第44話 聞きたいこと
どかりと縁側に座り込んだ春樹は、おろおろと視線をさまよわせる海乃に手招きをする。
「とりあえず座んね?立ち話もなんだし」
隣を示し海乃を見上げる春樹は、まるで昼間のことなどなかったかのように普通だ。
意識している海乃の方が変な気がして、海乃はぎこちなく腰を下ろした。
館内用スリッパがぷらぷらと不安定に揺れる。
海乃が春樹を盗み見ると、春樹も海乃を見ていたのかばちりと視線が合ってしまい、海乃は慌てて顔を伏せた。
2人の間に再び沈黙が下りる。
床の振動が伝わって、春樹が体を動かしたのが分かった。
「椋木たちがさ、教えてくれたんだよ。ここなら海乃と話せるかもって」
「……嫌だった?」
先ほどの紡や日鞠の様子を思い出して、海乃は無言で首を振る。
図られたことだと知っても、2人のことを責める気持ちにはならなかった。
だって、海乃も春樹とちゃんと話せないまま終わるのは嫌だったから。
「……私も話したかった、春樹くんと」
意を決して海乃が顔を上げれば、真っすぐにこちらを見つめる春樹と今度こそ目が合う。
月明かりにぼんやりと照らされた庭は、いつかの丘で話した夜を思い出させた。
「昼間はごめんなさい」
「色々、考えなきゃいけないのに自分が何もできないことに気づいて……情けなくて、分からなくなっちゃったの」
春樹は黙って海乃の言葉に耳を傾けている。
普段はふざけていても、春樹はいつだって人の気持ちに誠実だ。
そんな春樹に、海乃はいつも感謝していた。
だから用意したはずのプレゼントは、修学旅行の初日からずっとポケットの中に眠っている。
今からでも間に合うだろうか。
海乃はカーディガンに手を入れると、少ししわになった紙袋をそっと春樹に差し出した。
「えっ、何これ……?」
紙袋を受け取りつつも、困惑したまま春樹が問いかける。
何だか気恥ずかしくて、春樹の方を見られない。
海乃は縁側にかけていた足を引き寄せると、膝を抱えて顔を半分埋めた。
「誕生日プレゼント。言ってたでしょ、秋生まれだって」
「……覚えてたのか?冗談で言ったのに」
驚いたようにつぶやく春樹に、海乃は小さくうなづく。
______秋になったら誕生日プレゼントもらえたらうれしいなって!
覚えてないわけない。
自己紹介のとき、春樹が助けてくれたこと。
春樹のことを忘れていた海乃に、もう一度友達になろうといってくれた。
それがすごくうれしかった。だから、あの日から春樹は海乃にとって大切な友達だ。
でも、それだけじゃいけないのかもしれないから海乃は苦しい。
「開けてもいい?」
うなづき返した海乃を確認して、春樹が紙袋から中身を取り出す。
出てきたのは、ワックスコードで編み込まれたブレスレットだった。
「すげぇ、これ海乃が作ったの?」
月にかざすようにブレスレットを見つめる春樹は、目を輝かせて海乃を振り返る。
海乃は膝に頭を預けたまま、春樹の方を向いた。
「うん、お母さんの友達に手伝ってもらったの」
ぴくりと春樹の眉が小さく動く。
庭の先を見つめて、海乃はconte de féesでアンとナイチンゲールに相談した日のことを思い出した。
男の子に何をプレゼントしたらいいのか分からない。
そんな海乃の相談に2人から返ってきたのは、心がこもった贈り物ならなんだって嬉しいということだった。
身もふたもないアドバイスに反発した海乃だったが、不貞腐れたようにほおを膨らませたナイチンゲールに言われたのだ。
「ふ~ん、じゃあ、あんたが今もポケットに入れているそれは嬉しくなかったわけ?」
はっとして手を当てれば、伝わってくるのはレースのハンカチの柔らかな感触。
黙り込む海乃を見たアンはくすりと笑い、ドレスの裾を翻してナイチンゲールの横に並び立った。
「大丈夫、海乃の気持ちはちゃんとその子に伝わるよ。それでも分かんないっていうなら、店に連れてきな」
「アタシたちが……」
アンとナイチンゲールがにやりと笑って顔を寄せる。
普段はケンカばかりの2人だが、こういうときは息ぴったりだ。
「最高のプレゼントをその子にあげる♡」
もし、誘いに乗って店に春樹を連れていっていたらどうなっていたのだろう。
想像すると少しだけ楽しい気持ちになって、海乃は思わず微笑を浮かべる。
