第40話 宮杜の家
明治時代に作られたという日本庭園。
母屋や洋館といった施設を擁するこの場所は、歴史的に見ても非常に価値が高いという。
野趣あふれる風景を横目に、まず最初に海乃たちは母屋へと足を踏み入れた。
簡素な造りの木造平屋。
どこか懐かしさを感じる畳や木の板の香り。
しかし、海乃の体にまとわりつく空気は異様に重い。
来訪者を見定めているような、こちらを試すような静かな圧が海乃を締めつける。
無意識に手のひらを握りしめる海乃とは正反対に、日鞠と紡は肩の力を抜いて館内を見まわした。
「なんか落ち着くね」
「安心できるというか、穏やかな感じ……」
全面がガラス戸となっている和室は、昼とも夜ともつかない柔らかな日差しに包まれている。
もう少ししたら黄昏時だ。
ほっと一息ついている2人と海乃の間を割るように窓枠から細い影が伸びていた。
海乃は目を細めて窓の向こうの景色を眺める。
幼い頃に連れられてきた大きな屋敷。
そこで行われたという澪の父親、つまり海乃の祖父にあたる人の葬式。
何をしたのか、どんな話をしたのか、誰と出会ったのか。
記憶は蜃気楼のように揺らめき、形にはなってくれない。
でも、考えてみれば海乃が思い出せないのは葬式の記憶だけではなかった。
小さな頃の思い出、それどころか青司に引き取られる前の日々の記憶でさえ曖昧だ。
_____その反応……もしかして、覚えてない!?
始業式の日のこと、春樹のショックを受けた顔が海乃の脳裏によぎる。
なぜ、自分はこんなにも昔のことを忘れてしまっているのだろう。
今まで疑問にも思わなかったその事実に、海乃は初めて違和感を覚えていた。
一通り母屋を見て回った海乃たちは今度は洋館へと足を運んでいく。
立ち並ぶ木々の間からのぞく白い壁。
四角い箱のような形の建物の中に入っていくと、1階が展示スペースになっていた。
庭についての説明が丁寧に書かれているパネルを読みながら、3人はぐるりと部屋を回る。
建物の歴史や管理の仕方。
さまざまなことが記載されているにも関わらず、海乃の頭には一切情報が入ってこない。
海乃はパネルから目を離すと、額を抑えて落ち着けるように瞼を一度閉じた。
順路に沿って豪華な意匠が施された階段を登っていけば、障壁画を背景に椅子と机が並べられているのが目に入る。
和と洋が織りなして作る独特の空間。
その雰囲気を味わうように周囲を見渡す2人を、海乃はぼんやりと見つめた。
女子の中でも背の低い紡と、遠くからでも目立つほど高身長の日鞠。
立ち並ぶ2人の背中に、かつての海乃と澪の姿が重なっていく。
そうだ、あの日の澪の様子。
それだけは、やけにはっきりと覚えている。
緊張と警戒が混ざる鋭い眼差し。
じっとりと汗ばむつながれた手のひら。
普段の砕けた話し方とはかけ離れているのに、なぜかしっかりとくる畏まった口調。
宮杜の家がそうさせていたのだろうか。
幼い海乃の目にも、澪の行動は不気味なほど異様に写っていた。
「ここで会議したんだね」
「雰囲気すごい……無意識に背筋伸びそう」
説明書きを読んだ紡と日鞠が、うーんと唸る。
小さな机を挟むように、整然と並べられているビロードの椅子。
海乃はその肌触りを知っているような気がしてならない。
むき出しになった太ももの裏で感じた、柔らかいのに何故か肌に食い込むように感じる生地の生温かさ。
丈の合わないスカートは座ると余計短くなって、ビロードと直に接する面積が増えて居心地が悪かった。
確か澪が引っ張り出したよそ行きの黒い服は、海乃がもっと幼いころに買ってもらったものだ。
半袖に無理やり通した腕はうまく上げられず、何をするにもきつく食いこむ小さなワンピース。
がんじがらめの格好で上手く息ができないあの苦しさ。
思い起こされる感覚に、海乃もまた静かに息を吐き出した。
どこからかカラスの鳴く声が聞こえる。
洋館を後にした海乃たちは、琵琶湖から引かれたという水辺を縫うように庭を散策していた。
夕日に照らされた庭が次第に真っ赤に染まってく様子は、美しくもあり怖くもある。
せせらぎの音に耳を澄ませて、海乃たちは石畳の上を行く。
小さな滝、沢を横切る飛び石、どこまでも広がる苔庭。
もうそろそろ一回りといったところで、先頭を歩いていた紡が立ち止まった。
