第6話 お母さん
青司に手をひかれるがまま、海乃は黙ってその後をついて行く。
ブロンズの巻き髪に、背中の開いたティファニーブルーのドレス。布地からのぞく肌はかたい筋肉で覆われているが、汗で湿っているからだろうか。握られた手はとても柔らかく感じた。
舞台袖の奥、ステージのライトがぼんやりと届く薄明りの中で青司がくるりと振り返る。その顔には、焦りとも困惑ともとれる表情が浮かんでいた。
「海ちゃん、どうしてここに……いや、その前に何でわかったんだ!?」
青司が矢継ぎ早に質問してくるが、海乃にはその声が全て遠く感じた。自分がとんでもないことをしてしまった自覚はある。言いつけを破って勝手に会いに来てしまった。
玄関先で見つけた黒地にくすんだ橙色の差し色が入った小さな紙。それはマリーの名刺だった。普通だったら、そういったお店の女の人からもらったものだと思うかもしれない。でも、海乃はこれは叔父さんのものだと。叔父さんがマリーなのだと信じて疑わなかった。
青司も海乃の手に握られたマリーの名刺に気付いたのか。大きく息を吐いて眉間を抑えている。
「……とにかく、未成年がこんなところにいたらまずい。今、帰りのタクシーを手配するから」
顔を上げた青司と、海乃の瞳がばちりと合った。じっと見つめる海乃の視線に、怯んだのか青司が小さく後退る。思わず目線をそらした青司は、己が今、どんな姿でいるのかに気付いてしまった。
大胆な衣装に派手な化粧。青司の顔にさっと緊張が走り、息を吸いこむ音が不気味になった。
「驚いたよな、すまない。触られるのだって気持ち悪かっただろう、家に戻るのがいやだったらホテルを取って……」
ぼそぼそと言葉を発する青司。だが、海乃はぼんやりと青司を見つめているだけだった。
相変わらず声が遠い、身体がうまく動かない、さっき見た夢みたいだ。やりたい放題だったお母さん、ずっと寂しかったお母さん、もう帰ってこないお母さん。
その瞬間、海乃は青司の胸に飛び込んでいた。腰に手を回し強く強く抱きしめる。汗で湿った肌に頬を摺り寄せ、その温かい体温を感じた。生きている人のぬくもりを。肌から立ち上る、香水と化粧品の華やかな香りを。
「う、海ちゃん……?」
青司はそんな海乃の行動に驚いてびくりと体をこわばらせた。
伸ばした手が海乃の肩に触れる直前、小さな、それでもよく通る声が静かな舞台袖に響く。
「お母さん」
寂しくて、怖かった。独りはもう嫌だった。海乃に抱き着かれた青司は身じろぎもしない。海乃はただ目の前の人に縋りたくて、離したくなくてぎゅっとドレスを握りしめた。
青司の大きな手のひらがゆっくりと海乃の肩を包み込む。優しく海乃の身体を離すと、身をかがめて真っ直ぐに海乃の目を見つめ返した。
「私があんたの叔父さんになる」
伝えられた強い言葉に、海野は目を見開いた。母が死んでから一度も流れなかった涙が、頬を伝って次から次へと流れていく。
青司は困ったように微笑むと、海乃の涙を指先でそっと拭った。だけど、とどまることを知らない涙は次から次へと溢れてくる。ぽろぽろと落ちる透明なそれはまるで真珠のようだった。
「だから、もうそんな顔するな……海乃」
海乃はぐにゃりと顔をゆがめた。マリーの歌声に負けないくらい、力強く大きな泣き声が響き渡る。たまらず抱き着いた海乃の背に、今度こそ青司の腕が回った。
海乃はその腕に抱かれたまま、ずっとずっと泣き続けていた。




