第35話 アンコール
青司が告げた一言に、ぽかんと口を開けて全員が固まる。
先ほどまで盛り上がっていた空気が嘘のように冷え切り、空になったカップケーキの容器がテーブルから転がり落ちた。
「な、な……なっ…………」
「何も用意できなかったぁぁぁぁぁ!?!?!?」
アン、ナイチンゲール、颯汰の絶叫がしんと静まり返っていた店内に響き渡る。
3人が囲む真ん中に立っている青司は、両手で顔を覆っていた。
「しんっ、信じられない!見損なったよ!!」
「あんたねぇ、流石にそれはないわ。パーティーの発案者とはいえ許されないことよねぇ?」
「青司さん、少しは変わったのかと思ってたのに……やっぱりクソ男のレッテルは相変わらずですね〜」
降り注ぐ非難の声に、青司は反論もできず呻くように謝罪の言葉を繰り返す。
さすがのセルジュも助け舟を出すつもりはないのか、集中砲火をくらう青司を厳しい顔で見つめているだけだ。
その周りでおろおろと様子を伺っていた海乃は、たまらずパーカーのポケットからスマートフォンを取り出した。
「大丈夫、気にしないで。ほら!プレゼントなら前にもらったから……」
明るい声でイルカのキーホルダーを掲げてみせる海乃の肩を、振り返った颯汰がガッチリと掴む。
「海乃ちゃん〜遠慮しなくていいんだよ!用意してない青司さんが悪いんだから!!」
すかさずナイチンゲールとアンも、同調するように颯汰の後ろで激しく首を振る。
完全に勢いに押された海乃は、スマートフォン片手に笑顔を引きつらせるしかできない。
「そうよ海乃、甘やかしちゃダメ!男はみんなつけあがるんだから!」
「今日は大事な誕生日なんだからさ。わがままを言っていいんだよ……何なら、逆に海乃がリクエストしなよ!」
アンの提案に、それはいいとみんなから賛成の声が上がる。
青司の前に再び押し出された海乃は、いきなりのことに戸惑いつつも、じっと考え込んでしまう。
___海乃が青司から欲しいもの
だが、いざ自分の胸に問いかけてみれば答えを見つけるのは簡単で、海乃は青司にそっと手を伸ばした。
項垂れている青司の顔を覆う手をゆっくりと引き剥がせば、これ以上ないほど情けない表情の青司と目があって思わず吹き出してしまう。
青司の緊張が移ったのか、海乃は少し速くなった心臓を息を吐いて落ち着かせてから、ゆっくりと口を開いた。
「お母さん、あのね……」
つま先立ちをした海乃が、青司の耳元にそっと唇を寄せる。
囁かれた海乃のお願いに、青司が目を瞠った。
「私、お母さんの歌が欲しい」
青司は海乃に向き直ると自分の喉元に手をやり考え込んだ。
なおも逡巡している青司は、今言われたことを確認するように海乃へと聞き直す。
「歌……俺の?」
「うん、お母さんの」
___マリーではなくて
言外にそんな思いも込めながら海乃はうなづいた。
しかし、思いのほか戸惑っている青司を見ていると、期待よりも段々と不安の方が勝ってきてしまう。
やはり無理なお願いだったのだろうか。
わがままを言ってしまって落ち込む海乃の横に、アンとナイチンゲールが並び立つ。
アンは海乃に優しく笑いかけ、腰に手を当てた。
「歌ってあげなよ、マリーにしかできないプレゼントだよ?」
ナイチンゲールもうんうんと首を振って、髪を後ろに払うと片眉を上げて見せる。
「そうよぉ、こーんなかわいいお願い。叶えてあげなきゃ男も女も廃るわ」
それでも目を泳がせる青司の背中から、ひょっこりと颯汰が顔を覗かせた。
青司の腕を軽く叩いて、上目遣いに見つめながら自分を指差す。
「僕たちは居ないふりしてるから気にしないでくださいっ!姪っ子ちゃんにかっこいいとこ見せてあげないと〜」
「だが……」
言い淀む青司が海乃たちの顔を見回し、最後にセルジュの顔を捉える。
セルジュは青司を黙って見つめていたが、ふっと力を抜くと柔らかく微笑んだ。
「……歌ってやれ、おまえの声で」
セルジュの静かな言葉に青司は、海乃へと視線を戻す。