こんなときにも、元気をくれるアンたちに海乃は心の中で礼を言った。
「雑貨屋さんでおすすめされて、いいなと思って」
「1人じゃうまくできなかったから、教えてもらいながら作ったんだけど……」
一応、男の子がつけてもおかしくはないデザインにしたつもりだ。
コバルトブルーとホワイトのスタイリッシュなブレスレット。
気づいたら文化祭で作ったドレスと似た配色になってしまっていたが、やはり春樹にはこの色がよく似合う。
ブレスレットをじっと見つめていた春樹は、いそいそとそれを手首に付けようとする。
しかし、うまくいかないのかブレスレットは何度も手首の上をつるりと滑ってしまっていた。
戸惑いつつ手を伸ばして、そっと春樹の腕に触れる。
びくりと春樹は一瞬固まったが、海乃に身を任せるように次第に体の力を抜いていった。
さわさわと松の葉が揺れる音が、建物に囲まれた合間からのぞく空に響く。
海乃がブレスレットを手首に付け終えると、春樹は嬉しそうに笑った。
「ありがとう……すげぇうれしい」
春樹の明るい笑顔、こちらまで嬉しくなるようなその笑顔が海乃は好きだった。
「ううん、こちらこそありがとう。……それから、昼間は本当にごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる海乃に何かを言おうと、春樹が口を開く。
しばらく迷うように視線をさまよわせていたが、やがて春樹は意を決して海乃に向き直った。
「…… 俺も、ちょっと謝んなきゃいけないことがあって。それと、聞きたいことがあるんだけどいい?」
真剣な様子の春樹に、海乃も身を引き締める。
春樹はゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。
「ごめん、俺、本当はさ……」
「海乃の母さん、亡くなったこと知ってたんだ」
大きく目を見開く海乃から申し訳なさそうに目をそらして、春樹がうつむく。
春樹の足先が砂利を蹴る音がやけに大きく響いた。
「早川先生と海乃が話してるの偶然聞いて、盗み聞きするつもりはなかったんだけど……」
確かに、新学期が始まって学校で担任の早川と話をした記憶がある。
海乃が考え込んでいるのをしり目に、春樹はぽつぽつと続けた。
「被服室で採寸してたときも、俺聞いちゃっただろ?海乃は誰か見にくんのって」
海乃は雨の日の被服室を思い出す。
文化祭の準備で大忙しだったころ、春樹が海乃に尋ねてきたこと。
そうか、あのときは気にしていなかったが春樹が変に焦っていたのはそういうことだったのか。
全然気にしないでと、海乃は言おうとした。
むしろ悩ませてしまって申し訳ないくらいだ。
知らないところで春樹に重荷を背負わせたままでいる方が海乃は嫌だった。
だが、春樹の次の言葉に海乃は凍りつく。
真っすぐすぎる春樹の瞳が海乃を貫いた。
「文化祭の日、一緒にいた男の人って誰?」
海乃の背中に冷や汗が伝う。
喉に張り付いてうまく呼吸ができない。
黙ったまま答えない海乃に春樹は表情を変えずに続けた。
「母さんが来てくれるって言ってただろ?不思議に思ってたんだ」
___だって、海乃の母さんは死んでるから
春樹は海乃を気にして言葉にはしなかったが、きっとそんなようなことを言いたかったのだろう。
海乃はぎゅっと唇をかむ。
誰、誰なんだろう?
春樹のいう男の人が青司のことを指しているのは分かっている。
でも、海乃にとって青司は何なのだろうか。
目玉焼き作りに失敗しておどけた朝。
文化祭以降、感じている距離感。
2人で見上げたイルカの水槽。
誕生日のときの寂しそうな瞳。
青司が何を考えているか海乃には分からない。
なら、自分は青司のことをどう思っているのか。
改めて心に問いかけてみると案外それはあっけなく、残酷なまで明確に形になった。
浮かんだ言葉はたった5文字。
きっとそれ以上に感じていることがある、抱いている気持ちがある。
だけど、海乃にとっての青司は変わらない。
いや、海乃が望む青司の姿は最初から変わっていなかった。
「おかあさん」
海乃の静かな声に春樹が目を見開く。
まるで凪いだ水面のように透明で揺るがない瞳で春樹を見つめた。
「私にとっては、おかあさんなの」




