第41話 タバコのにおい
自己紹介された後も、颯汰は警戒を隠さずに幸斗をじとっとねめつける。
不審者を目の前にした子犬のような態度に、幸斗はさらに楽しそうに声を上げた。
「そう邪険にしないでよ〜、青ちゃんがここで働いてた時の後輩ちゃんなんだろ?」
「だから、何!?」
ガルルと体を震わせる颯汰をじっと観察して、幸斗はニヤリと口角を上げる。
「いやぁ〜?よく吠える子犬ちゃんだこと」
「はぁぁぁぁ!?」
小馬鹿にするような物言いに、颯汰はさらに声を荒げた。
小走りに青司へと駆け寄ると、その背中にかくれる。
ひょっこりと出てきた颯汰の目には悔しさのあまり涙が滲んでいた。
「青司さんっ!僕、あいつ嫌い!!」
精一杯の拒否に、とうとう幸斗は腹を抱えて笑い転げる。
収拾がつかなくなってきた状況に、青司は呆れて肩を落とした。
「幸斗、そのへんにしろ。あまり揶揄うな」
「ごめんってぇ〜だって颯汰くん面白いんだもん」
にこにこと覗き込んでくる幸斗に颯汰は、べっと舌を出す。
己を挟んで行われている攻防を、青司は片手をあげて制した。
「少しこいつと話がしたいんだ、店を借りても大丈夫か?」
颯汰は幸斗に対しての威嚇をやめて、青司を上目で仰ぎ見る。
「いいけど……こんな夜遅くに、海乃ちゃん一人にしちゃって大丈夫なんですか?」
笑顔の幸斗がほんのわずかに眉を動かしたのが視界に入ったが、青司はそれには気づかないふりをしてうなづいた。
「今、修学旅行中なんだ。明後日までは帰ってこないよ」
「修学旅行か!いいなぁ~!」
懐かしい響き、と目を輝かせた颯汰は窓際のテーブル席を指す。
「ならあそこの席どーぞ!ちょっと待っててね……」
席に着くように促しカウンターの中に戻った颯汰は、取り出したボトルの中身をグラスに注いだ。
静かに目の前に置かれた飲み物と颯汰を、青司は戸惑うように見比べる。
「いいのか?」
「いいの、いいのっ僕からのサービス!オーナーだってこれくらい許してくれるでしょ」
いたずらっぽく笑う颯汰に、テーブルに片肘をついた幸斗がグラスを掲げた。
「ありがとー、子犬ちゃんも一緒にお話しする?」
「し・ま・せ・ん!僕裏にいるから、何かあったら呼んでください」
幸斗に向かって強く否定した颯汰は、ぷりぷりと怒ってその場を後にする。
その背中を楽しそうに見送る幸斗に青司は、今日何度目か分からないため息をついた。
「……幸斗、いいかげんにしろ」
「なぁ~に、その言い草。人払いしてやったんだから、ありがたく思えよな」
くいっとグラスを仰いだ幸斗が、じっと青司を見つめる。
青司は言いようのない緊張感に、身を引き締まらせた。
「海ちゃん、修学旅行なんだ」
「……ああ」
短く返した青司に幸斗は、ふーんと外を見やる。
興味なさげな様子に見えて、幸斗を取り巻く空気が一変したことを青司は察していた。
「何、まだ母親やってんの?」
青司は何も答えない。
沈黙から肯定以上の何かを受け取ったのか、幸斗は音を立ててグラスを置くと足を組んだ。
「そんな顔するくらいなら初めから引き受けなきゃよかったんだよ」
「俺と違って要領悪いんだからさ」
じっとテーブルの端を見ていた青司が、静かに顔を上げて幸斗を見る。
その瞳には厳しい光が宿っていた。
「……おまえに何が分かる?」
「分かるよ、高校のときからの仲じゃん」
間髪入れずに言い切った幸斗が、自信満々に微笑んだ。
青司は口を開いたが、その表情に何も言い返せず押し黙る。
「……幸斗の言ったとおりだ」
「何が?」
ぽつりとつぶやかれた青司の言葉の意味を分かっているのか、それとも分からないふりをしているのか。
どちらとも取れるような音の響きで、幸斗は聞き返した。
やけに大きく聞こえた呼吸音。
その直後に冷え切った声が空気を刺す。
「血は争えない」
青司の言葉を最後に、店内はしんと静まり返った。
窓の外からは、車のエンジン音や雑踏を行き交う人々の足音が聞こえてくる。
いつか己が告げた言葉を繰り返した青司に、幸斗は初めて笑みを引っ込めた。
「俺は、あの人と同じだ」
機械のような無機質さ、感情の見えない暗く沈んだ瞳。
その姿に出会ったばかりの頃の青司を重ねて、幸斗は真剣なまなざしを向ける。
「同じってわけじゃねぇーだろ」
「同じだ」
先ほどの幸斗と同じように、そしてそれ以上の強さをもって今度は青司が即答する。
膝の上で握られたこぶしは小さく震えていた。
「怖いんだ、あの子を傷つけるんじゃないかって。でも……」
青司の片手が顔の半分を覆う。
手のひらから覗く目は、心模様そのものを映したかのように激しく揺れていた。
「それ以上に、離れたくないと思っている自分が……一番、怖い」
震えた声を最後に、2人を完全な静寂が包み込む。
もう窓の外からも何も聞こえない。
幸斗は、頭をかくとポケットからタバコを取り出した。
ライターに火をつけ、肺の深くまで吸い込んだ煙を吐き出す。
紫煙の向こうにかすむ青司を、幸斗は遠くの景色を眺めるように見つめていた。
「タバコのにおい、しなくなったよね。青ちゃん」
ぴくりと、青司の肩が動く。
幸斗はタバコを持った手の甲に頬を預けると、窓の外へと目をやった。
「俺は深入りしないよ、関係ねーし」
テーブルの端に隠れるように置いてあった灰皿を引き寄せ、軽くタバコを叩く。
再度、吸い口を咥えて幸斗がぶっきらぼうに手を払った。
「だけどさ、そろそろ向き合わねぇとなんじゃない?」
「……海ちゃんに話せるわけが」
「ちげぇよ」
さえぎった幸斗が、真っすぐに青司の瞳を射抜く。
そこには断罪するような厳しさも、寄り添うような優しさもなかった。
まるで磔にされたように青司の体はぴくりとも動かない。
幸斗が伸ばした指の先。
真っ直ぐに指し示されたのは、どくりと音を立てて脈打つ青司の心臓。
「おまえだよ、青司」
じりじりと、赤く染まった火がタバコを燃やして灰にしていく。
心の底から這い寄ってくるような、得体のしれない恐怖心。
今まで直視してこなかったそれが、すぐそこまで迫ってきている。
水圧のような圧迫感に、呼吸のできない息苦しさに青司は喉を鳴らして息を吸った。




