第7話 conte de fées
青司に縋りつきながら、海乃はなおも泣き続けていた。自分の泣き声が耳に響いて煩わしい。それでも、止めることができなかった。
「何やってんだ、おめぇは!!!!!!!!!!!!」
しゃくりを上げる音だけが鳴っていた海乃の耳に、自分以外の大きな声が響き渡る。
驚いて止まる様子もなかった涙が一瞬で引っ込み、身体が大きく跳ねた。それは、青司も同じだったようで海乃を庇うように抱き寄せながら声がした方向にばっと顔を向ける。
黒いキャミソールワンピースを着た目つきの鋭い人が、ステージ袖に置かれた早着替え用のライトを背景に、仁王立ちで立っていた。一見女性に見えるが、この店にいるということと声の低さを鑑みて男性なのだろう。
赤いヒールをかつかつと響かせながら、スパンコールできらめくワンピースが激しく揺れるのも気にかけず、今にも青司につかみかからんばかりの勢いで詰め寄ってくる。
「言ったよな?痴情のもつれを店に持ち込むのだけはやめろって、今すぐおめぇの下にぶら下がってるもんちょん切って二度とこんなことできなくしてやろうか??あぁ!?!?」
伸ばした手が青司の胸倉をつかみ、強く引っ張るその直前、腕の中にいた海乃の存在に気付き、ぎょっと目を見開かせた。
「……っち、おまえなそういうことならちゃんと弁解しろよ」
「いや、弁解の余地もくれなかったのはお前の方なんだが……」
身体を離したその人に呆れたような視線を向けながら、青司は自身の胸元を整える。
呆然と立ったままの海乃を一瞥すると、その人はくるりと振り返って大きな声を上げた。
「ナイチンゲール!代わりに舞台埋めてきて!!セルジュは楽屋の人払いをお願い!!」
扉の方から、ひょこりと2つの影が現れる。1人はここにいる誰よりも濃い化粧で自身を飾り、足にスリットの入った濃い紫色のドレスを着ている。
もう一人は、大きな男だった。たしかにドレスを着て化粧も施していたが、顔には濃いひげがその存在を主張しており、筋肉隆々の身体はプロレスラーや格闘家をほうふつとさせる。
紫色のドレスの人、ナイチンゲールと呼ばれたその人は猫のように、しなやかな伸びをしながらゆったりとこちらに近づいてきた。
動くたびにバランスが崩れんじゃないかと思うほど、高くセットされた髪が揺れていたが、その歩調が乱れることは一切ない。
飾りの蝶が羽ばたく寸前のようにひらひら揺れ、頭をさらに豪華に盛り立てていた。
セルジュは小さくうなずくと無言でどこかへと向かっていった。
ふわふわとしたパニエの間から、筋肉で膨らんだ太ももがのぞいて見えたその一瞬。足音もしないまま消えていた。どこに向かったのさえ気付かせないそれは、セルジュが只者ではないことを察せさせるに十分だ。
ナイチンゲールがクルクルと横髪を指先に絡ませる。
「なによぉ、いきなりこんな状態のステージに私を追っ払うわけ?アンは相変わらず人使いが荒いわよねぇ」
「うっせぇな、給料分は働けよ。おまえならどうにかできんだろ」
アンと話していたナイチンゲールの目が海乃を捉える。思わずじっと見返してしまった海乃にナイチンゲールは怪しく笑って見せた。
「……何、気になるの?いけないお嬢ちゃんね、また今度遊んであげるわ」
ふわっと送られた投げキッスは、固まっている海乃の代わりに青司の手のひらにキャッチされ握りつぶされた。
ちぇーっと口をすぼめながらもナイチンゲールは舞台の方へと向かっていく。カラカラとカーテンが開かれる音とともにナイチンゲールの声が聞こえてきた。
「待たせちゃったわねぇ、私が代わりにアンタたちを夢の世界へ誘ってア・ゲ・ル♡」
ぎゃーっという悲鳴とくぐもった抗議がステージ袖にまで響いた。「歌うな、ばか!」「むしろ悪夢だわ!!」といった言葉が観客から飛んだが、ナイチンゲールはどこ吹く風で大きく息を吸うと、思いっきり叫んだ。
本人は歌っているつもりかもしれないが、それは特殊な周波数を飛ばす高音と言った方が近く、さすがの海乃も口をぽかんと開けるばかりだった。
いつの間に戻ってきていたのか、セルジュがアンの傍に立って無言でうなずいている。アンはお礼を言うと、親指で階段の上を指した。
「人払いは済ませたからさっさと着替えて帰っちゃって。ここで突っ立ってても迷惑だから」
髪を払いながら青司に言い放つと、その横にいる海乃を見やる。
アンはぐっと口をへの字にしたが、一つため息をつくと顔の力を抜いて海乃に目線を合わせた。きつく吊り上がっていた目尻が幾分優しく緩められている。
「……あんたも、巻き込んで悪かったわね。今日は冷えるからあったかくして帰るのよ」
ぎこちなく笑いかけたアンは緊張した面持ちで海乃を見つめていたが、こくりと海乃の頭が動いたのを見て安心したように視線を下げた。
「すまない、行くぞ海乃」
階段の方へと歩みを進める青司について行こうとした海乃の袖を、弱い力が引っ張った。
振り返るとセルジュが無言で海乃を見下ろしている。驚いて固まった海乃の眼前に、握られた大きな拳が差し出された。
戸惑う海乃の目の前で、静かにその拳が開かれる。中にあったのは銀の包み紙でくるまれたお菓子だった。
海乃はセルジュの顔とお菓子を交互に見やる。セルジュは促すように、もう一度手を差し出した。
受け取った海乃が、こわごわと包み紙をあけていく。
鼻腔をくすぐる甘い香りとともに現れたそれは、キャラメルだった。
薄茶色の表面が滑らかな曲線を描いていて、柔らかそうだ。
遠慮がちに口内でキャラメルを転がすと、口いっぱいにほどよい甘さが広がる。少し歯で押しつぶしてみれば、独特の弾力で跳ね返された。
「……おいしい」
小さなつぶやきだったが間違いなく聞こえた海乃の声に、セルジュの口角がほんの少し上がる。
「海乃」と呼びかける青司の声に見上げた海乃は、アンとセルジュにお辞儀をして、鉄製の階段を上っていった。




