第33話 誕生日
スマートフォンを強く握りしめる海乃の肩に、ナイチンゲールが手を伸ばそうとしたその時、乱暴にドアが開く音とともにアンの怒声が響いた。
「ここにいやがったのか!油売ってんじゃねぇ!!」
飛び上がった海乃とナイチンゲールは思わず、ぴゃっとくっついてしまう。
2人して目を丸くしていると、アンは海乃にだけ優しく微笑んだ。
「驚かせてごめんね、僕は……」
かつかつとアンがナイチンゲールに歩み寄り、そのまま耳を引っ張った。
「こ・い・つ・に!用があるだけだから!」
「痛い痛い!やめなさいよ、馬鹿力!ゴリラ!!」
「ゴリラとはなんだ!このフラミンゴ!!」
海乃はそろりと距離をとりながら、その様子をじっと見つめる。
ガミガミと言い争いをするアンもまた、ナイチンゲールと同じように普段着だ。
私服もきらびやかなナイチンゲールと違い、アンはシックな服装だ。
営業中の時とは、かけはなれた見慣れない姿。
いまだに海乃はそんなアンに対して少し緊張してしまう。
でも、綺麗に分けた前髪を耳にかけながらナイチンゲールと言い争う様子は、いつものアンそのもので。
確かな面影を感じて、海乃はこんな状況なのに安心してしまった。
「……何を騒いでるんだ?」
いつからそこにいたのか。
気づけばセルジュが部屋の入り口に呆れた表情で立っていた。
アンとナイチンゲールは掴みあったままの体勢でセルジュを見て固まる。
セルジュは、やれやれとでもいうように首を振るとこちらに背を向けながら呟いた。
「準備ができたから、降りてこい」
____準備?
海乃が首を傾げると、セルジュが少し笑ったような気がした。
そのまま去っていくセルジュの後ろ姿を見送っている海乃の背後で、アンとナイチンゲールから声が上がる。
「ついに!」
「待ってましたぁ!」
まだ困惑している海乃とは反対に、乱れた髪や服を軽く整えると、嬉々とした顔でナイチンゲールは海乃の手を取った。
「よっし、行くわよ海乃!」
「え?行くって何が……」
戸惑う海乃の背中をグイグイとアンも押してくる。
「まぁまぁ、とりあえず行けばわかるよ」
にこにこと楽しそうな笑みを浮かべた2人に促されるまま、海乃は階段を下って行った。
1人でバーフロアに降りてきた海乃は、階段の途中で足を止める。
アンとナイチンゲールは、こっちに用があるからとステージの方へ行ってしまったのだ。
フロアの中央付近に青司がいたので海乃は声をかけようとしたが、その隣にいる小柄な人影に気がついた。
何やら談笑していた2人が振り返る、青司が声をかける前に横にいた人物が大きな声を上げた。
「あー!君が噂の海乃ちゃん?」
軽快に階段を上り海乃の手を取る。
グイグイと押しの強い態度と、距離感の近さに海乃は目をぱちくりとさせた。
「初めまして!僕、熊谷颯汰っていいま〜す」
にっこりとかわいらしく笑う颯汰は、海乃と背丈もそこまで変わらず、態度も相待って親しみやすさを感じなくもない。
このお店にもちょくちょく通ってて〜と、話し続ける颯汰に対して海乃は必死に笑顔を浮かべようとしたが、実際は顔を引きつらせただけだった。
今まで出会ったことのないタイプの人間なので、やっぱり海乃はどうしても萎縮してしまう。
そんな海乃の気持ちを知ってか知らずか、颯汰はペラペラと喋り続けた。
ごくりと唾を飲み込み、海乃はおずおずと口を開く。
「あの、熊谷さん……」
「ストップ!」
やっとのことで話しかけた海乃の唇の前で、颯汰は人差し指を立てる。
頬を膨らませると、いじけるようにそっぽを向いた。
「苗字で呼ばないでっ!熊谷って全然かわいくないじゃん」
人差し指を自分に向けると、あざとく小首を傾げる。
呆気に取られてる海乃に、ちゃんと目を合わせると柔らかく目を細めた。
「そーちゃんでいいよ、そっちのがかわいいでしょ?」
人好きのしそうな笑顔に、じわじわと海乃の肩の力が抜けていく。
目線を泳がせた海乃は覚悟を決めると、ぐっと唇を噛んだ。
「そーちゃん……さん」
「あはは、何それ!でも合格!」
楽しそうに笑う颯汰に、ようやっと海乃から自然な笑みが溢れる。
一連の様子を見守っていた青司が、ため息をつきながら階段を上がってきた。
「颯汰、あまりからかわないでくれ」