青司の覚悟を決めたような真剣な表情に、海乃も唾を飲み込んだ。
やがて青司は、そっと海乃の手を取るとステージの方へと歩き始める。
みんなが見守る先で、青司が海乃を抱き上げ、ステージのつらに腰掛けさせた。
大人しく青司につかまっていた海乃が体を離す。
自分より下にある青司の顔。
いつもと逆になった視線に、少しドキドキした。
戸惑いがちに薄く開いた青司の唇から吐息が漏れる。
控えめに吸われた息がそっと吐き出されると、音となって空気を震わせた。
「Moon River, wider than a mile. I'm crossing you in style someday」
初めてconte de féesに訪れた後、家に帰って歌ってくれた子守唄。
「……wherever you're going I'm going your way」
不安定な音程。
寂しそうな印象を与える声。
揺れる瞳を隠すように、青司の瞼がゆっくりと閉じられる。
マリーのときとはまるで違う、青司自身の歌。
決して完璧じゃない、海乃のためだけの歌。
「Two drifters off to see the world」
望んだものを与えられた感動に海乃の胸がいっぱいになる。
だけど、同時に切なさにも似た焦燥感が心をちくりと刺していった。
あの夜は、微睡が見せた幻かと思った知らない誰かの横顔。
今も変わらず脳裏によぎるそれは、もしかしたら海乃の思い出せない過去の記憶の一部なのかもしれない。
「……my huckleberry friend」
いつか思い出さないといけないのだろう。
でも、まだ海乃は手放したくなかった。
独り寒さに震える夜に、そっと隣で歌ってくれる人を。
「Moon River and me……」
___お母さんは、許してくれる?
目の前で歌う青司に海乃は心の中で問いかける。
青司の頰を手で包めば、驚いた青司が目を見開いて海乃を見上げた。
「……ありがとう、お母さん」
祈るように呟かれた海乃の言葉に、青司は黙ってうなづく。
それ以上言葉を交わすこともなく、ただ海乃と青司は寄り添い続けた。
いつまでそうしていたのだろうか。
突然、沈黙を破るように後ろの方から大きな声が掛けられる。
「ちょっと!2人の世界に入っちゃってぇ、ずるいじゃない!」
ナイチンゲールが乱暴に青司の首に手を回せば、颯汰が海乃と青司の間に入った。
「そうだよ〜僕たちもいること忘れないでよね!」
ナイチンゲールと颯汰にもみくちゃにされている青司を横目に、セルジュが海乃に手を貸してステージから下ろしてくれる。
海乃が拍手の音に目をやればアンが手を叩きながらこちらに近づいてきた。
「海乃、良かったね」
素直に海乃が頷き返せば、にっと笑ったアンが海乃の肩を叩く。
セルジュも穏やかな顔で海乃を見つめていた。
「よっし!じゃあ、今度は私が歌っちゃおうかしら!?」
「やめろ、馬鹿!!!」
ナイチンゲールが腕をまくるのを瞬時に止めに行ったアンが叫ぶと、巻き込まれた青司はうわっ!と声を挙げ耳を塞いだ。
「え〜、なら僕も歌っちゃおうかな?セルジュさん、デュエットしようよ!」
「いや、俺は……」
颯汰の無茶振りに珍しくセルジュが焦った顔で海乃の後ろに隠れ、海乃を中心に鬼ごっこを始める。
「っあはは!」
はちゃめちゃな光景に、海乃がたまらず笑い声を上げる。
かつての海乃の誕生日は、ただ無意味に繰り返す日常の延長線でしかなかった。
大切な人に囲まれて過ごす、宝物のような一日。
決して当たり前ではない時間を海乃は改めて噛み締める。
ふと、青司と海乃の目があった。
ナイチンゲールにつられて何だかんだ一緒に歌い出しそうなアンを、ちらりと見た青司が困ったように笑って肩をすくめる。
賑やかな夜はまだまだ終わりそうにない。
海乃はセルジュと颯汰の手を取ると、青司達の元へと駆け出していった。




