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第37話 気になる人


 紡は長い癖毛を丁寧にブラッシングしている。


 普段かけているメガネを外しているせいか、いつもより大きな瞳がじっと伏せられている様子は本物の小動物のようでかわいらしい。


 その隣では荷物を整理してる日鞠が、バックの横に明日着て行くための服を出していた。


 ふわりと広がった花の香りは、いつもそばに寄ると微かに香っていた日鞠の洗濯物の匂いだ。


 2人が家でどういうふうに過ごしているかは知らないが、リラックスしていることには間違いないのだろう。


 海乃はそんな2人を見て肩の力を抜くと、ハンガーを片手に立ち上がり制服をかけ始めた。



 奈良から京都のホテルへと移動し夕食やお風呂も済ませ、あとはもう寝るだけ。

 海乃たちは各々まったりとくつろいでいた。


 修学旅行2日目は京都を自由に巡る班行動だ。

 同じメンバーでの部屋割りになっていたため、前日から3人でいられることに海乃は安堵していた。


 というのも夜の時間、自分がどうなるのか不安だったからだ。


 _____大丈夫だから、落ち着いて息を吸え


 海乃の背中を撫でてくれる優しい手のひら。


 そっと隣に青司が寄り添ってくれたあの日々が、今はもう随分と昔のことのように感じる。


 海乃は青司と共に過ごす中で、留守番の時や夜に発作を起こすことはなくなっていた。


 テスト前で忙しい時期などは、青司について店には行かず、1人で眠ることもできるほどだ。


 だが、知らない場所での初めての寝泊まり。


 ましてや家族と行く旅行ではない。

 学校の人たちと集団生活をしなければならない修学旅行。

 

 どこまでも未知な行事に対して、海乃は普通に過ごせるのか心配だった。


 でも_____


 「紡、いつもそのヘアオイル使ってるの?」


 「うん、使ってみる?」


 「いいの?私のやつ紡もつけてみる?」


 「ほんと?ありがとう!」


 「おっけ、じゃあ後ろ向いて……」


 日鞠が紡の髪を撫でるたびに、一瞬伸びた毛先がくるんと綺麗にカールに戻る。


 楽しそうに喋っているその姿は、いつもと状況や場所は違えど普段通りの2人だ。


 変わらない空気感がそこにあることを実感して、海乃の緊張は徐々にほぐれていっていた。


 

 穏やかな夜の時間。

 心地よい沈黙の中で小さな声が落ちた。


 「最近、よく見かけるよね」


 「何が?」


 ぽつりとつぶやいた紡を日鞠が後ろからのぞき込む。


 紡は髪を肩から前に持っていくと、緩くみつあみを編み始めた。


 「佐渡くん、その女の子とよくしゃべっているというか……」


 「ああ、文化祭が終わってから女子人気上がったっぽいよね」


 海乃は春樹の話題にピクリと、カーディガンを持った手を止める。

 紡はそんな海乃の様子に気づいたのか気づいていないのか、じっと海乃を見上げていた。


 「……海乃ちゃんはさ、気になる人とかいるの?」


 「えっ、私?」


 こくりとうなづく紡から視線をそらして、海乃は畳の縁を意味もなく見つめる。



 気になる人、何故だろう。



 今、まさに話題に出ていた春樹。

 海乃が持っているカーディガンのポケットの中には、春樹に渡せなかった紙袋が入ったままになっている。


 気になっているはずだ、いろんな意味で。


 だが、そう聞かれて一番最初に思い浮かんだ顔は春樹ではなく青司だった。



 昼間は優しいお母さん、夜はconte de féesの女王様マリー。

 

 時間によって見せる表情の違い。

 もちろんその二面性も青司の魅力には違いない。


 しかし、海乃が気になっている原因はそこではなかった。


 文化祭以降の青司の態度。

 そこに海乃は違和感を覚えている。


 聞こうと思えば聞けるチャンスはたくさんあったはずだ。

 それこそ誕生日のときだって。


 けれども、海乃は聞かないことを選んだ。


 それを知って何かが変わってしまうのは嫌だったし、言い訳になるが、尋ねても青司は本当のことを教えてはくれない気がしていた。

 