「別にからかってないですよ〜ていうか、こんなかわいい姪っ子いるならもっと早く紹介してよ!」
写真で見るよりずっとかわいい!と、いまだに海乃の手を握っている颯汰の手を、青司は無言で引き剥がす。
きょとんとした颯汰は、次の瞬間にはニヤニヤと青司に詰め寄った。
「んも〜このくらい別にいいじゃん!バーにいた頃は軒並みお客さん取られちゃってたんだし〜」
「おい、その話は……」
「わかってますよ〜。でもさ石田さんもやめちゃったし、いつでも戻ってきてくれていいからね!」
きゃっきゃと青司にちょっかいを出している颯汰を海乃はじっと見つめる。
バーとはいったい。2人は知り合いなのだろうか。
無言で青司と颯太の話を聞いていた海乃は、どういうことだろうかと頭に疑問が浮かんだ。
「おい、そろそろ来い」
思い切って尋ねようとしたその時、バルコニーから顔を出したセルジュがこちらに呼びかけてきた。
「あっ、はーい!行こ、海乃ちゃん!」
階段をとことこと上がり颯汰が手招きをする。
判断を委ねるように青司を見上げれば、優しい顔で海乃を見下ろしていた。
「大丈夫だ、おいで」
青司の言葉に安心して海乃も、ほっと顔を緩める。
ステージへと続く扉の前では颯汰とセルジュが控えてた。
2人は顔を見合わせると、ゆっくりと扉を押し開く。
中の様子が見えるか見えないか、扉が開き切ると同時に大きな破裂音が海乃の耳を貫いた。
キラキラと舞い落ちてくる何か。
突然のことに驚き、びくりとはねた肩の上に落ちてきたのは、紙吹雪や紙テープだった。
ぽかんと口を開けた海乃に、クラッカーを鳴らしたアンとナイチンゲールが声を上げて笑う。
「お誕生日おめでとう!」
目を見開いた海乃は青司に背中を軽く押されてようやく我に返った。
扉の中へと入れば、並べられたテーブルにケーキや食べ物、ドリンクが置かれているのが目に入る。
海乃が再度、青司を見上げる。
青司は海乃の肩についたままのテープを取ってやりながら微笑んだ。
「海乃の誕生日パーティーだよ、みんなが用意してくれたんだ」
誕生日、それを聞いてようやっと海乃は思い出した。
今日が自分の誕生日であることに。
こんなふうに今まで祝われたことなんかなかった海乃は、自分の誕生日も忘れかけていたのだ。
颯汰が、はいはーいと手をあげてケーキを自慢するように手を広げる。
そこにはホールケーキが一つと動物の形を模ったカップケーキが並んでいた。
どちらも華やかで美味しそうだが、特にカップケーキの方には見覚えがある。
今すごく流行っているものなのだと、紡と日鞠が教えてくれたものだ。
SNSに載せられていた写真を見せてもらって、海乃もとても可愛いと思っていた。
「みんな、トレンドなんて何にもわかってないんだから!」
「海乃ちゃんが好きそうなものばっちり選んできたから安心してね」
ウィンクを飛ばす颯汰に、ナイチンゲールはピクピクと口角を上げる。
アンもじとっとした目で颯汰を睨んだ。
「相談したのは私たちだけど……な〜んか、癪に触るのよねぇ」
「今度、店来たとき割り増しで金取るぞボケが」
「えぇ!私怨じゃんそんなの!!」
抗議の声を上げる颯汰がアンに詰め寄っていく。
conte de féesの言い争いメンツに颯汰が加わって、いつも以上に騒がしい。
セルジュは我関せずという顔で、黙々とお皿を並べ始めていた。
「……お母さん」
海乃は羽織っていたパーカーの裾をぎゅっと握りしめ、小さな声で呼び掛ける。
だが、青司の耳にはしっかり届いたようで、少ししゃがむと俯いている海乃の顔を覗き込んだ。
「あのね、私、こういうことしてもらったの初めてで……」
ぽつりぽつりと自分の気持ちを懸命に話そうとする海乃に、青司は相槌を打つ。
「どういう反応したらいいのかわからないけど、すごく……うれしいの」
「……ありがとう」
瞳を潤ませ、へにゃりと笑う海乃に青司は一瞬目を見張った。
眉を下げ、微笑むと海乃の頭にそっと手を添える。
「それは、俺だけじゃなくみんなに言ってくれ」
「……みんな海乃の誕生日を祝いたがってたんだ」
「誕生日おめでとう、海乃」
青司からの祝いの言葉に海乃は頬を染めて頷く。
まだ言い争いを続けている3人やセルジュの方へと向くと、大きく息を吸った。




