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第45話 旅の終わりに


 薄く唇を開けて海乃を見つめている春樹。

 その表情から、何を思っているのかは読み取れない。


 海乃が俯くと、春樹の手首に巻かれたブレスレットが目に入った。

 真ん中に編み込まれたチャームが月明かりに柔らかく反射する。


 ちょろちょろと一定のリズムで流れる水音。


 微かに聞こえるせせらぎの中に、ふっと息を吐く音が混ざった。


 海乃が顔を上げれば、優しく微笑んだ春樹が視線を下げ噛み締めるように呟いた。


 「そっか」


 もう一度、海乃をじっと見つめると春樹がにかっと笑顔を浮かべる。


 「そっか、海乃の母さんか!」

 

 意味がわからない。

 それはおかしい。

 

 そんなふうに一蹴されると思っていた。

 だって、それが当たり前のことだから。


 なのに、力強く肯定してくれた春樹から海乃は目を逸らせない。


 「実はさ、俺も色々あったんだよね。ここ数日」


 トイレで涙を流していたあの子を思い出して、海乃はどきりとする。


 明らかに顔をこわばらせた海乃を見て、春樹は両手を後ろに突いて体を反らせた。


 「ずっと自分の気持ちを受け取られないことばかりを考えてたんだ。辛いんだろうなって、でも……」


 情けなく、へなりと眉を下げて春樹が困ったように笑う。

 春樹が見上げた先にある星空を、海乃も同じように見上げた。


 「受け取らないって、決めるのも苦しいんだな」


 そのとき、海乃は気づいた。

 奈良公園で、海乃はあの子の涙しか見てなかった。


 背中を向けた、春樹の顔を。

 その子の涙を目の前で見た、泣かせてしまった春樹の気持ちを考えたことは今までなかった。


 「だからさ、決めたんだ。無理なもんはしゃーないけど、受け止めれるもんは受け止めたいって」


 「ちゃんと答えてくれてありがとう、海乃」


 すっきりしたように大きく息を吐き出して伸びをする春樹の横で、海乃は肩を震わせた。


 「……春樹くんは、どうしてそんなに強いの?」


 心配をかけたくない、こんなところ見せたくないのに溢れてきた涙は止まってはくれない。


 顔を隠すように背けても、震える声や鼻を啜る音でおそらく泣いてしまっているのはバレているのだろう。

 

 弱々しい海乃の問いかけに、春樹は静かに笑った。


 「強くねーよ、俺だって逃げてばっかりだしさ。でも、そう思ってくれてんなら……俺も勇気出そうかな」


 縁側の上に置かれていた海乃の手に、そっと春樹の手が重なる。

 しばらく置かれているだけだったそれは、海乃の手を包み込むように優しく握り込まれた。


 頬に熱が走り、今度は違う意味で顔が上げられない。

 海乃は春樹の手を振り払うこともせず、ただじっとしていた。


 「後夜祭のときの続き、今してもいい?」


 2人で丘の上で話した夜を思い出して、海乃はうなづく。

 さらに強く握られた春樹の手のひらの中で、海乃の手が小さく震えた。


 「海乃、こっち見て」


 海乃はこわごわと春樹の方へと顔を向ける。

 海乃に負けず劣らず、春樹の顔も真っ赤に染まっていた。


 「俺、海乃のこともっと知りたい」


 「好きな食べ物とか場所とか、これしたらテンション上がるとか逆に嫌いなものとか……」


 「海乃のこと、ちゃんと知りたいんだ」


 「そんで、俺のこともちゃんと知ってほしい」


 一際強い風が吹いて、服がはためき、髪が宙に踊る。

 月明かりが一気に差し込んできた庭は、まるで自身が光を発しているかのように明るく輝いていた。


 「俺たち多分、まだ知らないことだらけだよ」


 夜空の下に差し込む、お日さまみたいな春樹の笑顔。


 そうだ、私は春樹くんのことをちゃんと分かってない。


 なら、私も勇気を出してみよう。

 自分のことを伝えること、相手のことを知ることは___


 きっと、そんなに悪いことじゃないはずだ。


 「うん、私も春樹くんのこと知りたい」


 へにゃりと笑う海乃に、春樹はぱっと顔を輝かせる。

 

 「よっしゃ!じゃあさ、海乃って肉と魚どっちが好き?俺、骨苦手でさ……毎回肉に逃げちゃうんだよな」


 「骨か……食べるの難しいよね。私は、捌き方教えてもらってから、魚を食べるの好きになったんだ」


 「捌き方!?すげぇ!そんなわかるんだ?」


 「ふふっ、慣れたら簡単だよ。私でよければ教えてあげる」


 「知りたい!どうやるんだ?」


 「まずはね……」


 箸に見立てた2人の指先が、見えない魚に切れ込みを入れていく。


 何気ない話、どうでもいい会話。

 なのに重く沈み切った心はいつの間にか軽くなっており、自然と笑みが溢れていく。

 

 みんなが寝静まる静かな夜、秘密の中庭には楽しそうな話し声がずっと響いていた。








 


 次の日、お世話になった旅館に別れを告げ、お土産を買い、海乃たちはバスに揺られていた。


 京都の土地をゆっくり離れていく景色を眺めながら話していた紡と日鞠は、ちらりと後ろの席を振り返る。


 後ろでは窓に寄りかかって、すやすや寝息を立てている海乃が。

 少し斜めの方では、船を漕いで友達に頭を叩かれている春樹が見えた。


 紡と日鞠は、そんな2人の様子を確認して嬉しそうにグータッチを決める。


 「どんな夢を見ているんだろうね」


 バスの騒音や生徒の笑い声に紛れて消えた、小さくつぶやかれる優しい声。


 日差しに照らされた海乃の寝顔は、楽しそうな微笑みが浮かんでいた。

 








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