さわさわと吹く風が、草花を揺らして海乃たちの頰を撫でていく。
紡の長い髪が風にそよぎ、ふわりと広がった。
柔らかい癖毛が宙で踊るのを見て、海乃も自分の短い髪を抑える。
_____そういえば、私も昔は髪が長かった
腰近くまで伸びっぱなしになっていた幼い海乃の髪。
手入れするものもいないそれは、いつも幽霊のように生気なく海乃に絡みついていた。
_____あれ?
海乃の心に小さな疑問が一雫、落ちる。
_____じゃあ、私いつ切ったんだっけ
「あっ、あそこじゃないかな?」
紡がゆっくりと、道の先を指差す。
ひっそりと佇む瓦葺の小屋。
そのこじんまりとした景色を瞳に捉えた瞬間、海乃の心臓がどくりと跳ねた。
_____ごめんね
「はっ!?ちょ、ちょっと海乃!」
突然走り出した海乃の背中に驚いた日鞠が声をかける。
しかし、海乃の耳には何も届いていない。
脇目も振らず、海乃はまっすぐにそこへ向かって走っていく。
埃っぽい畳の香り、燃えるような夕焼け、遠くから聞こえるひぐらしの鳴き声。そして_____
刃がきらりと光った裁ち鋏。
あの日、あそこにいた。
何かが、誰かがいるのを海乃は見つけた。
小屋までたどり着いた海乃は、ざっと靴音を鳴らして上を見上げる。
だから追いかけて、それで、それで_____
海乃が引き戸に手を伸ばそうとしたその時、大きな声が響き渡った。
「海乃ちゃんっ!!!」
はっとした海乃が振り返れば、紡と日鞠が息を切らして立っている。
紡は膝から手を離すと大きく深呼吸して海乃を心配そうに見つめた。
「だっ、大丈夫?そんなに茶室見たかったの……?」
「……茶室?」
紡の言葉に海乃は呆然と、小屋を仰ぎ見る。
ここは茶室だったのか。
いや違う、違うはずだ。
茶室じゃなくてもっと別の_____
急にぐらりと傾いた海乃の体を、咄嗟に日鞠が受け止めた。
慌てて紡も、海乃に肩をかすと2人は海乃の顔を覗き込む。
夕日の中にあっても青白い顔色の海乃に、日鞠は何も聞かずに優しく告げた。
「……帰ろう、海乃」
俯いたままの海乃の耳に、日鞠の低い声が響く。
紡の小さな手のひらが海乃の背をそっとなでていった。
「海乃ちゃん、大丈夫だから」
「私たちがいるよ、ね?」
その言葉に、海乃は静かに顔を上げる。
沈みかけた日が落とす影が、この場所をより孤独で寂しい場所にしていた。
海乃は自分を包むように寄り添う紡と日鞠の温度を感じて、ぐっと足に力を入れる。
「うん……ありがとう、2人とも」
囁くような小さな声、それでも聞こえてきた海乃の言葉に紡と日鞠もほっと肩を下ろした。
横並びになった3人の影が、大きな塊となって庭の上を音もなく滑る。
不安定なじゃり道を進むたび足元からはザリザリと細かい音が鳴っていった。
_____ザリッ、ザリザリ
「んー?」
颯汰は買い換えたばかりだというミキサーを使いながら首を傾げた。
バーで元々使っていたものが駄目になったからと、オーナーが買ってきてくれたものだが、何も入れてないはずなのに異音が鳴り響いている。
これは、不良品では?と1人首を傾げているとチリンッと扉につけられたベルが来訪者の訪れを告げた。
「申し訳ありません、ただ今開店準備中でして……」
言い掛けた颯汰が、ぱっと目を輝かせる。
訪れた人が誰なのかに気づいた颯汰は、見えない尻尾を振りながらカウンターから飛び出した。
「えっ、青司さんじゃん!いきなりどうしたんですか!?」
飛びつく勢いで近づいてきた颯汰に青司は困ったように微笑みかける。
薄手のコートを脱ぎながら青司は口を開いた。
「すまない、少し場所を貸してくれないか」
「こいつが手に負えなくて…」
大きなため息をついた青司に、颯汰は首を傾げる。
「こいつ?」
「はいはーい!俺でーす!」
いきなり飛び出してきた人影に颯汰は、ぴゃっと後ずさった。
その様子を見てケラケラと満足そうに笑う男に、颯汰は眉を釣り上げて噛み付く。
「ちょっと、いきなり何すんの!危ないじゃん!」
「悪りぃ悪りぃ、おまえ面白いねぇ〜」
男はトレーナーの袖口で涙を拭うと、青司の肩にどかっと手を回す。
迷惑そうに顔を顰める青司の視線には、どこ吹く風で男は満面の笑みを浮かべた。
「青ちゃんのお友達の幸斗でぇ〜す、よろしくねん」