 これ以上、何もしなくてもいいんだという免罪符。

 それを手に入れた結果、諦めにも似た安心感が生まれたことを海乃は否定できない。


 それに_____


 視線をもとに戻せば、みつあみを編み終えた紡が畳の上で正座をしている。


 隣にいる日鞠も胡坐をかいて興味なさそうにしているが、意識は海乃に集中させているのが分かった。


 今の質問はそういうことを聞きたいんじゃないんだろう。


 海乃はカーディガンをハンガーにかけて、ゆっくりと首を振った。



 「……いない、かな」


 

 海乃の答えに2人は顔を見合わせる。

 同じようにぺたりと腰を落とした海乃に日鞠が切り込んだ。


 「佐渡は?後夜祭のときも何か話してたよね?」


 まあ、私が邪魔しちゃったんだけど。

 そう付け加えて気まずそうに頬をかく日鞠に続くように、紡も海乃に向き直る。


 「海乃ちゃんと佐渡くんってずっと仲良かったし……海乃ちゃんはどう思ってるのかな、なんて……」


 思いのほか真剣な2人のまなざしに、海乃は改めて春樹について思いを巡らせた。


 明るくて優しい、太陽みたいな人。

 その真っすぐさに海乃は何度助けられたか分からない。


 「好き、だと思う。春樹くんのこと」


 紡が口元を抑え、日鞠からわずかに息をのむ音がもれる。


 そんな2人を見て、海乃は申し訳なさそうに顔を俯かせた。


 「でも、でもね私……」


 「紡や日鞠も好き、春樹くんと同じように」


 

 _____ずっと、小舟さんに憧れてて!!


 _____……ありがとう、あのとき私の名前呼んでくれて


 今でも鮮やかによみがえる夕方の教室、星空の下の草原。


 一人ぼっちだった海乃に、初めてできた大切な友達。

 それは、春樹だけじゃない。


 紡に日鞠。

 一緒にいるだけでこんなに楽しくて、安心できる人たちを、特別といわないで何と表現するのだろうか。


 「ごめんね、そういうことじゃないっていうのは分かってるんだけど」


 「だけど、やっぱり私にとってはみんな大切で。紡と日鞠がいるから修学旅行もすごく楽しいし……」


 困らせてしまったと、おそるおそる顔を上げた海乃は目を瞬かせた。


 海乃の予想に反して、紡は真っ赤になった顔を両手で挟み、日鞠はにやけるのをこらえるように唇を引き結んでいる。

 


 「あ、あの……」


 おろおろとする海乃に待った、と手を前に出した日鞠が長く息を吐いた。


 

 「タイム、それはずるいわ」


 「うぅ~佐渡くん、ごめんなさい……」


 紡はぎゅっと目をつぶって頬を軽くたたくと、海乃に向かって身を乗り出す。


 「海乃ちゃん、いいんだよ!私も海乃ちゃん大好きだもん!」


 眼鏡越しじゃない瞳をきらきらと輝かせて、紡がぐっとこぶしを握る。


 肩が急に重くなったと思って海乃が横を向くと、日鞠のしたり顔が近くにあった。

 

 「明日は私らだけで思いっきり楽しもう、そこに男なんていらない」


 肩にのせた手に力を込める日鞠に紡がうんうんと大きく首を振る。


 2人の反応がうれしくて、海乃は満面の笑みを浮かべた。


 「うん!あの、実は奈良公園で2人の写真撮ったんだけど……」


 海乃がスマートフォンを畳の真ん中に置けば、紡と日鞠が頭をつけ合わせるようにして画面をのぞき込む。

 

 「どれどれ……って、へ!?なにこれ!?」


 「……はたから見たらこんなことになってたのか」


 「すごいでしょ?よければ送るけど……」


 欲しい!と笑い声をあげる2人に、海乃も笑ってグループチャットを開く。


 考えなければならないことはたくさんあるんだろう。

 でも、今はこの瞬間にしかない時間を楽しむ方が先だ。


 「明日は3人の写真も撮ろうね」


 紡の言葉に海乃と日鞠は、もちろんとうなづく。



 先ほどまでの静かな空気が嘘のように、部屋の中には3人の楽しげな声が響いていた。


 

 まだまだ夜は始まったばかり。



 海乃が写真を送れば、ぽこんっぽこんっと通知を鳴らして2人からのスタンプが返ってきていた。




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