第49話 あのね、
吐き出す息がほんのりと白く染まる。
だんだんと寒くなってきたなと感じていたが、ここ最近では一番の冷え込みだ。
海乃は、灰色の雲が覆っている空を見上げた。
閉じ切っていないスクールバッグからは少しくしゃくしゃになった大学のパンフレットがのぞいている。
海乃は、隠すようにそれを無理やりバッグの奥へと捩じ込んだ。
気まずい空気のまま、飛び出すように逃げてしまった三者面談。
職員室の机から持ってきたパンフレットを見せれば、早川は一つ一つ丁寧に説明をしてくれた。
さっきのことを話されたらどうしよう。
自分がいない間、早川と青司は何の話をしたのだろう。
最初とは違う緊張で海乃は冷や汗をかいていたが、結局早川は最後まで何も聞いてはこなかった。
ただ_____
「小舟さん」
教室を出る直前。
早川は優しく言ってくれた。
「少し疲れちゃったね。ゆっくり休んで、またいっぱい考えましょう」
「時間はまだ、たくさんあるんだから」
頭を下げた海乃の小さな謝罪と感謝の言葉は、早川には聞こえてたのだろうか。
微笑みを浮かべてこちらを見送る早川の姿を思い出して、海乃は前を歩く青司の背中を追う。
すっかり固くなった校舎の土は、一歩一歩踏み出すごとにローファーの隙間から冷気を伝えてくる。
一年前、まだ履き慣れず角張っていたローファーは今ではすっかり海乃の足に馴染んでいた。
そうだ、と海乃は思い返す。
青司と暮らし始めて、もうすぐ一年が経つんだ。
青司の車は、校門を出て少し離れた場所に停められていた。
満開の桜を眺めて佇んでいた、いつかの青司を思い出す。
その桜も、今はしっかりと蕾を閉じて立ち並んでいるだけだ。
ドアを解除した青司に促される形で、海乃は助手席に乗り込む。
車内も外と変わらず、冷たい空気が充満していた。
じっと手元を見つめていた海乃だが、いつまでもエンジンがかからない車を疑問に思い顔をあげる。
青司は、ただまっすぐ正面を見つめていた。
同じように顔を前に向ければフロントガラスにふわりと白い綿のようなものが降ってくる。
_____雪だ
海乃が気づいたのと同様に、青司も降り始めた雪を静かに見つめていた。
ふわりふわりと、徐々に数を増やしていく雪をただ見守る。
「あの日も、雪が降ってたな」
三者面談で合流した時からずっと黙っていた青司が、初めて口を開いた。
あの日がなんの日を指すのか、もちろん海乃にも分かっている。
交番で会った夜、頭に雪を降り積もらせた青司を思い出して海乃はうなづいた。
「……海乃、少し話そうか」
言葉を選ぶように慎重に話す青司の声に海乃は耳を傾ける。
フロントガラスについた雪は縁からじんわりと溶けて、ガラスの上を滑っていった。
「これからのこと。海乃はどうしたいとか、あるか?」
「どうしたいって……?」
想像以上に抽象的な問い掛け。
きっと、青司もどう表現したらいいのかわからないのだろう。
手探りに進められる会話はどこかぎこちなくて、不自然だ。
「あそこに行きたいとか、こういうことをしてみたいとか」
「何が気になっていて、何を心配してるのか……とか」
海乃は黙り込んだ。
何を答えたらいいのか分からない。
だって、これからのことなんて考えたことなかったから。
沈黙し続ける海乃は、困って体をすくめる。
そんな海乃を青司は急かすことはしなかった。
「いいんだ、俺は……海乃のおかあさんなんだから」
「それに……」
優しい声に、海乃は隣を見上げる。
どこか遠くを見つめている青司の横顔は、いつもより幼いような気がした。
「おまえは何にでもなれる、どこへでも行けるんだ……海乃」
話せるだろうか。
過去じゃなくてこれからの、未来のことなら。
宮杜の家のこと、澪のこと、自分自身のこと。
そして、青司のこと。
気になることはたくさんある。
でも、過去を暴く以上に、未来へ目を向けることの方が、今は大切なのかもしれない。
だってそれは、これから先、一緒にいるための_____
おかあさんと一緒に生きていくための道だ。
「お母さん、あのね……」
囁きに似た小さな呟きが、吸い込まれていく。
エンジンのかかっていない車内は肌寒かったが、それでも辛くはなかった。
はらりはらりと雪は次々と降り注いでくる。
もうすぐ、冬が来る。
降り積もる雪がだんだんと車を覆っていき、2人の人影は白く覆われていった。
これで前編は終了です。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。




