と大説教してきたのだ! そして儂の力を封印し、こんな子供の姿に変えた挙句、五百年後のこんな辺境に放り投げおったのだぞ……!」
なるほど、女神様の仕業か……。さすがは神様、魔王なんてまるで相手にならないらしい。
だが、神様がそれほど凄いなら、なぜ最初から自分で魔王を倒さなかったんだ? わざわざ夢でお告げなんて与えて、俺を勇者にする必要はなかっただろうに。
まあいい、神様の思惑なんて考えても仕方ない。目の前で幼女になった魔王についてだが……こいつは当時、早々に魔王の座を投げ出してバカンスに出かけていた。俺が過労死するまでの数十年、さぞかし自由気ままに楽しんだことだろう。
「どう聞いても完全にお前が悪いよなぁ? こっちは人類側に和平を受け入れさせるだけで、三十年も苦労したんだぞ」
「交渉など儂は知らん! あんな面倒なことは、全部魔族評議会に丸投げしておけばいいのである!」
ボロ布を一枚羽織っただけの姿だが、ティアマトは腕を組み、堂々と無責任なことを言い放った。
「で、お前はこれからどうするつもりだ?」
「分からん! ここへ放り出されてもう五日になるが、誰一人として出会っておらんのだ!」
五日も誰とも会わなかったのか。ここは本当に何もない辺境らしい。俺でさえ、果たしてこの涼爽亭をやっていけるのか、少々不安になってきたな。
「だったら、お前はここに残れよ。俺はここで宿屋をやるつもりだから、人手が増えればこっちも助かるしなぁ」
「なんだと!? このボロ屋に残って、人間と一緒に働けと言うのか!? 断る! 儂は今すぐここを出て行く!」
ティアマトは椅子から飛び降り、そのままドアへ向かおうとする。
「そいつは残念だなぁ。明日の朝飯は、蜂蜜をたっぷりかけた焼きたてのパンケーキにするつもりだったのに」
「……残ってやろう! 上にはちゃんとバターも乗せるのである!」
ティアマトはクルッと踵を返し、一秒で妥協しやがった。
……こいつ、昔からこんなにチョロい奴だったか?
「よし。残るなら、お前の最初の仕事だ。さっき自分が使った食器と、肉のスープが入っていた鍋を洗ってくれ」
「なんだと!? 儂に下級魔族がやるような雑用をさせる気か!?」
「ああ。それから、俺たちはお互い本名を名乗らない方がよさそうだ。正体がバレたら面倒だからなぁ。これからは俺を『アル』、お前は『ティア』だ」
「そんな馴れ馴れしい呼び方をするなーっ!」
ティアは怒って小さな拳を振り回し、俺の太ももをポカポカと叩いてくる。とはいえ、傍から見ればただの幼女が甘えているようにしか見えないだろう。
こうして、涼爽亭の初めての客は、そのまま第一号の従業員となった。
おまけにその正体は、かつての魔王様だ。
女神様、これもあなたの思し召しってやつですか?
五百年後の世界に転生して最初の夜は、ティアと前世の昔話をしているうちに更けていった。
深夜。客室のベッドに横たわり、うとうとしていた時のことだ。
――コン、コン。
控えめなノック音が二度響き、ドアがゆっくりと開く。
隙間から顔を覗かせたのは、枕を両手で抱きかかえたティアだった。
「ティア? どうしたんだ、こんな夜更けに」
「……一緒に寝る」
「え?」
「つべこべ言うな! 儂は尊き魔王だぞ。この儂と添い寝できることを無上の誉れに思え!」
顔を真っ赤にしてそう言い放つと、ティアは有無を言わさず俺のベッドに潜り込んできた。そのままクルッと背を向け、それきり黙り込んでしまう。
子供の姿になったせいで、体につられて心まで幼くなり、暗闇が怖くなってしまったのだろうか。
とはいえ、今のところ客室は二部屋しかない。ティアにずっと一部屋を潰されては、宿屋として商売あがったりだ。明日にでも、ティア専用のベッドをどうにかして用意してやらないとな。
俺は思わず苦笑し、布団にくるまった小さな頭を優しく撫でた。
やがて聞こえてきた穏やかな寝息につられるように、俺も再び深い眠りへと落ちていった。




